江田島地区 海上自衛隊創設70周年記念展示

海上自衛隊が創設され、今年で70年となります。
第1術科学校では『江田島地区 海上自衛隊創設70周年記念展示』と題し、教育参考館で、1年間企画展を行います。
当ホームページでは、展示内容の一部を紹介します。

1945年〜1985年 戦後処理 【 業務掃海・航路啓開 】
1959年 災害派遣 【 伊勢湾台風 】
1964年 栄光のオリンピック
1965年 極寒の南極地域観測支援開始
1970年 氷海からの「ふじ」救出作戦
1972年 内海の災害派遣 【 水島重油流出事故 】
1972年 悲願の沖縄復帰 【 1輸隊現金輸送 】
1974年 災害派遣 【 初の船舶処分活動 第10雄洋丸処分 】
1976年 冷戦期に走った緊張 【 ミグ25事件 】
1983年 冷戦期の悲劇 【 大韓航空機撃墜事件(宗谷海峡) 】
1986年 災害派遣 【 伊豆大島噴火 前代未聞の全島民脱出 】
1988年 なだしお衝突事故
1991年 災害派遣 【 雲仙普賢岳噴火 】
1991年 ペルシャ湾掃海艇派遣 【 自衛隊発足以来初!海外実任務派遣 】
1992年 PKO 【 カンボジア派遣海上輸送補給部隊 】
1993年 PKO 【 モザンビーク輸送調整中隊 】
1996年〜2013年 PKO 【 ゴラン高原派遣輸送隊 】
1993年 災害派遣 【 北海道南西沖地震 】
1995年 災害派遣 【 阪神・淡路大震災 】
1997年 真冬の災害派遣 【 ロシア船ナホトカ号重油流出事故 】
1999年 初の海上警備行動 【 能登半島沖不審船事件 】
1999年 初の国際緊急援助活動 【 トルコ派遣海上輸送 】
2001年〜2010年 テロとの戦い 【 インド洋補給活動 】
2002年 派遣海上輸送 【 東ティモールPKO 】
2004年 イラク復興支援海上輸送
2004年 2度目の「海上における警備行動」発令 【 中国原潜領海内潜没航行 】
2004年 インド洋津波国際緊急援助活動
2005年 ロシア連邦カムチャッカ半島沖国際緊急援助活動
2008年 あたご衝突事故
2009年 北朝鮮ミサイル発射事案等対応
2009年〜 国際安全保障協力 【 ソマリア沖・アデン湾海賊対処行動 】
2010年 パキスタン国際緊急援助活動
2011年 災害派遣 【 東日本大震災 】
2013年〜 CTF−151(Combined Task Force 151)への参加
2013年 フィリピン国際緊急援助活動
2014年 マレーシア航空機消息不明事案国際緊急援助活動
2014年 インドネシア・エアアジア機消息不明事案国際緊急援助活動
2019年〜2021年 中東における情報収集活動
現   在 我が国周辺海域における警戒監視所要の増大

1945年〜1985年 戦後処理 【 業務掃海・航路啓開 】

 米軍は、日本に対する連続的な機雷敷設を「飢餓作戦」と呼び、 終戦までの5か月間実施し、本土周辺には11277個の機雷が敷設された。戦後、連合軍の指示により掃海作業を実施し、 1985(昭和60)年9月11日関門海峡東口の苅田港外の業務掃海を終えるまで、約40年間にわたる「掃海戦」に従事した。

1959年 災害派遣 【 伊勢湾台風 】

 1959(昭和34)年9月26日夕刻、紀伊半島潮岬付近に 台風15号(伊勢湾台風)が上陸し、伊勢湾では5.18mという想像を絶する高潮により各所で防波堤が決壊した。 海上自衛隊は上陸用舟艇による物資や人員を輸送したほか、高潮により決壊した堤防の補修、ポンプによる排水を他自衛隊と協同で実施した。

