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自 衛 隊 百 科
(4月放送内容)



テ−マ:甲冑とヘルメット・防弾チョッキ



パ−ソナリティ−:

 自衛隊百科のコーナーです。このコーナーでは毎月1回東北防衛局の増田義一局長にお越しいただいて、さまざまなお話をいただいております。
 それでは局長、本日もよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 それでは早速ですが、今日はどういったお話をいただけますでしょうか。


増田局長:

 私はですね、最近、日本の甲冑ですね、すなわち鎧兜ですけれども、これに興味を持つようになりまして、骨董品屋さんとかですね、オークションとかで、手頃な値段で買える安ものに手を出して、いろいろ集めたりしているんですね。そういうことで今日は、そういった話から始めたいと思います。


パ−ソナリティ−:

 はい、お願いいたします。それではまずは増田局長のコレクションからお伺いしてもよろしいでしょうか

増田局長:
 私は今、単身赴任でですね、一人住まいをしておりますが、私の家には等身大の甲冑が2体ほど飾ってあります。あと、顔に付ける面具、これを面頬というんですけれども、これなどは10個以上ありましてですね、壁にディスプレイとして懸けてあります。単身赴任ということで家内の目の届かないところで無駄遣いしてますんで、見つかったら多分怒られるなあと思いますけれども。ということで今後ですね、今のポストから異動になってですね、仙台の家を引き払わなければならなくなったときに、これらの甲冑類をどうしようかなと、思案に暮れているところであります。


パ−ソナリティ−:

 なんだか局長がとても身近に感じられるお話なんですが、他に局長のお薦めの何か鎧兜が見られる場所というのはどこかありますか。


増田局長:

 はい、この山形のですね、最上義光歴史館、そこにですね、36間の筋兜がありますですね。これは非常にいいですねえ。この筋兜の展示の前ではですね、いつも足が釘付けになってしまいますですね。これは傷んでいたものを修復してですね、今ではすっかりきれいになってますけれども、兜の鉢の部分にはですね、鉄砲の弾の当たった痕があるんですね。凹みができています。これは直江兼続との合戦のときに被弾したそうですけども、おそらくすごい衝撃を受けたんだと思いますですね。兜を被っていたとはいえですね、よく無事であったなあと思います。その最上義光歴史館ですけれども、入館料が無料のところがまたいいですね。今後も何度でも訪れたいと思います。
一方、仙台博物館、こちらの方はですね、入館料400円かかるんですけれども、伊達政宗の甲冑とですね、あと支倉常長の遺品が目当てで、何度も行ってますけれども、ここに伊達政宗の甲冑がありまして、これは着脱に便利な五枚胴というものなんですけれども、その様式の胴はその後広く普及しましたけれどもですね、別名「仙台胴」というふうに言われているんですね。そして、この時代の五枚胴は、鉄砲の弾をも跳ね返す鋼鉄製で出来ています。そして甲冑全体がですね、漆黒の黒一色でですね、スターウォーズのダースベイダーを思い出すようなものなんですが。というか、もともとこの政宗の漆黒の具足をモデルにですね、ダースベイダーのデザインをしたと聞いていますけれども。伊達政宗がトップであるわけですね、そのトップから家臣の下々のものまでですね、みんなこの漆黒で黒びかりする具足を統一的に着けていたということなんですね。変に派手な甲冑を纏うよりも、軍勢全体がですね、黒一色ということは、やっぱり敵に威圧感を与えるんじゃないかなあと思います。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、身近な場所ですのでね、是非ラジオをお聴きの皆さんにも足をお運びいただき、ご覧いただきたいと思いますね。


増田局長:

