本部長の群馬紀行
第7回 白井宿と白井城跡

 皆様、こんにちは。
 梅雨の時期が近づいていますね。
 自衛官の募集種目の中に、採用予定数は若干名ですが、大学において応募資格に定められた学部・専攻学科等を卒業後、2年以上の業務経験のある人を対象に、その経験を活かし、装備品等の研究開発、維持整備に関する業務又は心理、気象、安全保障に関する業務に従事する幹部自衛官を採用する「技術海上幹部・技術航空幹部」があります。先週、受付期間は終了しましたが、今年度は群馬県から2名の応募がありました。ありがとうございました。

 
  さて、群馬紀行第7回は、渋川市の白井宿と白井城跡をご紹介します。場所は、前橋市内から約20km、車で45分ほどの距離にある国道17号鯉沢バイパス沿いの道の駅「こもち」に隣接しています。


 白井宿は、室町時代には後述する白井城の城下町でしたが、江戸時代の初期に白井城が廃城となった後は、「六斎市」が定期的に立つ市場町として繁栄しました。宿場町ではありませんが、短冊形の町割り整備が行われ、道の左右に家並みが続く様は宿場町そのものであることから「白井宿」と呼ばれるようになったそうです。

 



 
現在の白井宿は、バイパスに平行に南北に約900m続いており、道の中央に「白井堰」(しらいぜき)が流れ、つるべ井戸や石造物が整備され、土蔵造りの家屋も残っていて、タイムスリップしたような感覚で往時を偲ぶことができます。ただし、白井堰を挟んで左右の道は一方通行の車道となっているので、車の通行に注意する必要があります。



  白井城は、1430年頃、利根川と吾妻川が合流する河岸段丘の自然の要害を利用して築かれた城で、関東管領山内上杉氏の配下であった白井長尾氏の居城です。豊臣秀吉の小田原攻めで落城した後は、徳川家が入り白井藩の居城となりましたが、1624年に廃城となったそうです。その城跡は、白井宿の南側にある案内板に従って小路を西側に入り、石階段を登って神明宮という祠を左に曲がり、土手をしばらく進むと樹林の中に空堀跡などが見えてきます。

 

 


 城跡は河岸段丘の地形に沿って南北に細長く、神明宮から本丸跡にかけて遊歩道が良く整備されていて、郭(くるわ)の周囲や深い空堀の跡を散策しながら気持ち良く歩ことができます。二の丸、三の丸跡は農地になっていますが、本丸跡は土塁や石垣が良く残っていて、吾妻川を挟んで対岸の榛名山が大きく望めます。

 



 国道17号での帰り道、中村の交差点を右折して、JR渋川駅の南西約1.5kmほどの所にある「中筋遺跡」に寄ってみました。ここは、今から約1500年前の榛名山の大噴火で一瞬にして埋没した古墳時代中期の集落跡で、火山灰に覆われていたため、集落の遺跡がほぼ完全な形で残されていたそうです。現代の住宅に囲まれ、当時の集落がそっくりそのまま佇んでいる様は、何とも不思議な光景です。竪穴式住居や平地式住居、祭祀跡などが復元され、住居内に入って見学することができました。(参考図書等:「群馬県の歴史散歩」(山川出版社)、現地の説明板、観光パンフレット等)