1964年 栄光のオリンピック

 1964(昭和39)年10月10日から24日まで開催された第18回 オリンピック競技大会で、海上自衛隊はヨット競技をはじめ、開閉会式での旗章の取扱いなどの支援を行った。 また、選手としても3名の隊員が出場し、海士長 鶴峯 治が200m平泳ぎで6位入賞を果たすなど、大いに活躍した。

1965年 極寒の南極地域観測支援開始

 1965(昭和40)年11月20日、182名の「ふじ」乗員と40名の観測隊員が 東京晴海ふ頭を出港し、一路南極へと航海を開始した。南極地域観測支援業務は、海上保安庁「宗谷」の老朽化により、自衛隊が業務を引き継いだ。 極地用の本格的な砕氷艦の建造は、旧海軍の北方警備用の砕氷艦「大泊」以来であった。

1970年 氷海からの「ふじ」救出作戦

 1970(昭和45)年2月下旬、第11次南極観測支援に従事した砕氷艦「ふじ」は 帰路の途中、海氷の厚さが3.8mある海域で右推進器翼が4枚折損して推進力が低下し、砕氷航行できず氷海に閉じ込められた。付近を航行していた 米国とソ連の砕氷艦に救援要請したが、3月18日に氷壁が崩れ、自力で外洋に脱出した。

1972年 内海の災害派遣 【 水島重油流出事故 】

 1972(昭和47)年12月18日夜、岡山県倉敷市にある石油タンクに亀裂が生じ、 1万KLの重油が瀬戸内海に流出した。海上自衛隊は、香川・徳島両県知事から災害派遣要請を受け、航空偵察及び流出油の回収、海上輸送を翌年 2月3日まで実施した。

1972年 悲願の沖縄復帰 【 1輸隊現金輸送 】

 沖縄の日本復帰に伴い、1972(昭和47)年4月27日から6月5日にかけて交換用 の円貨540億円及びドル貨1億ドルの東京・沖縄間の輸送を、海上自衛隊第1輸送隊が担うこととなった。 通貨は、大量のコンテナに梱包され、輸送艦に搭載された。航路、到着日時は公表されず、厳戒の中で任務は完遂された。

1974年 災害派遣 【 初の船舶処分活動 第10雄洋丸処分 】

 1974(昭和49)年11月9日に、第10雄洋丸は東京湾内でパシフィック・アレス号と 衝突後、大火災を生起させた。環境・経済に多大な影響を及ぼすことから、被害を最小限にするため海没処分が決定され海上保安庁の要請により自衛隊 として戦後、初めて武器を使用した災害派遣が実施されることとなった。

1976年 冷戦期に走った緊張 【 ミグ25事件 】

 1976(昭和51)年9月6日、ソ連国土防空軍ベレンコ中尉が米国への亡命を求め、 当時最新鋭機だった「ミグ25」で函館空港に強行着陸した。ソ連軍が軍事機密保護のため、同機体の爆破等の非常手段に出る可能性があったため、 同月8日、海上自衛隊は艦艇及び航空機による津軽海峡の警戒監視を発動した。

1983年 冷戦期の悲劇 【 大韓航空機撃墜事件(宗谷海峡) 】

 1983(昭和58)年9月1日、大韓航空機007便は韓国の金浦国際空港へ飛行中、 通信が途絶し、消息不明となった。海上自衛隊は対潜哨戒機P−2Jを2機、護衛艦「いしかり」等、計5隻を捜索海域に派出し、捜索を実施した。 9月7日、ソ連政府は声明を発表し、撃墜の事実を認めた。

1986年 災害派遣 【 伊豆大島噴火 前代未聞の全島民脱出 】

 1986(昭和62)年11月21日、伊豆大島三原山でマグマ水蒸気爆発が発生し溶岩が 噴出、全島民に対して島外避難指示が発せられた。横須賀地方総監は東京都知事からの災害派遣要請を受け、艦艇12隻を派出し、夜間、短時間に 1万1000名余の全島民が島から脱出するという、前代未聞の大作戦を成功させた。

