「技術開発官 曽我海将による課外講演
電気情報学群(学群長:高橋信明教授)では、学会、産業界などで最も権威ある方々を招へいして課外講演を開催しています。その一環として同学群機能材料工学科(学科長:田代新二郎教授)では、6月17日(金)午後、防衛省技術研究本部技術開発官(船舶担当)の曽我眞二海将(工学博士)をお招きし、機能材料工学科3学年生、研究科学生、教職員を対象として課外講演を実施しました。
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入校から3カ月が経って 1学年 伊藤 駿(石川県 小松高校)
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電気情報学群主催課外講演 「世界の中の日本」
東京工業大学学長 伊賀健一博士
怒涛のように過ぎていく毎日に防大生活の充実を感じずにはいられない。学生舎生活や勉学、校友会のサッカーなどに打ち込む中で、この3ヶ月はとても短く感じ、毎日が刺激に溢れ、毎日が成長の糧になった。そんな日々を過ごす中で私が強く感じたことが2つある。
まず1つ目は、人の繋がりの大切さである。防大生活では同期の助け合いが不可欠である。また、指導官・上級生の方々は厳しさの中に私たちの成長を願う優しさのある指導をしてくださる。そして当たり前のことではあるが、家族の存在の大きさを改めて実感し、大切にしていかなければならないと感じた。2つ目は、将来幹部自衛官となり、国防という崇高な任務の中核に携わることになる誇りと、それに伴う責任の大きさである。防大生活での時間の厳守、服装や提出物への統制事項、官品・貴重品の管理などの細かな部分からの徹底が、国防を担うに相応しい、責任感のある正確な行動の基礎を築いていくのである。
3ヶ月が経ち、防大生活にもある程度慣れてはきているものの、まだまだ学ばなければならないことや、向上していかなければいけないことがたくさんあるので、今後も一日一日を大切に、自分から積極的に行動し成長していきたい。
防大に入校して 1学年 中新 安奈(石川県 金沢泉丘高校)
1
螢の光、窓の雪、
書読む月日、重ねつゝ、
何時しか年も、すぎの戸を、
開けてぞ今朝は、別れ行く。
2
止まるも行くも、限りとて、
互に思ふ、千萬の、
心の端を、一言に、
幸くと許り、歌うなり。
3
筑紫の極み、陸の奥、
海山遠く、隔つとも、
その眞心は、隔て無く、
一つに尽くせ、國の為。
4
千島の奥も、沖繩も、
八洲の内の、護りなり、
至らん國に、勲しく、
努めよ我が背、恙無く。
一方、博士は音楽家としても知られており、東京工業大学学部学生
の頃に始めたコントラバス演奏の魅力の虜になって以来、数十年のキ
ャリアを持って活動し続けています。米国ベル研究所留学時代には研究所内や地元マンモス (Monmouth) 郡のオーケストラに入団したこともあります。現在は町田フィルハーモニー交響楽団のコントラバス奏者として、また町田フィル・バロック合奏団の代表としても活躍しています。このようにユニークな経歴の持ち主であることもあり、課外講演計画当初、博士は「光と音と?レーザとコントラバスの50年?」というタイトルで講演を行う予定でした。
しかしながら、本年3月11日に未曾有の大震災が東北地方を中心とした東日本を襲ったことに鑑み、急遽上記のようなタイトルに変更し、講演を行うことにしたとのことです。日本の工学界の一翼を担い、
130年に亘り工業界・学術界に有為な人材を輩出して来た東京工業大学の責任と自負が感じられると共に、国の安泰/安心を目的とする防衛大学校に対する叱咤激励とも取れる講演でありました。
講演は2部から構成されており、第1部では、この国難とも言える大災害に際し日本の各分野が、特に大学を中心とした学術界が何をすべきかについての講演がなされました。電気系の学生/研究者が楽しみにしていた博士の科学者としての専門である面発光半導体レーザに関する話題にも時間が裂かれ、第2部として講演されました。
第1部では、東日本大震災の与えた社会的な衝撃や世界の流れの中での日本の置かれる困難について分析し、これからの日本が、大学がどのようなシナリオで何をなすべきかを提言しました。理工系の大学として「発見と理解」、「創造と技術」、「社会の安寧」を発信しつつ、今一度「ものつくり」の原点に立ち戻り、新しい高度の教育と実践を重んじ、科学技術を磨く不断の努力をすべきであると結論づけました。さらに震災が東京工業大学に与えた影響や取って来た対応についての説明がなされました。
また創立以来東京工業大学の行って来た教育研究や組織についての概観や予定している各種プログラム等についての説明がなされました。設立時に防衛大学校がモデルとした大学であるだけにいずれも興味深い話でした。
第2部では「面発光レーザとマイクロレンズアレイ」というタイトルで博士が助教授の頃より一貫して研究して来た「面発光レーザ」の時代背景、歴史、性能、意味、応用、他へ与えた影響、展望等について講演がなされました。
「面発光レーザ」の発明は1977年であり、あまりにも早すぎたため、現在億個単位で使われているにも拘わらず、ライセンス料収入は無いとの話が印象的でした。
最後に、東京工業大学の卒業式では「蛍の光」を斉唱することを常としているとのことである。そのこともあり、音楽好きの博士が調査したところ、下記のような4番までの歌詞を発見しました。1番、2番は良く知られているが、3番以降は全く知られてないと言って良いようです。博士は殊に3番、4番がお気に入りで、それらはまさに防衛大学校のためにあるような文句であろうということで、わざわざお持ちになり、第1部講演の後にお示しになったことを付け加えておきます。
