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防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(10月放送内容)



テ−マ:増田義一新東北防衛局長自己紹介(その2)

パ−ソナリティ−:

 このコ−ナ−では防衛省・自衛隊や日本の防衛について詳しく、そして分かりやすくお話しをいただいております。さて、今回からは9月1日付けで着任されました増田義一局長にお話しを伺ってまいります。


増田局長:

 よろしくお願い致します。


パ−ソナリティ−:

 では、経歴からお話いただいてよろしいでしょうか。


増田局長:

 はい。私は1984年に防衛庁に入庁致しまして、その後、主として内部部局というところがあるのですが、そういった様々な部局に勤務し、また、何度かの海外勤務経験がございますが、国内に関しては初めての地方勤務でございます。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。防衛庁に入庁されたのが1984年ということなのですが、どういった頃だったのでしょうか。

増田局長:
 そうですね、もう26年も昔の話になりますが、当時は冷戦、東西冷戦の末期だったということが言えるかと思います。ベルリンの壁崩壊の5年前の話であります。極東では、この前の年の9月ですがロシア空軍機による大韓航空機撃墜事件というものが起きています。若い方がご存じかどうか分かりませんが、大韓航空機撃墜事件というのは、アンカレッジからソウルに向かっていた大韓航空機007便が、慣性航法装置に入力ミスがあり、それが原因でカムチャッカ半島、あるいはサハリンの領空を侵犯してしまったのです。それがロシア軍機に領空侵犯ということで撃墜されまして、北海道の北、サハリン近海に墜落した事件なんですね。当時、乗員乗客約270人が亡くなりましたが、正にこの北の地域では緊張が続いていた、そういう時代でございます。余談になりますけれども、私がこの事件の後、防衛庁に入庁するまでの間なのですが、今、大学生の間で流行っている卒業旅行ですね、当時は卒業旅行という言葉はございませんでしたけれども、そういったことでヨ−ロッパに一人で旅に行ったのですが、この時に大韓航空機を使って行きました。当時、ヨ−ロッパへ行くには、必ずアンカレッジ経由で行く訳ですけれども、この正に大韓航空機撃墜事件が起きたですね、アンカレッジ、ソウル間を飛んでいく航路を使って行ったものですから、乗客の皆様は怖がってこういった航空機には乗らないのですね。ですから、ガラガラでありまして、ジャンボ機の中央の座席が沢山並んでいる部分に誰も座っていないものですから、そこに横になって旅行することができたというような思い出がございます。


パ−ソナリティ−:

 さて、それから入庁ということになる訳ですけれども、入庁後は主に内部部局ということですが。?


増田局長:

 はい、内部部局の中で今まで勤務しましたのは、大臣官房、防衛政策局、運用企画局、人事教育局、経理装備局、これらの局をぐるぐると回って参りました。内部部局は、1官房5局と言いましてそれだけの部局あるのですが、まだ未経験なのが地方協力局だけですね。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。いわゆる自衛官ではなく、防衛省職員ということでよろしいのでしょうか。


増田局長:

 自衛官ではないのですが、自衛隊員ではあるんですよね。


パ−ソナリティ−:

 そうなんですか?


増田局長:

 よく誤解されるので、少しご説明させていただきます。


パ−ソナリティ−:

 はい、お願いします。


増田局長:

 まず、防衛省と自衛隊というのは実は同じものなんですね。内部部局や陸海空自衛隊を含めて、これらを行政組織という面から捉えると、防衛省ということになります。法律で言えば防衛省設置法というものがありますけれども。それとこれらを実力組織という面から捉えれると自衛隊ということになります。自衛隊法という法律で規定されているのですが。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。同じものだから、防衛省・自衛隊という言い方がされていると言うことなんですね。


増田局長:

 はい、正にそのとおりです。ですから、いわゆる制服組と言われる自衛官は、自衛隊員でもあるし、防衛省職員でもある訳です。私のような、いわゆる背広組と言われる文官も自衛隊員でもあるし、防衛省職員でもある訳です。背広組も自衛隊員でありますので、防衛省に入る際には宣誓をやります。その宣誓の中で、「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」とやって入ってくる訳です。最近は、入省の時だけじゃなく、人事異動の度にこういう宣誓をやっているのです。従いまして、我々のような文官もいざという時には命をかけて働くという気構えはあるということです。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。では、人数としましては、どの位いらっしゃるのでしょうか。


増田局長:

 自衛隊員は、自衛官の現員で見ますと約23万人です。これに対しまして事務官等、文官も正式名称で言うと事務官等と言うのですが、約2万2千人ほどおります。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。では、内部部局と言いますとどういったところなのでしょうか。


増田局長:

 霞ヶ関で言う本省の事ですね。政策の企画・立案をやっていると言えば分かりやすいかなと思います。ちなみに防衛大臣を補佐する機関として、内部部局の他にですね、統幕、陸幕、海幕、空幕というようなものがありまして、それぞれの任務に従って防衛大臣を補佐する機関であります。ですから、内局は政策の企画・立案との観点から防衛大臣を補佐している訳であります。


パ−ソナリティ−:

 なるほど。今回、増田局長はその内部部局から東北防衛局に異動されたわけですけれども、この東北防衛局の役割と言いますとどういったことなのでしょうか。


増田局長:

 はい。平成19年以前は防衛庁の外局に防衛施設庁というものがありましたけれども、その防衛施設庁の地方支分部局として、仙台防衛施設局というものがございました。それが平成19年に防衛施設庁を廃止するなどの組織改編がありまして、その時に東北防衛局というものが出来まして、東北地方における防衛行政の拠点として、新たに生まれ変わったところであります。その際に、防衛施設局と装備本部の地方機関を統合して、防衛政策に係る地方との調整・協議といった、地方における防衛行政全般についての拠点となったわけであります。地方防衛局では、防衛省全体の事務を円滑かつ効果的に実施するために防衛省の施策とか、あるいは、米軍再編に関係した地元説明、各種の地元調整といったような様々な業務をやっています。これは法律的に言うと地方協力確保事務というような言い方をするのですが、そういったものを行って地方公共団体や地域住民の理解と協力を得ているところであります。


パ−ソナリティ−:

 はい、分かりました。なお、増田局長は海外勤務経験も何度かあるそうですね。


増田局長:

 ええ、アメリカに2回ほど行きましたし、後、イラクもですね、1回の勤務の経験がございます。

パ−ソナリティ−:
 では、次回はそういった海外の経験や防衛省・自衛隊の海外での活動等についてお話しを伺いたいと思います。

増田局長:
 はい。


パ−ソナリティ−:

 東北防衛局長の増田義一局長にお話しを伺いました。
 どうもありがとうございました。

増田局長:
 どうもありがとうございました。




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