防大かわら版VOL.116

2019年12月16日

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◯ 掲示内容一覧
 ・演劇祭を終えて
 ・開校記念祭棒倒しを終えて
 ・カタール国長期派遣所感(2名)

演劇祭を終えて

4学年 山下 真澄 公共政策学科 私立市川高等学校(千葉県出身)

今まで4年間演劇祭に参加してきた私は、1年年の頃から思っていたことがある。「4学年になったら、自分の手で優勝看板を勝ち取りたい」と。もちろん、3学年までの間で優勝を経験したことはあるが、4年間の集大成として最後は必ず優勝したいと思っていた。そして、この思いは先日行われた演劇祭にて果たされることとなった。その時の喜びは言葉に尽くせない。少なくとも喜びのあまり飛び跳ねてしまうほどであったのは確かだ。しかし、この勝利は1大隊で演劇祭に関わった全ての人のおかげで得られたものである。しっかりとした構成の台本を書いてくれた責任者付、舞台上に喫茶店をつくり出してくれた大道具、ずれることなくベストなタイミングで仕事をしてくれた音響と照明、素晴らしい演技を見せてくれた役者、彼らがいなければ1大隊が優勝することはなかっただろう。私だけの力では、優勝は到底かなわない夢であった。今までともに尽力してくれた仲間たちに、最大限の感謝を。また、客席から盛大な拍手とともに応援してくれた1大隊の仲間たち、本当にありがとう!
 優勝した時の喜び、達成感。これらは本当に得難いものである。来年度以降も是非ともあじわっていただきたい。私の後輩には、それを果たし得る十分な力量が備わっている。どこかの部隊で優勝の知らせが来ることを、楽しみに待っている。

責任者付と撮った写真(左が本人)

開校記念祭棒倒しを終えて

4学年 林 実理 応用物理学科 大阪府立桜塚高等学校(大阪府出身)

私が1学年のときに1大隊は連覇がかかった大事な一戦、決勝で2大隊に敗れ優勝を手放してしまった。「王座を奪還。掴もう頂点。」を合い言葉に臨んだ2、3学年では優勝することができなかった。私は4学年となり、棒倒しスタッフに挑戦し、スタッフにしかわからない責任感と人生最後の棒倒しというプレッシャーを感じていた。
 しかし、同期や後輩、指導官の方々の協力のおかげでその重圧を乗り越え、決勝で2大隊に勝ち「優勝」を掴むことができた。また、棒倒しに参加できない学生やケガ等で参加できなかった学生の支援と応援のおかげもあり、第1大隊の団結により最高の成果を獲得することが出来た。本当にありがとう。
 我々はここで終わったわけではない。令和最初の棒倒し優勝大隊という名誉を勝ち取っただけでは満足してはいけないのだ。これから2連覇、3連覇と勝ち続け、1大隊が最強であることを証明し続けなければならない。今年の棒倒しは1大隊最強物語の始まりにすぎないのである。

表彰式の様子(本人)

カタール国長期派遣所感

3学年 今 智哉 国際関係学科 茨城県立土浦第一高等学校(茨城県出身)

アッサラームアライクム、私は約2か月アラビア語の語学研修のためカタール国陸軍士官学校に滞在した。国土の全域が砂漠気候で、夏季の日中は気温が50度を超える。住宅は基本的に昼間の暑さを避ける石造りの構造であった。
 平日は語学学校でリビア出身とスーダン出身の二人の教授、トルコ、ベラルーシ等の各国の軍人とともにアラビア語の学習に励んだ。授業時間が終わった後も、マンツーマンで理解できるようになるまでアラビア語を教えてくれたことに感謝の気持ちでいっぱいだ。
 休日はカタール陸軍の友人とともに多くの観光地に訪れ、知見を深めることができた。一人当たりのGDPが世界一のカタールは富裕層が多く、一族で多くの家や車を所有している。特に驚いたのは、カタール人の友人が約1億円のラクダを10頭と約3千万のファルコンを5羽所有していたことだ。カタール人は休日、マスジドと呼ばれる部屋で友人との会話やティーを飲んだり、一族で集まってゆったりとした時間を過ごしており、わたしたち日本人にとっては優雅に思えた。
 カタールはイスラーム文化が浸透しており、至る所にモスクがあり、礼拝の時間を知らせるアザーンが流れ、食の面では、箸を使わずに右手を使って食事するといった日本にはなじみのない文化を経験する貴重な機会となった。
 最後に、今後ともカタールで培った経験を踏まえ、日本のため、自衛隊のために精進していきたい。

 現地の学生との写真(右手前が本人)

カタール国長期派遣所感

3学年 吉田 敦 航空宇宙工学科 私立四條畷学園高等学校(大阪府出身)

私は9月17日から11月7日までの50日間、中東のカタール国に派遣された。カタールは派遣の中で唯一の中東地域且つ、唯一のイスラム教を国教とする国だ。カタールは秋田県ほどの国土で、人口約280万人、そのうちカタール人が1割強で、残りがインドや東南アジアからの出稼ぎ労働者たちである。そのため、商店などの店員はほぼすべて外国人であり、カタール人は、警察や士官、石油関連など、国の中枢で働いている。公用語はアラビア語であるものの、先述の通り外国人が多いので、街では英語も通じる。カタール人に限らず、アラブ人は仲間には非常に優しい。イスラムの教えでも、「仲間はすべて兄弟のように扱う」というものがあり、少し申し訳なくなるほど気を使ってくれた。これはやはり日本に居てはまず経験できないだろう。日本では、まだまだイスラム教に対して少々偏ったイメージが強い。ニュースなどではどうしてもイスラム過激派が目立つが、過激派はイスラム教でもほんの一部であり、イスラム教にそのような印象を持たれることは非常に迷惑だと、カタール人たちも語っていた。
 今回の派遣で学んだこととして、アラビア語は勿論、やはりアラブ文化に深く触れる機会を得たことが大きい。話で聞くだけではわからない、気候や国の空気、時間の流れを肌で感じたことは、今後の人生でも非常に役に立つだろう。

カタール国語学学校にて(左から2番目)

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