本会議では、日本と米国から同数の学生が約一ヶ月にわたって、新潟、京都・滋賀、東京、沖縄の各地において共同生活を送りながら様々な議論や活動を行い、会議全体を通して、様々な世界の問題に対して学生同士の活発な議論を行うとともに、日米両国の参加者間の相互理解を深めていくことを目的としています。本会議で防大研修の成果が現れることを期待しています。
6月24日、日米学生会議代表団35名(一般大学生)が防大に研修に訪れました。
研修当日は、記念講堂、総合情報図書館などの施設や課業行進の見学のほか、国際関係学科及び防衛学教授の安全保障に関する講義を受講した後、7個の分科会に分かれて本科学生との討議を行いました。討議終了後、学生会館で懇親会を行い同世代の大学生として懇親を深めました。
防大に入校して早3ヵ月の月日が過ぎた。3ヵ月を防大で過ごした今、入校当初に比べて明らかに自分が成長しているということを感じている。3ヵ月前は何をしていいのかも分からず、ただ2年生の真似をするのみであった。今は生活の要領も分かり始め、学生舎生活、校友会活動、勉学と時間を有効に使えるようになった。更に、自分で時間の使い方を考え生活していくにつれ、物事をよく考え冷静に判断することができるようになったと感じている。
私はこの3ヵ月間で厳しい防大生活にもだいぶ慣れ、成長したことができたと思う。しかしこれから夏の定期訓練もあり、新たなる発見も多いと思うので、妥協せず向上心を持ち、生活したいと思う。
日米学生会議代表団の防大研修
平成23年度第1回電気情報学群主催課外講演が6月8日(水)午後1時15分より総合情報図書館AVホールにて電気情報学群学生(電気電子工学科専攻3・4学年学生、通信工学科専攻3・4学年学生、機能材料工学科専攻4学年学生、情報工学科専攻の聴講を希望する学生)及び聴講を希望する研究科学生と教職員を対象に開催されました。
講師は東京工業大学学長の伊賀健一博士で、講演タイトルは「世界の中の日本」です。博士は光通信や光記録のキーデバイスである半導体レーザの専門家として国内外で知名度の高い科学者です。博士の発明した面発光レーザは現在多くの国で多くの分野で多用されており、日本の誇る偉大な発明の一つであります。
入校3ヵ月所見 1学年 岩元美寿々 (鹿児島県 鹿児島実業高校)
月日が流れるのは早いもので、防衛大学校に入校して3ヵ月が経ちました。いろいろと防衛大学校についての話を聞いて、知ったうえでこの学校に入校しましたが、話で聞くのと実際自分が体験するのとではやはり違うことも多くありました。
私が今思うことは、人と生きるって大変だなということです。防衛大学校では今までで一番、他人と深く関わりをもって生活しています。その中で、みんなと上手く付き合っていくというのはとても難しいです。自分とまったく違う環境で、まったく違う考えを持つ人たちとの付き合いですから、なんの問題もなく生活するのは無理がありますが、そこをどうやって上手く付き合っていくか、良い関係を築いていくかがこれからの課題だと思います。
夏季定期訓練も始まるので、お互い高めあっていける関係を築きたいです。
この3か月を振り返って 鈴木勇剛(宮城県 仙台第二高校)
私が防衛大学校に入学してから3ヶ月になる。顧みれば比類なく長く感じると同時に、不思議に瞬く間に過ぎ去った様にも感じる。いずれにせよ、疑問の余地なく私の18年の人生において最も激動の期間であった。
思えば激動の始まりは東日本大震災の日に遡る。仙台市出身の私は、震災の折、受験の為大阪にいた。そして震災の日から一度も親の元に帰ることなく、防衛大学校に入学するという決断をした。
知らない世界に一人で飛び出したその時の私には、不安と恐怖しか無かったように思う。驚く程大きな声で挨拶をする2年生や、厳しく指導に当たる3、4年生は、ただただ怖かった。点呼の際の番号や、着こなし、ベッドメーク、全てが奇妙で、これから自分もこの世界で暮らすのかと思うと嫌で堪らなかった。
防大での生活は、生活、環境、人間関係等あらゆることが高校時代までと全く異なっており、最初は戸惑いや躊躇いばかりであった。辛い時、苦しい時が多々あり、その度に普通の大学生活を思い描いたり、私の来る場所は本当にここでよかったのかと考えたりもした。
家に帰って、庇護され、思うがままに振る舞える暮らしに戻りたいと何度思っただろうか?
だが人間は適応する能力を持っているという事を、身をもって学んだ。今では私達自身が大声で挨拶し、上級生の方々には深い尊敬の念を抱くようになった。これまで育ててくれた親にも感謝の念が芽生えた。
たった3ヶ月で大きく自分が変わったと思う。きっとこれからの3年9ヵ月の防大生活の中には、更に自分を変える出来事が待っていることだろう。
ひとまず短い私の防大生活を振り返るのはここで終わりにする。そしてここからはまた前を向き、全力で防大生活に励んでいこうと思う。
技術開発官(船舶)は海上自衛隊の技術のトップですが、講演は「防衛技術と材料」と題し、海上自衛隊の防衛技術から将来の装備開発の動向にまでわたり、特に「材料」がこれからの防衛技術のキーテクノロジーであることが示され、受講者にとって極めて印象深いものでした。質問も活発で多岐にわたり、また、他学科からの聴講者も多く見られました。講演終了後もさらに講師を囲んで学生が熱心に質問するなど、非常に有意義な課外講演となりました。
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