1988年 なだしお衝突事故

 1988(昭和63)年7月23日、潜水艦「なだしお」は自衛艦隊展示訓練から帰投のため、 浦賀水道を北上中、南下してきた遊漁船「第一富士丸」と衝突し、同船は沈没、乗組員2名及び乗客28名が死亡した。

1991年 災害派遣 【 雲仙普賢岳噴火 】

 1990(平成2)年11月、雲仙普賢岳は198年ぶりに噴火活動を再開、 翌年6月に火砕流が発生し、死者40人、行方不明者3人という、火山災害としては極めて悲惨な災害となった。  海上自衛隊は、長崎県知事から災害派遣の要請を受け、ヘリコプターによる情報収集及び護衛艦を有明海に派遣した。

1991年 ペルシャ湾掃海艇派遣 【 自衛隊発足以来初!海外実任務派遣 】

 1991(平成3)年4月24日、政府はペルシャ湾における機雷等除去のため 掃海艇派遣を正式決定した。これが自衛隊発足以来初めての海外派遣となり、99日間で合計34個の機雷処理に成功し、湾岸の平和回復に 大きく寄与するとともに、国際社会の一員としての責務を全うした。

1992年 PKO 【 カンボジア派遣海上輸送補給部隊 】

 1992(平成4)年9月から1993年10月の間、自衛隊が国際連合平和維持活動 (PKO)の一環としてカンボジアへ派遣された。海上自衛隊の輸送艦2隻及び補給艦1隻からなるカンボジア派遣海上輸送補給部隊が、施設部隊の 人員、資機材等の海上輸送、部隊に対する宿泊、食事の提供を行った。

1993年 PKO 【 モザンビーク輸送調整中隊 】

 1975年の独立以来、混乱の続いていたモザンビーク共和国では、1992年10月に 和平協定が調印された。国連の要請を受け、1993(平成5)年4月、政府はモザンビークへの自衛隊の派遣等を決定、5月に現地での業務を開始 した。派遣部隊は、初の陸・海・空自衛官からなる部隊編成であった。

1996年〜2013年 PKO 【 ゴラン高原派遣輸送隊 】

 イスラエル国とシリア・アラブ共和国は、1974年に兵力引き離し協定を締結、 国連が停戦監視等を開始した。国連の要請を受け、1996(平成8)年5月から司令部業務及び輸送等の後方支援活動を実施した。 しかし、シリア国内の情勢悪化により2013(平成25)年2月に全派遣要員を撤収し、約17年に及ぶ活動を終了した。

1993年 災害派遣 【 北海道南西沖地震 】

 1993(平成5)年7月12日、北海道、東北から山陰にかけて日本海側を襲った M7.8の大規模地震により、津波、火災が発生し、死者及び行方不明者238名を出す甚大な被害が生起した。 海上自衛隊は多数の艦船、航空機及び潜水員を派出し、行方不明者捜索、救援物資輸送等の活動を実施した。

1995年 災害派遣 【 阪神・淡路大震災 】

 1995(平成7)年1月17日、淡路島北部を震源とする最大震度7の直下型地震 (M7.3)が発生した。海上自衛隊は、災害派遣を実施し、呉地方総監が災害派遣部隊指揮官となり、被災した阪神基地隊に指揮所を設置、 1月17日から4月27日までの間、救援活動を実施した。

1997年 真冬の災害派遣 【 ロシア船ナホトカ号重油流出事故 】

 1997(平成9)年1月2日、島根県隠岐島沖でロシア船籍タンカー 「ナホトカ」号が大しけにより沈没し、大量の重油(約6240KL)が流出した。被害は、1府7県の広範囲に及んだ。 海上自衛隊は、艦艇920隻、人員約77222名を派遣し、重油の回収と回収油の陸揚げ、防除資材の補給を実施した。

