これは、第1回・第2回災害等招集に参加し、被災地での災害派遣活動を終え八戸駐屯地に帰隊した女性即応予備自衛官2名と自衛隊青森地方協力本部長が対談したもの。


<女性即応予備自衛官>

【写真左】3等陸曹 下山 礼子(しもやま れいこ)

【写真右】3等陸曹 象潟 絵夢(きさかた えむ)

竹本:第1回、第2回と述べ2週間の災害派遣活動お疲れ様でした。長期間だったので、だいぶ疲れたでしょう。

下山・象潟:とても疲れました。

象潟:災害派遣活動中は、1日の時間がとても長かったです。

竹本:毎日、どれ位の時間支援活動を行ったんですか。

象潟:朝8時頃から夜10時位までです。

竹本:現地では主にどういう仕事をしていましたか。

象潟:生活支援が中心で、私たちは入浴支援の仕事をしていました。

竹本:お風呂は陸上自衛隊の装備品ですか。

象潟:天幕を立てて湯船を設置して、そこに80℃のボックスにお湯を入れて運び、いい湯加減になるように調節しながら湯船に注ぎ入れていました。作業初日からかなり腰が辛かったです。最初はとても大変でしたが、途中からポンプ車が入ったりして、だんだんと改善されていきました。

竹本:入浴支援では、活動写真にもありましたけど、主に女性の入るほうを手伝っていいたんですか。

象潟:はいそうです。女性即応予備自衛官は人数が少ないので大変でした。

竹本:今は体調のほうはどうですか。

象潟:まだ腰は痛いですね。

竹本:その仕事をしながらでも、被災地を見る機会はあったと思いますが、実際の被災地はどうでしたか。

下山:すでに支援物資がたくさん届いている時に行ったんですが、女性用の下着がなく女性被災者は困ってました。

竹本:今でもそうなんですか。

象潟:最初の1週間は特にそう感じました。実際のところ、下着も洗う場所もないですし、洗ったとしても、小部屋であれば干すこともできますが、大部屋だと干すところもないのが現状です。

下山:そういうところもありましたが、被災者に対する個人の方々からの支援物資は沢山あり、早い者勝ちのではないのですが、必要な方はどうぞという形でフリーマーケットのような感じでグランドに並んでいて、被災した方々が必要なものを探していました。全体的には必要以上にきているという状態だったり、本当に必要なものがなかったりしている感じはありました。

竹本:他にはどんなことを感じましたか。

象潟:入浴支援は避難所で行っているので、その中にいる人には役場の人がお知らせしているのですが、自宅等で生活している周辺地域の人達には情報が伝わっておらず「たまたま聞いてきた」とか「知り合いが教えてくれた」など、こういう支援が行なわれていることすら知らない人が多数いるのが現状だと思います。ライフラインが復旧しているところでは、テレビにより、何処でどういう支援をしていますというような情報をテロップ等で知ることができますが、被災地では電気がきていませ んし、ラジオでは小さい地域の情報までは入りません。被災者が利用できる移動用のバス等も運行されているのですが、避難所へ乗車してこられる方は1~2名で、多分そういうものがあることすら分からないのが状況でした。活動をしながら一部の方しか支援できていないという状況にとても切なさを感じました。

竹本:お二人はどの被災地で支援活動をしていたんですか。

下山:派遣当初は七ヶ浜地区周辺で主に活動していたのですが、2日に1回ぐらいのペースで支援場所を移動していました。そのため、被災者の方がこの支援に関する情報を知った時には、既にその場所で活動していなくて、探し回っていた方もおられたと聞きました。定着されないことから、私たちがその地区の何処にいるのか、また、次に何処に行くのかも分からないのですから、被災者の方々も自衛隊が何時何処で支援するのか当然分からなかったと思います。また第3派からは、役場から の要請で1日毎に異なる支援場所を転々とし活動していたので、その開設や撤収には半日以上かかりますし、やはりとても大変でした。精神的疲労に加え肉体的にも・・

象潟:現場では正直もどかしかったです。被災者の皆から「今日はお風呂に入れるんですね。明日は?」と言われると「明日は移動してしまうんです」と答え、「あ~↓」という感じでした。しかも翌日移動したら、その移動先が実際は何百mしか離れていなかったとか。また、支援場所が工事現場の中という時もありました。

竹本:入浴支援の際、お湯はどうやって沸かすのですか?

