本部長の群馬紀行
第43回 産業・文化・国際都市の自然と周辺の史跡

 皆様、こんにちは。
 北海道・東北地方は大荒れの天候が続きますが、前橋市内は暖かい陽射しの日が少しずつ増えてきました。

 今月末に実施する防衛大学校学生の後期試験を除き、平成26年度の自衛官等採用試験はほぼ終わりました。たくさんの受験ありがとうございました。採用予定の皆さんの入隊をお待ちしています。

 

 さて、群馬紀行第43回は、前橋市内から約40km、1時間の産業・文化・国際都市「大泉町」の自然と周辺の史跡をご紹介します。

 

 邑楽郡大泉町は、旧小泉町と旧大川村が合併して誕生した町で、太田市、邑楽町、千代田町、利根川を挟んで埼玉県熊谷市に接する群馬県で一番面積の小さい町ですが、北関東でも屈指の製造品出荷額を誇る産業都市です。また、日系ブラジル人をはじめとする外国人労働者を積極的に受け入れた結果、人口の10人に1人がブラジル人となり、毎年「大泉カルナバル」と呼ばれるブラジルイベントが開かれています。写真は、東武小泉線の西小泉駅から南に向かってハナミズキの街路樹が続く全長約1kmの「ハナミズキ通り」で、向かって右側には町役場があり、左側は広大な工場敷地となっており、昭和62年に「日本の道100選」に選ばれました。

 

 

 町の標高は概ね30〜50m、内陸型の温暖な気候のため、古くから人が住んでいたようです。町内には旧石器及び縄文時代の遺跡が数多く存在し、大泉町朝日の「御正作(みしょうさく)公園」造成時に発掘された「御正作遺跡」はその代表的なものです。写真は、御正作(みしょうさく)公園に隣接する勤労複合施設「いずみの杜」の高さ約40mの展望台で、周辺一帯はもちろん、上毛三山を始め遠く富士山やスカイツリーを見ることができます。

 

 

 東毛地域は古墳が数多く存在することでも知られており、隣の太田市には東日本最大の大型前方後円墳「太田天神山古墳」があります。また、大泉町古海(こかい)の「古海天神山古墳」から出土した「埴輪椅子に腰掛けた女子」は、国の重要文化財に指定されています。写真は「古海原前(こかいはらまえ)1号古墳」ですが、5世紀末から6世紀初頭にかけて造られた帆立貝式古墳で、全国でも珍しい四重の埋葬施設が確認されました。

 

 

 

 古海原前1号古墳の近くにある「高徳寺」は、後醍醐天皇など南朝方3代に仕えた忠臣・児島高徳(こじまたかのり)を開祖として開山されました。1311年に備前国(岡山県)児島で生まれた高徳は、1332年に後醍醐天皇が隠岐に流される際、天皇奪還を画策しますが果たせず、宿舎の庭の桜の木にその意志を伝える漢詩を彫って天皇を勇気づけました。その後、新田一族に従って各地を転戦し、1372年には新田荘に近い邑楽郡で兵を募りますが願い叶わず、この地に隠棲して1382年に72歳で亡くなりました。写真は、高徳寺にある高徳の墓です。

 

 

 

 大泉町城之内(しろのうち)の「小泉城」は別名「小泉冨岡城」とも言われ、下総(茨城県)の結城氏の一族が冨岡直光と名を変えて1489年に築き、冨岡氏6代が古河公方、上杉氏、北条氏に属して東毛の重要な拠点となりました。1590年の豊臣秀吉による小田原攻めの際には北条氏に属していたため、浅野長政、前田利家らの軍勢に攻められて落城し、約100年の歴史の幕を閉じました。屈曲した東武小泉線が、かつての城域を囲むように近くを通っていますが、本丸の水掘や土塁などが良く残っており、現在は城之内公園として整備されています。

 

 

 

 東武小泉線を挟んで小泉城跡の反対側にある「龍泉院」(りゅうせんいん)は、2代秀光が冨岡氏の菩提寺として建立したもので、小泉城落城後は荒廃していましたが、江戸時代に再建されました。写真左は初代直光お手植えの「昇龍松」、写真右は直光の妻・お藤の方お手植えの「老藤棚」で、松の根元に3代秀信の子孫が江戸時代に建てた秀信の供養塔があります。

 

 

 小泉城跡に隣接する「小泉神社」は、かつてこの辺りに佐貫荘を開いた佐貫氏(群馬紀行第22回参照)が、それ以前にこの地の産業開発に功労があった長柄氏(同第41回)の威徳を追慕して883年に「長柄明神」として創建したもので、その後初代直光が再建しました。小泉城落城の際の戦火により焼失しますが、長柄明神は間もなく再建され、彫刻が見事な本殿は1854年に造営されました。小泉城築城時には数百本のケヤキが城の内外に植えられましたが、後に御用材として伐採されたため、小泉神社の大ケヤキは江戸時代に植え替えられたものだそうです。

 

 

 文化都市宣言した大泉町民の文化財保護に対する意識高揚のために開館した「文化むら」(大泉町朝日)には、大泉町から出土した埋蔵文化財の展示室や明治時代の養蚕農家の家屋や民具、農具などが展示された資料館があります。写真右は、江戸時代に生産が開始され瓦などに用いられて大正時代に最盛期を迎えた「小泉焼」の窯を復元したもので、横から見ると猫がうずくまったような形状から「猫窯」と言われています。正面の建物が資料館で、左は明治40年に建てられた養蚕農家を移築したものです。

 

 

 ところで、南側に西上州や埼玉県の山が連なる前橋市周辺から富士山を見るためには、ある程度の標高に登る必要がありますが、昨年2月に全線開通した東毛広域幹線道路(国道354号バイパス)を東に進んで行くと次第に山が離れて低くなり、富士山が顔を出すようになります。写真は、小泉城の出城として築かれた「丘山城跡」(大泉町丘山)から写したものですが、利根川に接する町の南部で、この辺りが群馬県の平野部から富士山を見ることができる西限のようです。

 

 (参考図書等:大泉町HP、大泉町文化むら、「群馬県の歴史散歩」(山川出版社)、観光パンフレット、現地の説明板等)