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 戦略研究会

 米豪遮断への布告 
―米豪-南太平洋諸国の分断―

(コラム140 2019/06/20)

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    近年、南太平洋地域に対する中国の影響力の拡大は益々顕著となっている。中国の意図に対する分析では、この地域に多い台湾と国交を結ぶ国々の切り崩し、海底資源の確保、中国と南米諸国を結ぶ交通路の安定、そして台湾有事や南シナ海等における衝突を見据えた、米豪の協力の分断、米国の軍事活動のけん制等が指摘されている1。関係国は否定したが、2018年4月、中国がバヌアツに、ジブチに次ぐ二番目の海外基地を構築する話し合いがあったと報じられたことは、特に注目を集めた2。こうした進出の軍事的意義を、昭和17(1942)年に日本が同地で計画した米豪遮断作戦(フィジー・サモア(FS)作戦)に例えて説明される場合がある3
   しかし、両者は同列に扱えるものではない。元来、戦略守勢の漸減邀撃作戦を構想した日本が、南太平洋方面に進攻した当初の理由は、対英米同時開戦によって、元々考慮のなかった南からの脅威に対応を余儀なくされた、という受動的なものであった4。後に米豪遮断の構想が浮上するものの、その戦略的意義が、長期持久に備えた米国の反攻拠点奪取なのか5、米軍との艦隊決戦を促進する短期決戦の手段なのか6、オーストラリアを孤立させて英国の屈服に繋げる政略的なものかさえ7、明確になっていない。敵情見積もりも楽観的に過ぎ、加えて作戦に成功しても、実効的な米豪の遮断が可能かという疑問が残されていた8。ガダルカナル島の戦いを機に崩壊した同地の作戦は、総じて目的が曖昧、攻勢終末点の逸脱、陸海軍の不一致等と批判され、軒並み評価は低い9
    一方、80年代におけるソ連の進出こそ、振り返る意義があろう。発端は、1984年7月、ソロモン諸島による米国漁船の拿捕である。米国はマグロ等の高度回遊魚の占有権を認めず、南太平洋諸国の沿岸200NM以内で漁業を行っていた。拿捕に対し、米国は経済制裁で対抗したが、南太平洋諸国は一斉に反発した。米国は9月に南太平洋諸国と漁業交渉を行ったが、難航した。そこに1985年8月、キリバスがソ連と単独で漁業協定を結んだ。更に1986年6月、陸上施設へのアクセス、航空機の発着権を含めた、バヌアツとソ連の交渉が明らかにされた。漁業名目によるソ連の軍事的進出を懸念するオーストラリアは再考を促したが、バヌアツは自主外交と、オーストラリア、ニュージーランドがソ連と交易していることを理由に反発、ソ連と正式に国交を結んだ。同じ頃、フィジーもソ連との漁業交渉を始めたことを明らかにした。これを受けて、米国は終に漁業料で南太平洋諸国に歩み寄った。併せて、同盟国と共にソ連の進出に対する関心を表明し、南太平洋諸国独自の防衛力、抑止力増強のため、装備や訓練・教育の支援に取り掛かった10
    2006年のフィジーに対する中国の接近は、米豪に不満を持つ国に対し、接近を図ったソ連のやり方とよく似ている。フィジーのクーデターを批判し、経済制裁を行った西側諸国とは対照的に、中国は内政を問題視せず、現地政権の称賛を受けたのである11。また、当事国は否定しているが、報じられた2018年のバヌアツと中国の交渉内容は、1986年における同国とソ連の交渉とよく似ている。
    こうした第三世界に対するソ連の進出を、伊藤憲一は「平時布告の戦略」に当たると指摘した。その意味を端的に言えば、マハン(A. T. Mahan)が「あるフランスの著者」の言葉として紹介した、「戦争によって獲得しがたいようなある国の素晴らしい地点を平時に購入又は条約締結のいずれかによって占有することにより最も決定的な勝利を収める」ことである12。現在の南太平洋地域に対する中国の進出は、日本の米豪遮断作戦とは異質な、「平時布告の戦略」と言えるかもしれない。
    他方で、ソ連の進出には限界があった。ソ連にとって友好国を繋ぎ止める援助のコストは軽くなく、例えば1970年代後半にはエジプト、ソマリアに友好協力条約を破棄されている13。アジア・太平洋地域においても、ソ連の「イデオロギー」「経済」「文化」のいずれも有力な外交手段ではなく、専ら軍事的圧力に依存していたことが当時から指摘されていた14。米豪以外の選択肢に浮上することはあっても、「取って代わる」ことは困難であった。  近年の南太平洋諸国は、大国間の競争を利用し、したたかに独自外交を行っているとされる15。彼等に影響力を拡大するには、彼等自身のニーズや感情に合わせた対応が必要である。中国はソ連以上の外交手段を有しており、南太平洋諸国に対する影響力を退けるのは容易なことではない。中国の意図がどこにあるにせよ、その結果が「平時布告の戦略」を左右する重要なものであることを忘れてはならない。