 はい、私の家に飾ってある甲冑をですね、実際に着てみました。二体あるうちの一体はですね、江戸時代のものなんですけれども、当時の武士のサイズで作られていますので、私には着られませんでしたですね。江戸時代における成人男子の平均身長は150センチ代であったんですけれども、私は約180センチありまして、あと身体検査でメタボ気味なんて言われていますので、やっぱり胴がですね、入らなかったですね。それで残りのもう1体は、昭和の時代に作られた当世具足のレプリカなので、何とか着ることができました。当時モノと同じ素材の鉄等で出来ていますけれども、着たときの印象は、意外にですね、重くないなということでありました。壇ノ浦での源平合戦なんかではですね、甲冑を着けた武士が、船から海に落ちるとですね、ズブズブ沈んでいったというようなことを聞いていたもんですから、甲冑はさぞかし重いんじゃないかなあという先入観があったんですけれどもね。とは言えですね、陸上自衛隊の装備しているヘルメットやボディーアーマーとの比較という点で、意外と重くないなと思っただけなもんですから、この陸上自衛隊のヘルメットやボディーアーマーを着けたことがない人からすればですね、やっぱり重いなあというふうに感じるかもしれませんですね。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、源平合戦などの当時のものと今のこういったボディアーマーやヘルメットなどを比べると、やっぱり現代のものの方が軽く出来てきているんでしょうか。


増田局長:

 それがですね、源平合戦の頃の甲冑はかなり重かったかもしれませんけれども、その後の戦国時代以降のですね、甲冑、これ当世具足と言われますけれども、そういった甲冑の重量はですね、機能性を重視していますので大分重量が落とされています。ちなみに、仙台市博物館にあります伊達政宗所用のですね、五枚胴具足、これは兜が2.5キロ、胴が13.7キロという重量なんですね。これは私が以前着用していたことがある陸上自衛隊のヘルメットとボディーアーマー、正式には88式鉄帽と防弾チョッキ2号と言うんですけれども、これらの重量とですね、あまり差はないということになります。ボディアーマーにはですね、分厚いセラミック板がですね、これだけでも結構重いんですが、そういうものが挿入されていました。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、あまり変わらないんですね。ところで局長は過去にボディアーマーを着ていたと、さきほどお話に出てきたんですが、お伺いしてもよろしいですか。


増田局長:

 はい、私は文官なんですけれども、文官である私がいつそういったヘルメットとかですね、ボディーアーマーを着用していたかといいますと、イラクのサマーワでですね、約半年間いたことがありますが、当時ですね、暗くなると迫撃砲が飛んでくるんですね。ということで日没時間以降はですね、寝床に入るときを除いて、ヘルメット・ボディーアーマーの着用が義務付けられていたんです。夜中にトイレに行きたくなった時なんかもですね、このヘビーなヘルメット・ボディーアーマーを着けてですね、用を足しに行かなきゃいけないんですね。昼間はもちろん、宿営地の外へ出て行くときもですね、こういったものを着用して出て行くことが必要です。私は、元々腰痛持ちだったもんですから、こんな重いものを着けて腰の方は大丈夫かなと当初心配だったんですが、ところが大リーグボール養成ギブスじゃありませんけれどもですね、かえって筋肉が鍛えられまして、以後腰痛が無くなったんですね。あと首についても同じで、かつてはひどい凝り性でですね、首・肩の凝りがすごかったんですが、重いヘルメットを着けていたおかげでですね、首の筋肉が鍛えられまして、そういった凝りがですね、すべて解消してしまったんですね。

パ−ソナリティ−:
 命を守ってくれるだけではなく、以外な点での活躍がありますね。

増田局長:
 それでこの重いヘルメットとボディーアーマーはですね、装着しないときは、私は床にうっちゃっておいたんですけれども、中には材木で鎧懸けと同じようなものを作ってですね、それにヘルメットとボディーアーマーを懸けている人がいましたけれども。その鎧懸けというのは材木で作った骨組みみたいなもんですけれども、そこにこう懸けておくとですね、ディスプレイとして中々いいんじゃないかなあと思いました。こどもの日の端午の節句ありますけれども、その時にキラキラした鎧兜を飾るんじゃなくてですね、迷彩色のヘルメットとボディーアーマーを飾るのもですね、現代風で良いんじゃないかなあと思いまして、もし五月人形店でそういうものを売りに出すんだったら、私は買いたいですね。
ということで、つまらない話ですけれども、一応最後は自衛隊の関係のある話になりましたけれども。


パ−ソナリティ−:
 上手につなげていただきました。さて本日の自衛隊百科は、東北防衛局の増田義一局長から、「甲冑とヘルメット・防弾チョッキ」についてお話を伺いました。局長、本日もどうも有難うございました。

増田局長:
 どうも有難うございました。


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