1999年 初の海上警備行動 【 能登半島沖不審船事件 】

 1999(平成11)年3月23日、警戒監視中のP−3Cが、 能登半島沖領海内を航行する不審な船舶を発見した。海上保安庁巡視船が威嚇射撃を実施するも不審船は停止せず、逃走を開始した。 巡視船では追尾が難しいため、翌24日、防衛庁長官が自衛隊創設以来初めてとなる「海上における警備行動」を発令した。

1999年 初の国際緊急援助活動 【 トルコ派遣海上輸送 】

 1999(平成11)年8月、トルコ共和国北西部でM7.4の大地震が発生、 17000人以上の死者を出す甚大な被害が生起した。被災者に対する仮設住宅供給のため「おおすみ」、「ときわ」、「ぶんご」は、 神戸港において約500戸の仮設住宅を搭載し、10月19日トルコに入港、直ちに仮設住宅をトルコ政府に引き渡した。

2001年〜2010年 テロとの戦い 【 インド洋補給活動 】

 海上自衛隊は、2001(平成13)年9月11日のアメリカ同時多発テロ 事件を発端に開始された国際的なテロ対策強化の取り組みとして、1回の中断をはさみ2010年まで、補給艦及び護衛艦をインド洋に 派遣した。本活動は海上阻止活動の重要な基盤となり、国際社会からも高い評価を受けた。

2002年 派遣海上輸送 【 東ティモールPKO 】

 2002(平成14)年3月4日から、我が国は東ティモール暫定行政機構 (UNTAET)が行う国連平和維持活動に参加した。この活動は、陸上自衛隊が派遣されたPKOの中で過去最大の人員かつ初めて 女性自衛官が参加した活動である。海自からは「おおすみ」と「みねゆき」が、人員・装備品等の輸送を実施した。

2004年 イラク復興支援海上輸送

 2004(平成16)年2月20日から「イラクにおける人道復興支援活動 及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法」に基づき、海上自衛隊の「おおすみ」及び「むらさめ」が、陸上自衛隊派遣部隊の 現地活動に必要な車両及び物資の海上輸送を実施した。

2004年 2度目の「海上における警備行動」発令 【 中国原潜領海内潜没航行 】

 2004(平成16)年11月10日早朝、国籍不明の潜水艦が先島群島 周辺海域の我が国領海内を潜没航行しているところをP−3Cが確認、同日防衛庁長官が自衛艦隊に対し海上警備行動を発令した。 発令後、P−3Cに加え、SH−60J及び護衛艦により、公海上に至るまで見失うことなく継続して追尾した。

2004年 インド洋津波国際緊急援助活動

 2004(平成16)年12月26日にスマトラ島沖で発生したインド洋 津波による被害に対し、我が国はタイ王国政府からの支援要請に基づき、国際緊急援助活動を実施した。 インド洋での補給活動を終了し帰国中の海自艦艇3隻が急遽プーケット島沖に向かい、被災者の捜索・救助活動などを行った。

2005年 ロシア連邦カムチャッカ半島沖国際緊急援助活動

 2005(平成17)年8月4日、カムチャッカ半島沖において、 ロシア海軍所属深海潜水艇が、海底ケーブルのワイヤーに舵をからませる事故が発生、潜水救難母艦「ちよだ」等4隻が派遣された。 2006年1月、派遣部隊指揮官 木下憲司1等海佐(第2潜水隊群司令)に対し、ロシア連邦名誉勲章が伝達された。

2008年 あたご衝突事故

 2008(平成20)年2月19日未明、ハワイでの装備認定試験を終了し、 横須賀港に向け航行中だった護衛艦「あたご」と漁船「清徳丸」は野島崎の南方約35マイルで衝突した。「あたご」は艦首部に擦過傷を、 「清徳丸」は船体中央部で分断され、船長及び甲板員が行方不明となり、後日死亡が認定された。

