本部長の群馬紀行
第17回 新田荘遺跡(その2)

 皆様、こんにちは。
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 さて、群馬紀行第17回は、前回に引き続き新田荘遺跡(その2)です。今回は、上毛かるた「歴史に名高い新田義貞」で有名な新田義貞に関連する史跡を中心にご紹介します。

 

 新田本家は、4代政義の後、正氏、基氏、朝氏と続き、8代義貞は1300年頃に誕生したと伝えられています。この頃の新田本家は、前回でもご紹介したとおり、北条家と姻戚関係を結び鎌倉幕府の要職にあった足利氏に比べ、同じ源氏でありながら無位無官の不遇をかこっていました。写真は、義貞誕生の地として伝えられている「台源氏館跡」(太田市由良町)です。

 


 義貞誕生の地については諸説あり、その一つに里見説があります。前回ご紹介したとおり、初代義重の長男の義俊は、里見の地を与えられて里見氏を称しますが、義貞は、幼名を里見小五郎と称してこの地で育ち、長じて新田本家の養子となったというものです。写真は「里見城址」(高崎市下里見町)ですが、里見氏は1441年の結城合戦に敗れ房総に逃れるまでの約290年間、この城に居住してこの地を治めました。なお、江戸時代の滝沢馬琴が書いた読本「南総里見八犬伝」は、里見氏が房総に逃れるところから始まっています。


 新田一族の館跡は、前回ご紹介した総持寺のほか、「江田館跡」(新田荘遺跡、太田市新田上江田町)や「反町(そりまち)館跡」(新田荘遺跡、太田市新田反町町)などがありますが、写真の反町館跡はその代表的なもので、義貞が青年期を過ごしたとも伝えられています。南北120mの凸型をした館跡の周囲に水をたたえた堀が取り囲み、戦国時代には、太田金山城(新田荘遺跡「金山城跡」、太田市金山町)の支城として三重の堀を巡らす城郭に拡張されたそうです。


 義貞は後醍醐(ごだいご)天皇の綸旨(りんじ)を受け、1333年5月8日、一族郎党わずか150騎を率い、反町館近くの「生品(いくしな)神社境内」(新田荘遺跡、太田市新田市野井町)で倒幕の旗挙げをしたと伝えられています。写真の右は、生品神社の拝殿前に保存されているクヌギの大木の一部で、義貞が軍旗を掲げた木とされています。なお、作家の新田次郎氏は、気象庁職員だった頃、雷の研究のために生品神社の社務所に滞在しましたが、その時に小説「新田義貞」の構想が練られたそうです。


 生品神社では、毎年5月8日に「鏑矢(かぶらや)祭」が行われていますが、これは、義貞が旗挙げの際に鎌倉へ向かって矢を放ったという故事にならったものです。写真は、義貞が放った矢が刺さったと伝えられる「矢止の松」(太田市新田反町町)で生品神社の南約2.5kmの地点にあります。更にここから南約1kmの大通寺(太田市新田木崎町)境内には進軍の途中に冠をかけたと伝えられる「冠掛の松」が、太田市亀岡町には利根川の手前で休息した際に馬を繋いだと伝えられる「義貞駒つなぎの松」があります。


 義貞は、挙兵後、一旦西方(高崎市方面)に向かい、同族の里見氏や山名氏、越後の新田一族などと合流した後、鎌倉街道を南下します。小手指河原(こてさしがわら、埼玉県所沢市)や分倍河原(ぶばいがわら、東京都府中市)の戦いで幕府軍を破り、5月18日に鎌倉を包囲、22日に執権・北条高時を自刃に追い込みます。写真は、義貞が居住したとも言われる安養寺館跡の「明王院(みょうおういん)」(新田荘遺跡「明王院境内」、太田市安養寺町)ですが、ここの不動明王が山伏に化身して一夜にして越後の新田一族に挙兵を触れ歩いたと伝えられ、別名「新田触(ふれ)不動尊」とも呼ばれています。



 
義貞はその後、後醍醐天皇に仕え、建武の新政の要人として、天皇と対立する足利尊氏(足利源氏の8代)と各地で戦いますが、その間一度も故郷の新田荘に帰ることなく、1338年7月に燈明寺畷(とうみょうじなわて、福井県福井市)で壮絶な最期を遂げたと伝えられています。写真は、花見塚公園(太田市武蔵島町)にある義貞の首塚と勾当内侍(こうとうのないし)の墓です。建武の新政に尽力した恩賞として、義貞は後醍醐天皇のおそばに仕え当代一の美人と言われた勾当内侍を賜り、この地に館を構え各地から集めたつつじの名木を植えますが、義貞の没後、内侍は尼となってこの地で義貞の菩提を弔ったとも伝えられています。つつじが群生する内侍の墓は「花見塚」と言われ、江戸時代初期の館林城主・榊原忠次が、このつつじを城下に移し、現在のつつじが丘公園の古木になっているそうです。

 

 なお、今後の「新田荘遺跡(その3)」では、義貞没後の新田一族関連の史跡を中心にご紹介します。(参考図書等:「新田義貞」(新潮社)、「群馬県の歴史散歩」(山川出版社)、新田荘歴史資料館、観光パンフレット、現地の説明板等)