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 米海大ナウ!

1884年10月6日 米海軍大学設立

(022 2015/10/22)

米海軍大学   客員教授
本校戦略研究会(SSG)
1等海佐    下平   拓哉

   1884年10月6日は、米海大の誕生日です。131歳になりました。

【米海大設立時の校舎:現在のミュージアム】

   1861年から1865年の米南北戦争は、米史上最大の犠牲をもたらした戦争ですが、その後の工業化による繁栄の出発点とも言われています。そして南北戦争後、米海軍も技術革新の時代を迎えることになります。
   その象徴のひとつが魚雷です。1869年、ロードアイランド州ニューポートのゴート島に当時最新の魚雷基地が作られます。そしてその魚雷基地は太平洋戦争中の魚雷の80%を生産するなど、83年間にわたって米海軍に多大な貢献をすることになります。

   1880年代に入り、技術革新の流れを受け、米海軍において陸上における専門的教育の必要性が指摘されるようになります。1881年、米海軍は、ニューポートのコースター・ハーバー島に用地を取得、1883年6月4日、米海軍初の教育隊を開設し、1884年10月6日、米海大が設立されました。設立当時は、1820年に建てられた救貧院を校舎として使用していました。
   1885年、米海大初のクラスは、わずか9名の学生から開始されました。初代校長のルース(Stephen B. Luce) 提督は、学生に対しより幅広い見地を習得させるため、陸軍のブリス (Tasker H. Bliss) 中尉を採用しており、その後も他の軍種を積極的に受け入れています。ブリス中尉はその後、1901年に米陸軍大学の設立に貢献しています。また、国際学生の受け入れにも積極的であり、1894年にスウェーデン、1895年にデンマークの学生を受け入れています。

   現在の米海大は、通信教育を含めると年間1600名もの卒業生を輩出し、その数は、設立以来5万人にも及びます。今も多くが世界各地で活躍しており、現役の提督や将軍、高級文官は300名にも達しています。そして、これらの学生の教育と研究に当たる教授陣は、実に多様な安全保障分野の専門家からなり、その数は文官約200名、軍人約100名の総勢300名を越えています。私もその一員に加えられ、現在、統合軍事作戦(JMO)部において教鞭を執っていますが、常に最新の安全保障問題をセミナーに盛り込むように工夫されています。そのため、教授陣と学生によるシラバスやセミナー要領に関してのフィードバックが頻繁になされているのが特徴です。米海大は、経験と知識を武器に、議論を通じた実学を習得する場なのです。