函 館 基 地 隊 本 部

旧函館税関庁舎(箱館運上所跡地)  
 函館基地隊本部の所在地は、かつて、箱館運上所があったところです
1859(安政6)年、欧米5か国との通商条約
に基づき箱館は横浜、長崎とともに開港され国際貿易港となり、税関の前身である運上所が輸出入貨物の監督、関税徴収
を目的として設置されました。1869(明治2)年に箱館が函館に改称、1872(明治5)年に運上所の呼称が税関
に統一されることとなり、1873(明治6)年2月に函館税関と改称され、1911(明治44)年に木造ルネサンス
様式の洋風建築の庁舎が新築されました。
 函館税関は、第二次世界大戦により1943(昭和18)年に廃止されま
したが、1946(昭和21)年の税関再開により再設置され、1968(昭和43年)海岸町中央埠頭に完成した港湾
合同庁舎に移転しました。同年6月、函館基地隊本部が弁天町から移転、1972(昭和47)年に旧税関庁舎は取り壊
され、現在の庁舎に建て替えられました。
 基地隊の敷地を取り囲むブロック塀の内側には、石製の遺構や石畳が残されています。

来函艦艇の入港記念楯
 函館港には、これまで護衛艦をはじめ潜水艦、掃海艦、輸送艦、補給艦、練習艦等、海上自衛隊の様々な自衛艦が
寄港しています。また、米海軍やロシア海軍の艦艇も親善訪問しています。それらの艦艇から入港を記念して贈られ
た楯やプレートです。

護衛艦「はまゆき」主錨 
 基地隊正門横には退役した護衛艦「はまゆき」の錨があります。「はまゆき」は海上自衛隊のはつゆき型汎用護衛艦
の5番艦(艦番号126)であり1983(昭和58)年11月18日に三井造船玉野事業所で竣工し、佐世保に配備
され、1990(平成2)年に舞鶴に転籍しました。はつゆき型護衛艦は、基準排水量2950t、全長130m、海
自初のガスタービン推進艦で速力30kt、ヘリコプター1機を搭載していました。「はまゆき」は、環太平洋合同演
習、遠洋練習航海、インドネシア独立50周年記念国際観艦式にも参加しまさに世界の海で活躍(総航程約140万キ
ロ、総航海時間約6万5000時間)しましたが、2012(平成24)年3月14日に除籍され、翌年10月に射撃
や爆弾投下などの標的として最後の務めを果たし若狭湾の北方の海に沈みました。
この主錨は、2012(平成24)
年7月21日、函館基地隊創立60周年記念行事において海上自衛隊の基地を象徴するモニュメントとして設置された
ものです。

明治天皇上陸桟橋(旧函館税関桟橋)  
 緑の島を望む庁舎裏には、明治天皇が巡幸の際に使用された石造りのコンクリート桟橋が残っています。
1876
(明治9)年の巡幸の際は、奥羽巡幸に引き続き7月16日に青森から御召艦「明治丸」で函館港に入港、ボートで
旧函館税関の桟橋から上陸し北海道への第一歩を記されました。そして、函館・七飯において開拓使函館支庁、病院、
学校、裁判所、七飯官業試験場、五稜郭、函館砲台を視察し、18日に同じくこの桟橋から「明治丸」に乗船し横浜
に向かわれました。なお、7月20日に無事横浜に到着されたことにちなみ、同日が「海の記念日」とされています。
1881(明治14)年の山形・秋田・北海道巡幸の際は、青森から御召艦「扶桑」で8月30日に小樽から上陸し、
札幌、千歳、白老、室蘭、森を視察して9月6日に馬車で函館に到着、7日に再びこの桟橋から御召船に乗船して青
森に渡航されました。

明治天皇御上陸記念碑(三蹤碑)  
正門前のグリーンベルトから元町公園・旧函館区公会堂と函館山を望む青銅製の鳳凰を戴く花崗岩の石碑は、1876
(明治9)年7月の明治天皇の函館上陸を記念するため、1935(昭和10)年に建てられたものです。明治9年の
巡幸での上陸・乗船と、明治14年の巡幸での乗船の通算3回にわたり明治天皇の足跡が残されたことから、「三蹤碑
(さんしょうひ)」とも呼ばれます。

保有車両
 基地隊本部には、人員輸送車、トラック、フォークリフト等、様々な車両を保有しており、人員・物品の輸送等の後方支
援業務を行っています。北海道胆振東部地震の際には、被災地における情報収集及び被災者の方々や救援物資の輸送にも活
躍しました。

南極の石
 基地隊本部庁舎の玄関に、南極の石が置かれています。函館市桔梗町で理容店を営み道南地区自衛官志願推進協議会
副会長も努めておられる元海上自衛官で、砕氷艦「ふじ」の初代機関科員であった伊藤征一氏から、1966(昭和41)
年4月に寄贈されたものですが、1980(昭和55)年以降は南極から氷以外の一切の資源の持ち出しが禁止されており
今ではとても貴重なものとなっています。「ふじ」は、1965(昭和40)年の第7次から第24次までの18年間、
、南極の昭和基地へ観測隊員と物資の輸送に活躍した2代目の南極観測船(初代の砕氷艦)であり、現在は名古屋港の
ガーデン埠頭に博物館として永久係留され一般公開されています。

緑石・紅石
 航行中の船舶は、夜間、その進行方向を他船に知らせるため、右舷に緑灯、左舷に紅灯を掲げなければなりません。
基地隊本部庁舎入口には、玄関を船舶に見立てて、向かって右側に紅色の、左側に緑色の石が設置されています。

機 雷
 基地隊本部庁舎前には、1970(昭和45)年12月14日に上ノ国町前浜で回収された浮流機雷が資料として設
置されています。朝鮮戦争時代にソ連軍の支援により北朝鮮が朝鮮半島周辺海域に敷設した機雷の繋維索が切れて漂着
したものと思われます。1950(昭和25)年の朝鮮戦争勃発時に約3000個の機雷が敷設されたと推定され、日
本からも掃海艇が派遣され掃海作業に従事し、
その活躍により日本の海軍再建が急務であることを米国が認識すること
となり海上自衛隊の創設にもつながっています。
昭和30年代まで日本周辺海域で発見されたソ連製浮流機雷は約40
0個にものぼりました。