トップページ佐世保史料館(セイルタワー)→佐世保海軍航空隊〜(佐世保教育隊、佐世保警備隊、佐世保弾薬整備補給所、佐世保衛生隊第2衛生科)

佐世保地方隊創設60周年記念(帝国海軍施設の変遷)

佐世保海軍航空隊〜佐世保崎辺地区

(佐世保教育隊、佐世保警備隊、佐世保弾薬整備補給所、佐世保衛生隊第2衛生科)

 帝国海軍は、1916(大正5)年、横須賀の追浜に最初の航空隊である横須賀海軍航空隊を開隊しました。その後、第1次世界大戦欧州戦線における航空兵力の活躍・発達を反映した航空隊充実の必要性を背景に、2番目の海軍航空隊として、1920(大正9)年、佐世保海軍航空隊(以下「佐世保航空隊」という。)が開隊しました。
 海軍は、佐世保航空隊設置に先立って1914(大正3)年、当時の日宇村崎辺免字前畑(現:崎辺町)の民有地(通称:百聞鼻)を買収して、航空隊の新営工事に着手しました。1918(大正7)年に始めた第1期工事で、百聞鼻の突角山地を開削し、地先海面にあった横島、久木島、大森島を切り崩し、海面を埋め立てました(現在の崎辺の東側半分)。また、同隊の拡充にともない1929(昭和4)年からの第二期工事で、飛島と大森島を結ぶ海面を埋め立て、陸上小型機の離着陸ができる東西300mの滑走路をもつ平地をつくり、現在見る地形が1939(昭和14)年に完成しました。
 佐世保航空隊は、水上の部隊であり、飛行艇とフロートをつけた水上機が配備されました。また、施設は、滑走路、水上機のすべりのほか、格納庫、兵器庫、兵舎、航空廠分廠の工場等が整備されました。
 終戦とともに、崎辺地区は米軍に接収され、米軍通信隊、物資集積場、後にゴルフ場として使用され、また、一部は長崎大学水産学部が使用していましたが、朝鮮戦争終結以降、ほとんど使用されなくなり、1961(昭和36)年、一部を除き全ての土地建物が米軍から返還されました。ただし、その後、崎辺地区の東側半分は、米軍へ再提供され、西側半分は、佐世保重工業に払い下げられました。
 現在、崎辺地区の北側半分に海上自衛隊の佐世保教育隊、佐世保警備隊、佐世保弾薬整備補給所、佐世保衛生隊第2衛生科の施設が建設されています。

 
百聞鼻埋立による崎辺の造成    佐世保海軍航空隊全景 
 佐世保海軍航空隊庁舎 格納庫内部 
 
現在の崎辺地区 

ページトップ