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自衛隊インビテ−ション
(9月放送内容)



テ−マ:自己紹介



パ−ソナリティ−:

 今日は、8月1日に東北防衛局長に着任されたました中村吉利さんからお話をお伺いたいと思います。中村局長、よろしくお願いします。


中村局長:

 よろしくお願いします。


パ−ソナリティ−:

 ところで、早速ですけれども災害派遣などを通して、東北の、私達ですね自衛隊さんには本当になじみがあるんですけれども、東北防衛局は、仕事内容よく存じませんので、まず、防衛局とはどんなことをやっているのか、そのあたりからお話しをいただけますか。

中村局長:
 そうですね。自衛隊の災害派遣のように、地域の人たちの目に見える活動が多くないので、防衛局の仕事がイメージしにくいというのは、おっしゃるとおりだと思います。まず、防衛局は全国に8つありまして、東北防衛局は、そのうちの一つとして東北地方の6県を担当しています。実は、防衛局は誕生してまだ5年ほどの若い組織で、前身は防衛施設局と言っていました。東北防衛局の前身は仙台防衛施設局になります。防衛施設、これは自衛隊や米軍の基地と言うことですけれどもその周辺では様々な問題が発生します。例えば、飛行場の近くでは航空機の離発着に伴って日常的に騒音が発生していますし、演習場でも訓練の時には騒音が発生したり、戦車が走ることで地面が荒れて土砂が演習場の外に流れ出す可能性もあります。また、大型車輌の通行で一般の道路が渋滞したり、路面が荒れたりすることも考えられます。それから、これはあってはならないことなんですけれども、万一事故が起きたりすると、地域の方々に大きな影響を及ぼす可能性があります。こういった問題の対策、すなわち住宅の防音工事ですとか、自治体の行う道路工事や護岸の工事、さらには防災無線整備への補助、基地の管理や取得などを主に実施してきたのが防衛施設局と言うことになります。防衛局になってからは、こうした防衛施設局の業務に加えまして、地域における政策的な情報発信や装備品等の購入業務も実施するようになっています。 組織の名称から「施設」を外すとともに、地名も事務所の所在する場所から担当する地域に変更して、その地域での防衛問題を幅広く取り扱おうとしているわけです。私の前任である増田局長がお話ししたかと思いますが、東日本大震災におきまして、東北防衛局は自衛隊や米軍とともに、様々な活動を行いました。これは、防衛施設局を防衛局に発展させた一つの効果だと思っています。

パ−ソナリティ−:
 そうなんですね。防衛局の業務、多岐にわたってあります。何となく理解はできましたけれども、ではその防衛局と自衛隊とはどのような関係になっているのでしょうか。

中村局長:
 はい。今申し上げましたようないわゆる基地周辺の対策と言うもは、自衛隊や米軍の所在に伴って問題が発生します。それを緩和することで、自衛隊や米軍に対する地元の理解と協力の促進が期待出来ると言うように考えています。これによって、基地が安定的に使えるようになって、ひいては自衛隊ですとか米軍の能力の十分な発揮につながってくると言うように考えられます。また、政策的な情報発信という面からは、地域の自衛隊なり米軍の存在の活動その意義を、国全体の防衛政策の中で理解してもらう、これによる理解の促進も期待できると思っています。つまり、防衛局は、いわば自衛隊ですとか米軍の黒子的な役割を担っているとゆうように言えると思っています。

パ−ソナリティ−:
 本当に大事なそう言ったお仕事なんですね。防衛局の方々の黒子的な役割、理解は出来ました。そして自衛隊の方々はこの東北では本当に子供達のアイドルでもありますし、力強い自衛隊さん、そして防衛局の皆さんだとなと思いました。中村局長は、今お話のありました基地周辺対策に関するお仕事にずっと関わってこられたのでしょうか。


中村局長:

 はい。力強い言葉をいただきまして、どうも有難うございます。私の仕事なんですけども、直前は市ヶ谷にあります防衛省の本省で地方協力企画課長と言うポジションにありました。これは、各地方防衛局の要望を取りまとめまして、財務省に予算要求を行うと言うポジションなんですけど。いわば各地方防衛局の事業を査定する側だったのです、今は査定される側に回ったと言うわけです。実は、1985年に私は当時の防衛庁なんですけれども、そこに入庁して以来、基地周辺対策に関わったのは、この地方協力課長の1年だけです。このため、私自身にはまだまだ不十分な面がありますけれども、幸いにして、東方防衛局には優秀なスタッフが揃っていますので、彼らの意見をよく聞きながら、業務を進めていきたいと思っています。


パ−ソナリティ−:

 査定をする側とされる側、それも本当に頼もしいですよね。それ以前は、どのようなお仕事をされていたのでしょうか。

中村局長:
 はい。最近では、防衛省におきまして、いわいる米軍再編に関わる仕事ですとか広報関係にも携わってきました。それ以前では、内閣官房と言う組織があるんですけれども、そこで安全保障・危機管理に各省庁を取りまとめると言う業務にも関わってきました。今から10年前になりますけれども、イギリスの日本大使館に3年ほど出向した経験もあります。2002年の夏ですので、当時は、日韓のワールドカップ一色だったんですけれども、我々の中では、アメリカによるイラク攻撃と言うものが懸念されていました。この、いわゆるイラク戦争は2003年に開始されることになるんですが、イギリスはこれに大変深くかかわっていたために、私が赴任した当初は、イギリスの国防省に毎日のように通って情報収集をするという毎日でした。さらに、イラクの戦後の復興のために自衛隊を派遣することになるわけなんですけれども、その自衛隊はイギリスが管轄する地域で活動することとなったために、私の方で細部にわたる派遣の要領ですとか、現地の行動要領をイギリスの国防省と調整したと言う記憶があります。さらに、2005年の夏には、イギリスがホスト国になるサミットが行われています。実は、その直前に、イギリスは先のロンドンオリンピックの招致に成功しているんですけども、当時は、パリが断然有利で、ロンドンを含む他の都市に望みはないと言われていました。これを覆したのが、当時のブレア首相でして、まさに自ら東奔西走して勝ち得たオリンピックですので、今回の成功と言うのは彼にとっても感慨深いのがあるんではないかと思っています。2005年に話を戻しますけれども、オリンピック招致とサミットの開幕という晴れがましい舞台は、ロンドンの地下鉄・バス同時多発テロによって暗転することになりました。56人が死亡するという痛ましい事件でしたけれども、逆に、サミットに集まった各国首脳の団結が強化されました。それと、私が非常に印象的に覚えているのは、一般の多くの人達が、地下鉄とバスをテロの前と変わらずに使い続けると言うことだったです。テロを恐れて日常を変えてしまえば、テロリストに屈したことになる、という思いが共通していたのだと思います。私自身、防衛、安全保障には長くかかわってきたつもりでしたけれども、理不尽な暴力に毅然と対応すべきことを、ロンドンの市民は教えてくれたと思っています。


パ−ソナリティ−:
 はい。有難うございます。今日は、81日に着任されました中村東北防衛局長に、ご自身のプロフィールのご紹介も含めてお話をお伺いました。中村局長には、ご自身の経験も含めて、防衛問題について幅広くお話を伺っていきたいと思いますので、今後ともどうぞよろしくお願いします。

中村局長:
 こちらこそよろしくお願いします
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