下山:炊事車でお湯を沸かしていました。給食支援の炊き出しが終わったら、次は入浴のためのお湯を沸かすという繰り返しを長時間、毎日のように行っていましたので、私たちが派遣されている間でも、数回故障などで修理や交換したりと、色々なハプニングもありました。

竹本:入浴支援は、朝から夜までずっとしていたのですか。

象潟:朝からの支援したところや、午後3時から10時頃までの時など、支援場所により異なりました。

竹本:入浴後は、皆さん喜んでいましたか。

下山:「お風呂に入るとぜんぜん違う。」とサッパリ顔でおっしゃるご年配の方や、お風呂の中で「きゃっきゃっ」と騒いだり、「気持ちよかった~!」と笑顔で天幕から出てくる子供たちがとても印象的でした。やはり「お風呂があるだけでも違うんだな~」と思いましたし、実際、支援活動中は毎日お風呂に入れるわけではなかったので、『お湯があって、お風呂に浸かれる。』ただそれたけで違うのだなあと私たちも改めて実感しました。

竹本:お二人は、お風呂は入れたんですか?

象潟:2日に1回は入ることができました。しかし、被災者の方々の中には、震災からずっとお風呂に入っていない方も多くいました。被災者全員を入浴させてあげることはできませんが、せめて入浴するために来られた方々には気持ち良く入っていただきたいという一心で頑張りました。

竹本:公民館などで浴場を開放してるところもあるとテレビなどで耳にしましたが。

象潟:そういう話を被災者の方々からも聞きましたが、私たちは朝から夜まで生活支援をしていたので、テレビやラジオを聞いてる時間が全くありませんでしたので、実は世間や被災地では何が起きてるか全然わからなく、逆に被災者の方々からそのような情報を耳にすることが多かったように思います。

竹本:被災地では、被災者に対し街頭車などによるマイク放送や町内放送とかで伝えたりしていましたか。

下山:大きな地震などがあった時にはありましたが、普段は殆どなかったと思います。若い方は、携帯やパソコンでツイッターなどの情報を得ることはできますが、お年寄りの方々は使えませんので、情報は口コミ位しかなかったと思います。

竹本:今回の災害派遣は、ご自身の子供のことを気にしながらの参加でしたが、どうでしたか。

下山:今まで、子供とは2~3日会わない時はありましたが、2週間以上家を空けたり、子供に会えなかったことはなかったので、今回一旦帰宅して子供に会えるのが楽しみです。

竹本:今一番なにがしたいですか。

象潟:とにかくお肉が食べたいです。

竹本:支援活動中、食べ物は缶詰だけだったんですか。

象潟:はい。毎日、缶詰ばかり食べていたら、口の中が口内炎だらけになりました。胃薬やビタミン剤を飲んでも全然直りませんでした。身体が拒否反応を起こしていたのか、缶詰を見るだけで口の中が「シュワシュワ」になりました。

竹本:缶詰以外の食事はなかったのですか。

象潟:残念ながら缶詰しか出ませんでした。被災者の方々は、支援物資が届く前は一日一食の時もあったと聞きましたので、贅沢は言えません。

竹本:今回の派遣で、一番大変だったことは何ですか。

象潟:夜の寒さが一番辛かったです。宿営地には浜風が強く夜間はかなり冷えます。毛布を被ってホッカイロを抱いて寝るのですが、それでも寒かったです。身体が疲れきっているので、仕事が早く終わった日には9時頃には寝ていました。そうでもしないと、身体が疲れたまま翌日仕事をするのは大変なので、休める時は早めに休むようにしていました。実際、天幕では電気もないので、食べたら寝るしかないんですが。

竹本:今回の派遣を通じて、誰かに伝えたいことはありますか。

象潟:招集に応じて実際出頭する際、懐中電灯を持参しなければならなかったのですが、乾電池が売り切れていて買うことができませんでした。その際、家族や友人らが用意してくれて本当に助かりました。自分たちが必要なのにもかかわらず協力してくれたことに対して、本当にありがとうございましたと言いたいです。

下山:今回の災害派遣では、とても貴重な経験ができたと思います。出頭にあたって協力してくれた職場の方々や友人、そして家族に、お菓子などのお土産はありませんが、私が経験したことを土産話としてお話ししたいと思います。

竹本:今日は戻ってきた直後のお疲れのところ、貴重なお話しを聞かせていただき、本当にありがとうございました。どうぞ、ゆっくり身体を休めて、次の出頭に向け鋭気を養って下さい。

下山・象潟:どうもありがとうございました。

【このページのトップへ】