櫛崎城(串崎城とも書く)は遠く天慶三年(九四〇)西海に勢力をふるった藤原純友の配下稲村平六景家がこの地に拠ったとも伝えられるが 確かな記録はなく 一応大内氏の重臣 内藤左衛門太夫隆春が築城したものとされる
後 慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の合戦において豊臣方に加担した毛利氏は 防長二州に減封され これにともなって 山口に居を構えていた毛利秀元が長州藩五万石の支藩としてこれを再築し入城 爾来 雄山城と称した
元和元年(一六一五)に徳川幕府の定めた一国一城の令によってとりこわされ 隣接する県立豊浦高等学校の敷地に居館を置いた
当時の城郭図巻によると松崎口 浜之坂口 三軒屋口に櫓建てがあり 現在櫛崎城址の石碑が建てられているあたりが 松崎口で大手門二重櫓の址とみられる
平成五年三月 長府観光協会
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