防大かわら版VOL.80

2017年03月23日

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防大4年間の思い出と今後の抱負

第61期卒業生 政木 崇恒 県立筑紫丘高等学校(福岡県出身)

2013年4月5日、私は防衛大学校へと入校した。配属されたのは22中隊。引率の上級生に「当たり」の中隊であると言われたことを今でも鮮明に覚えている。入校式後の入室要領演練で厳しい指導を受けたところから、私の防大生活は始まった。厳しい小隊指導教官と殺気立った上級生に指導される毎日を過ごし、自分の所属する組織の重みを実感した。私が防大で得たもの、それは、困難を共に乗り越えた同期である。意見の相違から衝突することも多々あったが、目を背けることなく、本気で向き合うことができた。私にとって同期とは、限りなく家族に近く、信頼できる存在である。同期との絆は一生の宝であり、何物にも代えがたいものである。4月より陸・海・空の各幹部候補生学校に分かれ、それぞれの道を進むこととなる。新たな旅立ちに多くの不安を抱えているが、防衛大学校での経験を活かして、今後も精進していく所存である。

  前期大隊学生長の政木学生(中央)と大隊本部

第61期卒業生 高津 良二郎 県立竹園高等学校(茨城県出身)

この4年間を振り返ると私を大きく成長させてくれたことは、大きく3つあると考えました。まず1点目は校友会活動です。私はアメリカンフットボール部主将を務め、4年間本気でチームを勝利に導くことを考えて取り組んできました。しかし、上手くいかないことのほうが多く本当に苦しかったです。その中でも自分を主将として支えてくれる仲間がいました。プレーでリーダーシップを発揮する者、フィールドの外でリーダーシップを発揮する者、様々な仲間の存在が頼もしかったです。私はアメリカンフットボールを通してリーダーシップを学びました。2点目は学生舎生活です。8人部屋では上下級生がいついかなる時も一緒にいますが、私はこの部屋での生活は自分の立場と役割を理解させるものだと感じました。部屋では皆、家族のように仲良く過ごしますが、各学年によって役割があります。1学年なら雑務等4学年ならば部屋の長として部屋員の監督です。1学年の時に偉大に感じた4年生に今では自分がそうなれているのか考えると分かりません。しかし、寝食を共にした仲間との絆は一生の物だと思います。3点目は訓練です。訓練課目では与えられた任務を達成するために、同じ班の学生と共に厳しい訓練を乗り越えてきました。仲間がいなければ、任務を達成することは出来ません。この組織は1人1人の支えなしには成り立たないのです。この4年間色々なことがありましたが、何一つ自分にとって無駄なことであったとは思いません。辛いこと楽しいこと全てが自分の中で生きております。今後もこの4年間で培ったものを糧に幹部候補生学校でも全力を尽くしていきたいと思います。

     部屋会 左から4番目が本人

第61期卒業生 谷藤 郁 都立東大和高等学校(東京都出身)


卒業を控えた今日、ふとした時に、部屋の窓から見える海の景色を眺めていると、私はこの学校に来て本当に良かったと思う。思えば、私が幹部自衛官を志したのは、16年前に祖父と広島県の江田島にある幹部候補生学校へ見学に行ったのがきっかけであった。その当時から私は幹部自衛官という姿に憧れを抱いており、防衛大学校への入校を熱望していた。受験生時代は、色々な事情から、様々な都合があり新聞配達のアルバイトをしながらの受験勉強であった。死に物狂いで配達と受験勉強を両立させていたあの頃を振り返ると、防大生活を乗り越えるためのド根性と負けん気が養われたような気がする。入校してからは試練の連続であった。しかし、それに対して自分一人だけではなく、皆で対処することによって数々の試練を乗り越えることができた。ともに喜びを分かち合い、より一層団結が深まった。また、日本全国だけでなく、世界各地から来た留学生等と出会い、共に生活することによって様々な価値観、考え方を学ぶことが出来た。これはまさに、防衛大学校でしか味わえない経験だと思う。私自身、大隊学生長の経験や海外派遣の機会などを与えていただいた。学生生活を通して、幼いころに抱いていた「憧れ」の気持ちは、いつしか、この美しい国日本を護れる幹部自衛官にならなければならない、という「使命感」へと変わっていった。防大生活を語らずして私の人生は語れない。それほど毎日が充実しており、生活を通して机上では学べない沢山のことが勉強になった。あと僅かで卒業する訳であるが、国を護るという「使命感」、4年間やり抜いたという「誇り」を胸に秘め、我が人生を堂々と歩んでいきたい。

  海上自衛隊幹部候補生学校にて(中央が本人)

第61期卒業生 假谷 祐貴 市立西宮東高等学校(兵庫県出身)

私が防衛大学校に入校してから早くも4年が経った。この防衛大学校の4年間を振り返ってみると非常に多くの経験をすることが出来た。特に1学年時の想い出が色濃く残っている。地元兵庫から遠く離れた横須賀に来て、右も左もわからぬまま防衛大学校の正門をくぐった。満開の桜に迎えられ防衛大学校での明るい未来に希望を膨らませていたことを今でも鮮明に覚えている。しかし、生活してみると防衛大学校は私のイメージと違い非常に厳しい世界であった。毎日のように上級生に指導され辛い毎日であった。それでも辞めずに続けていられたのは同期の存在があったからである。私は要領が悪く、同期の足を引っ張るような存在であったが、周りにいた同期は私を決して見捨てることなく助けてくれた。同期の存在があったからこそ今の自分がいるのだと強く感じた。この防衛大学校で同期をはじめ、多くの支えがあったからこそ4年間過ごすことが出来た。今度は、私が多くの人々の助けになれるよう、残りの学校生活、卒業後の幹部候補生学校での生活を無駄にせず、日々精進しながら、今後の自衛隊生活を過ごしていきたいと思う。

   1学年時:後期部屋会にて(左端が本人)

ICCに参加して

第61期卒業生 山下 大貴 県立千葉東高等学校(千葉県出身)

国際士官候補生会議(以下、ICCと記載)を終えて、最初にやはり大きな達成感があった。防大生とは言え一般社会で言えば大学生という立場でありながら、海外の士官候補生との窓口となり、最終的に彼らを二千人近い防大生と会議の場で結びつけるというプロセスは、他では経験できなかったことであると断言できる。夏季休暇前から実施までおよそ10か月間を準備に充てた。「全学生の国際交流」という目標を掲げたが、実行委員同士でさえ具体的なイメージを共有するのが難しかった。しかし、許す限り直接全学生に訴えかける等、手段については厭わなかった。また、ICC本番になるまで気が付かなかったことがあった。それは、リーダーという立場では実施が難しい各パートにおける専門的な事項の掌握である。事前準備で各部との認識の共有と指示を明確に示した結果、どうしても掌握しきれない事態に至っては、各パートの仲間を信頼し、現場の判断に任せることにした。当然、結果が伴わなかった場合の責任は、責任者である私がとるということ。そして、リーダーは孤独な立場であるということを学んだ。私がICCを通じて学んだことは、指揮する者としては常識なのかもしれないが、この行事で身をもって体験できたこと自体を有り難く思うと同時に、ICCを無事に成功へと支援してくれた関係各位に感謝したい。

フェアウェルパーティーにて(左から3番目が本人)

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