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自衛隊インビテ−ション
(6月放送内容)



テ−マ:テロとの戦い



パ−ソナリティ−:

 皆さんこんにちは、今日は東北防衛局の増田局長と一緒にお送りいたします。増田局長、本日もよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いします。


パ−ソナリティ−:

 今日は、何についてお話をしていただけますでしょうか。

増田局長:
 日本のメディアではあまり大きく取り上げられませんでしたけれども、アメリカのメディアでですね大々的に取り上げられたテロ未遂事件がありましたので、今回はテロとの戦いについてですね話したいと思います。

パ−ソナリティ−:
 ぜひ、よろしくお願いします。

増田局長:
 アル・カイーダのオサマ・ビン・ラディンを昨年の5月2日にですね殺害されまして1年が経ちましたけれども。東北では3月11日のですね東日本大震災からまだ1ヵ月半しか経っていない頃の出来事でしたんですね、皆さんオサマ・ビン・ラディン殺害のニュースに耳を傾けている余裕はあまりなかったかもしれないですね。この殺害のための作戦をジェロニモの作戦と言うんですが、後ほど詳しく話したいと思います。

パ−ソナリティ−:
 はい。私もアル・カイーダのオサマ・ビン・ラディンが殺害されたということは、ニュースで知っていますが、実際どのように作戦を立てたのか教えていただけますか。


増田局長:

 その前にですね、先日のテロ未遂事件について話をしますけども、本日お話する内容は米国政府から聞いた話ではなくて、全て報道ベースでの話であることをお断りしておきたいと思います。オサマ・ビン・ラディンの死亡ですね、アル・カイーダ側からすれば殉教ということになと思いますけども、その1周年を機に、アル・カイーダは米国に対するテロを計画してたんですね。その内容は、探知不可能な爆弾を身につけて米国の旅客機に乗り込んで、自爆テロを敢行するというものでありました。ここで、アル・カイーダが探知不可能な爆弾を開発したというところがちょっと不気味なところなんですが、空港のですねセキュリティー・チェックをすり抜けてしまうような爆弾なわけですが、具体的にどのようなものかちょっとよく判らないんですけれども、金属を一切使用していないということは確かなようです。


パ−ソナリティ−:

 それではどうしてテロを未然に防止できたんでしょうか。

増田局長:
 このテロを未然に防止したことについて、米国のメディアはインテリジェンスの勝利だと言っていましたけれども。確かに、この手のテロはですね、情報網を張り巡らして事前に察知しなければ、防ぎようがないわけですね。米国は、こういったインテリジェンスに莫大な費用とエネルギーを投入しているわけでありまして、偵察衛星や無人偵察機といったハードからですね、あるいわエシュロンといってですねスーパーコンピューターを使ってインターネット上を飛び交う情報を解析したりとかですね、あるいわ、人間を介して得られる情報ですねヒューミント、これの情報網も世界一のものが構築されていると言って間違いと思います。こういったヒューミントの分野ではですね、多民族国家という特性が大変有利に働いていると思いますね。


パ−ソナリティ−:
 なるほど。米国は大国だけあってインテリジェンスには相当力を入れているんですね。

増田局長:
 はい。そうですね。今回捕まった犯人のニュースを見てちょっとびっくりしたんですが。CIAがですねアル・カイーダの情報を得るために使っていたアル・カイーダ内部のですね情報提供者、エージェントであったというわけですね。要するに俗に言う二重スパイであったわけでありまして、インテリジェンスの世界のですね、何と言いますか、一般人には計り知れない部分がちょっと垣間見れるような気が致します。

パ−ソナリティ−:
 はい。先ほどお話しされてたジェロニモの作戦について、お話をうかがってよろしいでしょうか。

増田局長:
 はい。オサマ・ビン・ラディン殺害のジェロニモの作戦の話ですけど、まずは皆さんご承知のとおり、2001年の9・11同時多発テロの後に、米国政府はアフガニスタンのタリバン政権に対して、オサマ・ビン・ラディンの引き渡しを要求したんですけど拒否されたんですね、米国が中心となって多国籍軍を結成して「不朽の自由作戦」というのが始まったわけですが。あと少しでオサマ・ビン・ラディンを捕縛するというところまで行ったわけですけれども、あと一歩というところで取り逃がしてしまったわけですね。その後オサマ・ビン・ラディン持病であるですね腎臓病が悪化して既に死亡したという憶測も流れたりしましたけれども、実はそうではなくて10年間オサマ・ビン・ラディンは身を潜めていたわけであります。

パ−ソナリティ−:
 10年間という長い間、よく見つからなかったですよね。

増田局長:
 そうですね。

パ−ソナリティ−:
 いったいどういう所に身を潜めてたんですか。

増田局長:
 やはりここでも米国のインテリジェンスの勝利と言えるかと思いますけども、オサマ・ビン・ラディンは意外な所に隠れていました。パキスタンのアボッターバードという首都イスラマバードから60キロ位離れた町で豪邸を構えてまして、そこに住んでたんですが。この町は、パキスタンの陸軍士官学校がすぐ近くにあったりしてですねパキスタン陸軍ゆかりの地であります。米国の情報機関がついにここを突き止めてですね、周到な準備の後、昨年の5月2日にですねブラックホークのステルス・バージョンに分乗した特殊部隊がそこを急襲したわけですね。

パ−ソナリティ−:
 それからどのようになったのでしょうか。

増田局長:
 ここでの作戦の一部始終はですね、映像でホワイトハウス地下にありますシチュエーションルームにリアルタイムで送られましたので、オバマ大統領以下、国家安全保障会議(NSC)のメンバーが固唾を飲んで見守っていたわけですね。オサマ・ビン・ラディンの護衛と数十分にも及ぶ銃撃戦がありまして、その後これを制圧してですね、オサマ・ビン・ラディンを殺害して、その遺体はですねインド洋に停泊中の空母カールビンソンに運ばれたんです。そこでのDNA鑑定をしまして、オサマ・ビン・ラディンであることが確認されたということですね。

パ−ソナリティ−:
 空母カールビンソンに運ばれたオサマ・ビン・ラディンの遺体ですが、その後どうなったんでしょうか。

増田局長:
 そうですね、パキスタン政府がですね米国政府から報告を受けたのは事後であったということで、パキスタン側からすれば主権の侵害とも言うわけですけれども、米国流のこういった形での自衛権の行使の是非については色々議論のあるところだと思います。殺害されたオサマ・ビン・ラディンの写真とかですねDNAの配置情報とかそう言ったものは一切公開はされませんでしたけども、その日のうちにですね空母カールビンソンから水葬ですね、海に流されたということです。どこかに埋葬したりすると、テロリストによる遺体の奪還作戦が起きたりとかですね、あるいは墓地がテロリストの聖地となってしまうことに配慮したとそういった見方もありまして、その1年後に起きたテロ未遂事件を思えば、それも一理あるなと思います。

パ−ソナリティ−:
 なるほど。テロの首謀者であるがゆえに遺体のその後と言うか、始末まで配慮していると言うことですね。

増田局長:
 そうですね。本日の話は、全て報道に基づく報道ベースということで、話の受け売りということになりますけれども、米国のテロとの戦いの一つの例と言うことでお話をさせていただきました。

パ−ソナリティ−:
 はい。本日は「テロとの戦い」についてお話をうかがいました。局長、本日はどうも有難うございました。

増田局長:
 ありがとうございました。
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