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 米海大ナウ!

 「テリブル・ターナー」リッチモンド・ターナー提督 

(063 2016/05/19)

米海軍大学   客員教授
1等海佐    下平   拓哉

   1885年5月27日は、リッチモンド・ターナー(Richmond K. Turner)の誕生日です。

【第1次ソロモン海戦のガダルカナル上陸を前に、
ヴァンデグリフト第1海兵師団長と】

   ターナーは、ソロモン諸島のガダルカナル島から硫黄島、沖縄の戦いといった主だった上陸作戦を指揮した猛将です。「テリブル・ターナー(恐怖のターナー)」と呼ばれるほど強面と言われていますが、酒好き、犬好きで有名で周りからは「ケリー」と呼ばれていたようです。米海大では、頭脳明晰で最高の作戦計画者にして、それを実行した最高の現場指揮官として高い評価が得られています。オレゴン州ポートランドに生まれ、父はイングランド系の農民、母はアイルランド系の移民です。1908年に海軍兵学校卒業。201人中5番。








   ターナーは、1936年に米海大を卒業、学生時代には、136頁に及ぶレポート「米国の外交関係(The Foreign Relations of the United States)」を提出し、米国の戦略的立場を明らかにしつつ、国際的関与の重要性を訴えています。
   卒業後は、対日図上演習に参加し、対日作戦計画であるオレンジ計画の検討に従事します。1937年には、様々な研究成果をまとめあげ、教授陣や学生を対象に多くの講義を実施した記録が残っています。1937年7月の「制海を確保するための作戦(Operations for Securing Command of Sea)」においては、海戦と陸戦の相違、戦域における地理の重要性、制海の本質、敵艦隊の撃破、行動・奇襲・優勢の基本原則等を論じています。9月の「海戦における航空機配備(The Employment of Aviation in Naval Warfare)」では、海戦における航空機の重要性を強調しています。10月の「艦隊の戦略的配備(The Strategic Employment of the Fleet)」では、豊富な歴史的事例とマハンの理論を駆使した分析を行い、艦隊の最重要な戦略的機能として、敵を倒すために十分な兵力を提供する決戦(Decisive Battle)という状況を作り上げることを主張し、そのためには、海軍と陸軍の協力が不可欠であり、またより大きな戦略目標を達成するための中間目標の設定が必要と訴えています。そして、11月の「海軍指揮の組織(The Organization of Naval Command)」では、当時の海軍組織に対して批判的な分析を加え、指揮と管理の違いを明らかにするとともに、軍事力の戦略的使用について論じています。
   1938年には、スプルーアンスとともに図上演習部長(戦略)を務めています。その後、重巡洋艦「アストリア」艦長として日本にも寄港しています。1940年半ばからは、米海軍の戦争計画部長として、後に海軍作戦部長となるアーネスト・キング提督に仕え、太平洋における作戦の立案に多大な影響を与えています。
   このようにターナーは、太平洋戦争における島嶼をめぐる戦いにおいて、計画と実践を見事に成し遂げています。米海大歴史学部アーカイブに残っている彼の論文の論理的な思考は、現代の島嶼をめぐる戦いにも大きな示唆を与えてくれる貴重な歴史資料です。

左から ①「制海を確保するための作戦(Operations for Securing Command of Sea)」(1937.7)
         ②「海戦における航空機配備(The Employment of Aviation in Naval Warfare)」(1937. 9)
         ③「艦隊の戦略的配備(The Strategic Employment of the Fleet)」(1937. 10)
         ④「海軍指揮の組織(The Organization of Naval Command)」(1937. 11)

米海大歴史学部アーカイブに残っているターナーの直筆サイン。

   
   

 (2016年5月14日記)

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