2009年 北朝鮮ミサイル発射事案等対応

 2009(平成21)年3月、北朝鮮による試験衛星打ち上げの事前通報に対し、 我が国は初めて弾道ミサイル破壊措置命令を発令し、スタンダードミサイル(SM−3)搭載イージス艦2隻を日本海中部に展開した。 4月、北朝鮮が弾道ミサイル1発を発射したが、我が国領域への被害がないと判断し、迎撃は行わなかった。

2009年〜 国際安全保障協力 【 ソマリア沖・アデン湾海賊対処行動 】

 2009(平成21)年3月、ソマリア沖・アデン湾において我が国関係船舶を 海賊行為から防護するため護衛艦による護衛を開始し、同年6月からは、P−3Cによる警戒監視を開始した。 現在に至るまで1隻の船舶も海賊の被害を受けることなく、海上自衛隊は今も洋上における安全を担っている。

2010年 パキスタン国際緊急援助活動

 2010(平成22)年7月末にパキスタンで生起した大規模な洪水被害に対し、 パキスタン国際緊急航空援助隊の輸送ヘリコプターと車両を「しもきた」が輸送した。同活動には航空自衛隊が輸送機C−130Hを派遣しており、 陸海空3自衛隊として初の統合運用が行われた。

2011年 災害派遣 【 東日本大震災 】

 2011(平成23)年3月11日に震度7の大地震(国内観測史上最大のM9.0)が 発生した。防衛省・自衛隊は災害対応では初の統合任務部隊を編成し、予備自衛官も含め過去最大規模の10万人体制で、被災者の捜索救助、 物資輸送、生活支援及び原子力災害派遣等を実施した。

2013年〜 CTF−151(Combined Task Force 151)への参加

 第151合同任務部隊は、2009年1月に設立されたソマリア沖の海賊対処を任務とする 多国籍海上部隊である。 海上自衛隊は2013(平成29)年12月から参加、2015年には第4護衛隊群司令 伊藤 弘海将補(当時)を司令官 として派遣した。自衛官が訓練でない実際の多国籍司令官に着任するのはこれが初であり、これまで4人の司令官を派遣している。

2013年 フィリピン国際緊急援助活動

 2013(平成25)年11月、我が国は大型の台風30号で被害を受けたフィリピンへ 約1100人規模の統合任務部隊を派遣し、医療活動、防疫活動、救助活動等の国際緊急援助活動を実施した。海上自衛隊は、「いせ」、「おおすみ」 及び「とわだ」をレイテ島周辺の海域に展開させ、人員輸送及び物資輸送を実施した。

2014年 マレーシア航空機消息不明事案国際緊急援助活動

 2014(平成26)年3月11日夕刻、消息を絶ったクアラルンプール発北京行きの マレーシア航空機370便の捜索に関し、マレーシア政府から支援要請を受け、P−3C哨戒機2機を活動拠点のマレーシア(後にオーストラリア) へ派遣し、捜索救助活動を実施した。

2014年 インドネシア・エアアジア機消息不明事案国際緊急援助活動

 2014(平成26)年12月28日にインドネシア共和国スラバヤ発シンガポール行きの エア・アジア8501便が、カリマタ海峡付近で消息不明となったことを受け、海賊対処活動を終え帰国途中であった派遣海賊対処水上部隊を インドネシア国際緊急援助水上部隊として派遣し、捜索救助活動を実施した。

2019年〜2021年 中東における情報収集活動

 2019(令和元)年12月27日、中東地域において緊張が高まる中、 同地域における平和と安定及び日本関係船舶の安全確保を目的とした我が国独自の取組を推進するため、護衛艦(哨戒ヘリ搭載)と 固定翼哨戒機P−3Cの派遣が決定した。主な活動は、日本関係船舶の安全確保に必要な情報収集であった。

我が国周辺海域における警戒監視所要の増大

 我が国は、6800余りの島々で構成され世界第6位の面積となる領海及び 排他的経済水域を有するなど広大な海域に囲まれており、平素から領海・領空とその周辺の海空域において情報収集及び24時間態勢の 警戒監視を実施している。




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