本部長の群馬紀行
第20回 碓氷峠と碓氷峠鉄道施設

 皆様、こんにちは。
 厳しい残暑と不安定な天候が続く中、広島では大きな災害が発生しました。自然災害はいつどこで発生するか分かりませんが、局地的な豪雨や突風などの気象情報には細心の注意が必要です。

 現在、自衛官候補生、一般曹候補生、航空学生の各試験の受付けを行っていますので、公務員や自衛官という職業に関心のある方の多数の応募をお待ちしています。

 

 さて、群馬紀行第20回は、前橋市内から約50km、1時間30分ほどの群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町の県境にある碓氷峠(うすいとうげ)と碓氷峠鉄道施設をご紹介します。

 

 

 碓氷峠は、群馬県側から長野県側にかけて一方的な上りが続く片勾配の峠で、古代より要衝険難の地として東海道箱根の天嶮と並び称されていました。古代には標高1,030mの入山峠付近(国道18号バイパスが通過)を通る南側の道が利用されていたことが当時の遺跡から推定されるそうですが、中世以降は、県境上に熊野神社の建つ標高1,200mの峠(旧碓氷峠)を通る北側の道が利用されるようになりました。写真は、旧碓氷峠の見晴台から見た群馬県側です。

 

 

 江戸時代には中山道が整備され、旧碓氷峠を通る道が本道とされました。麓の横川村には碓氷関所が置かれ、関東出入国の関門として「入鉄砲に出女」が厳しく監視されました。幕府は江戸の北の守りとして上州(上野国)を重視し、川や峠などの自然の要害を利用して関所を置きましたが、全国53の関所のうち上州にはその4分の1に当たる14の関所があったそうです。碓氷関所跡はJR横川駅から歩いて数分の距離にあり、東西の門のうち安中藩が管理していた東門(西門は幕府管理)が復元されています。

 

 

 中山道は、東海道に比べ距離は長く峠道も多いのですが、大きな川の増水による川止めがないので、予定通りの旅行が可能となり、多くの旅人に利用されたようです。麓の坂本宿は上州側の最後の宿場町で、集落のない所に新しく造られたため整然とした町割りがなされたそうですが、今もその当時の面影が残っています。当時の中山道は、写真正面の刎石山(はねいしやま)を超え、更にその奥の旧碓氷峠を越えて、軽井沢宿に至りました。

 

 

 明治になると、標高960mの碓氷峠を通る碓氷新道(現在の国道18号)が開通し、鉄道も横川〜軽井沢間を除く上野〜直江津間に延長されると、この空白区間に鉄道の敷設が計画されます。そして着工から1年9か月後の明治26年、碓氷新道付近に延長11.2km、高低差553m、26のトンネルと18の橋梁を有する碓氷線(信越本線のうち横川〜軽井沢間の通称)が開通しました。旧国鉄一の急勾配66.7‰(パーミル、1000mで66.7m上がる)に対処するため、ドイツの山岳鉄道で実用化されていたアプト式(軌道の間に敷かれたラックレールと機関車の歯車を噛み合わせて走る方式)が採用され、時速9.6km、所要時間80分で走りました。

 

 

 以来アプト式による碓氷線は70年間運転され、昭和38年に粘着運転(峠のシェルパの愛称で呼ばれた旧国鉄一重いEF63型機関車の2両編成が列車を押し上げる方式)による新線に後を譲りますが、平成9年の長野新幹線開業に伴い、碓氷線は104年間の歴史を閉じます。廃線に先立ち、平成5年に鉄道施設の一部が「碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定され、平成13年には廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」が整備されました。写真は、長さ91m、高さ31mで202万8千個の煉瓦を使用した碓氷第3橋梁(めがね橋)です。

 

 

 アプトの道は、JR横川駅を起点として、碓氷線で唯一の平坦地であり上り列車と下り列車のすれ違いが行われていた標高689mの旧熊の平駅までの約6.2kmが整備され、10か所のトンネルをくぐり、5つの橋梁を渡り、当時の急勾配を実感しながら散策することができます。写真は5号トンネルから見ためがね橋の橋上とその先の6号トンネルですが、最長546mのトンネル内は天然の冷蔵庫のように涼しく、外の暑さから解放されます。

 

 

 また、写真のとおり、アプトの道の中間付近を分岐すると碓氷湖に行くことができます。碓氷湖は、碓氷川と中尾川の合流点を砂防用の坂本ダムによって堰き止めて造られた人造湖で、湖畔には一周約1.2kmの遊歩道が整備され、碓氷鉄道施設をイメージして造られた明治風の朱色の橋やトンネルがあるので、アプトの道の延長として散策を楽しむことができます。

 

 

 

 碓氷線は当初蒸気機関車でしたが、トンネル内の煤煙問題の解決と輸送力増大のため、明治45年に日本で最初に電化され、時速19.2km、所要時間40分にスピードアップしました。写真は、煉瓦造りの「丸山変電所」と廃線の下り線を利用して走るトロッコ列車です。丸山変電所は、碓氷線のために横川に建設された火力発電所の電気を機関車に供給するための施設で、昭和38年の新線開通まで使われていました。

 

 

 碓氷線の廃止により横川駅は信越本線の終点駅となり、空き地となった西側隣接地には鉄道資料館や各種の機関車等が集められた「碓氷峠鉄道文化むら」が開設され、トロッコ列車がアプトの道の途中まで運行されています。写真は、横川駅と碓氷峠鉄道文化むら(右後方)ですが、手前に見える側溝の蓋は、不要となった大量のラックレールを再利用したもので、現在も旧碓氷線近郊などで広く使われているそうです。

 

 (参考図書等:「さよなら碓氷線」(あかぎ出版)、「群馬県の歴史散歩」(山川出版社)、安中市HP、観光パンフレット、現地の説明板等)