(幹部学校 戦史統率研究室 3等海佐 岩村 研太郎)

(本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省、海上自衛隊の見解を示すものではありません。)

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1 吉川尚徳「中国の南太平洋諸国に対する関与の動向-その戦略的影響と対応-」『海幹校戦略研究』第1巻第1号、2011年5月、25-35頁;八塚正晃「中国の太平洋島嶼国への進出と『一帯一路』構想」『NIDSコメンタリー』第73号、2018年5月25日、1-4頁;秋田浩之「米豪分断に動く中国-南太平洋は『関ヶ原』-」『日本経済新聞』2018年11月16日。
2 「バヌアツ、中国による軍事拠点構築に向け協議したとの報道を否定」REUTERS、2018年4月10日、https://jp.reuters.com/article/china-vanuatu-idJPKBN1HH072
3 秋田「米豪分断に動く中国」。
4 対英米同時開戦との関係は、防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書〈49〉南東方面海軍作戦〈1〉-ガ島奪回作戦開始まで-』朝雲新聞社、1971年、18-20頁参照。
5 代表例として、軍令部第一課長の富岡定俊。富岡定俊『開戦と終戦-人と機構と計画-』毎日新聞社、1968年、116-117頁。
6 代表例として、軍令部の福留繁、三代一就。水交会編『帝国海軍提督達の遺稿-小栁資料-』下、2010年、345頁;戸高一成編『海軍反省会7』PHP、2014年、76頁。
7 防衛省防衛研修所戦史室編『戦史叢書〈49〉 南東方面海軍作戦〈1〉-ガ等奪回作戦開始まで-』朝雲新聞社、1971年、353-354頁。
8 同上、353、355頁。
9 戸部良一「日本の戦争指導-3つの視点から-」『平成19年度戦争史研究国際フォーラム報告書』2008年3月、25-26頁;桑田悦「初期進攻作戦終了後の戦略の混迷」近代戦史研究会編『日本近代と戦争4-国家戦略の分裂と錯誤[下][支那事変-太平洋戦争]-』PHP、1986年;近藤新治「大東亜戦争とFS作戦」『新防衛論集』第10巻第2号、1982年9月等。
10 岸田郁弘「こんにちはソ連、さようならアメリカ-超大国の高波に洗われる南太平洋諸国-」『世界週報』Vol.67、No.34、時事通信社、1986年、26-29頁;「ドキュメント ソ連の南太平洋進出に関する国防総省部長の議会証言」『世界週報』Vol.67、No.44、65頁。時事通信社、1986年11月4日。なお、当時国連海洋法条約は採択されていたが、未発効。
11 片岡真輝「中国の台頭と太平洋諸国の独自外交-大国間でしたたかに生きる島嶼国家-」アジア経済研究所『IDEスクエア』2018年10月、 https://www.ide.go.jp/Japanese/IDEsquare/Eyes/2018/ISQ201820_025.html
12 伊藤憲一『国家と戦略』中央公論社、1985年、107-114頁;マハン『海上権力史論』北村謙一訳、原書房、2008年、35頁。
13 伊藤『国家と戦略』113頁。
14 木村汎「ソ連のアジア・太平洋戦略」『ソ連・東欧学会年報』第14号、1985年、5-7頁。
15 片岡「中国の台頭と太平洋諸国の独自外交」。