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 戦略研究会

 米国防省の新たな軍事戦略(第3の相殺戦略)について(その4)

(トピックス037 2016/07/08)

   今回は、1970年代に採られたブラウン長官とペリー国防次官の“相殺戦略(The Offset Strategy)”に関する概要とともに教訓を抽出している部分の紹介である。

********************************* 目 次 **********************************

   序 言(Foreword)

   イントロダクション(Introduction)

第1章:「第3の相殺戦略」の先行事例
・ニュールック政策
・相殺戦略
・“第3の”相殺戦略に向けた機会と課題

   第2章:現状における米国戦力投射へのアプローチの欠点

   第3章:新たな相殺戦略の鍵となる要素

   第4章:新たな相殺戦略の実行:グローバルな監視及び打撃構想

   結 言(Conclusion)

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新たな相殺戦略に向けて(仮訳)
Toward A New Offset Strategy

■ 第1章:“第3”の相殺戦略の先行事例

● 相殺戦略(The Offset Strategy)

   およそ20年後、1970年代半ばから後半にかけて —まだ国防省がベトナム戦争の影響でよろめきつつ、ソ連の急速な核兵器開発に遅れを取らぬよう苦悩しつつ、欧州においてNATO軍の3倍の兵力で勝る従来のワルシャワ条約機構兵力の増強及び近代化に関連して、また、経済状況の停滞に直面しながら— ハロルド・ブラウン(Harold Brown)国防長官及びウイリアム・ペリー(William Perry)国防次官(研究・科学技術担当)は、“相殺戦略”と呼称した政策を採用した1
   ブラウン長官は、1981年に議会への報告書で以下のように述べている。

   科学技術力は兵力を何倍にもすることができ、資源は敵の数量的な優勢を相殺する助けとして利用できる。科学技術力で上回ることは、戦車対戦車、兵士対兵士…を対抗させるよりもほかの軍事的能力のバランスを取る一つの非常に効果的な方法である 2

 相殺戦略は4つの中心的な特徴を有している。それは、

・新たな情報、監視、偵察(intelligence, surveillance, and reconnaissance : ISR)
プラットフォーム及び戦闘管理能力の開発

・改良型精密攻撃兵器の配備

・航空機へのステルス技術の適用

ISR、通信、精密航法及び時間計測のための宇宙の戦術的開拓

である。3

   これらの特徴を実現させる決定的な科学技術の多くは、1960年代後半から1970年前半に開発されたものである。1975年までにDARPA(国防高等計画研究局)は以下の長期的調査研究計画を詳細に作り上げた。それには兵器の目標到達確度向上、戦場車両の機動力及び火力の強化、通信能力の改善、対ジャミング戦術データリンク及びARPAnet(訳者注:Advanced Research Projects Agency net、DARPAの前身であるARPAが導入したコンピュータ通信網)が先駆けとなる“パケット通信”ネットワーク、及び巡航ミサイルや遠隔管制航走ビークル(remotely piloted vehicles : RPVs)のような新たな兵器の目標到達手段がある4。この強力な科学技術基盤を構築しつつ、ペリー国防次官は1978年、議会にて以下のように証言した。

   精密誘導兵器は、戦闘を革命的に変貌させる潜在力を有していると私は確信する。さらに重要なのは、もし、我々が効果的にこの分野で先駆できれば、戦車には戦車を、ミサイルにはミサイルを対抗させることなくソ連との戦争を抑止する能力を大いに向上させることができる。競争は、しっかりと長期的に優勢な科学技術の分野へと効果的に移行するであろう。…我々の精密攻撃兵器の目的は、以下の能力を有している。それは、戦場におけるすべての攻撃優先目標をいついかなる時でも感知ことができ、認識しているどのような目標をも直撃することができ、命中させたどの目標をも破壊することができる5


   DARPAは、“奥まで見る(seeing deep)”、“遠く離れて射撃する(shooting deep)”ためのいくつかの科学技術を統合し、“アサルトブレイカー(Assault Breaker)”(訳者注:トピックス034参照)とうまく名づけられた構想実証型計画のシステムへと1978年に結合させた6
   主要な構想は以下を含む:

地上移動目標表示機能(Ground Moving Target Indicator : GMTI)付航空機搭載型合成開口レーダー(Synthetic Aperture Radar : SAR)


   地上の兵装車両の集中を探知するため、安全に離隔した距離(約300Km)から敵の領域を継続監視できるものであり、これはE-8統合目標監視・攻撃レーダーシステムに搭載された。

広域における大規模な地上兵装車両を識別し、破壊するための終末誘導型弾薬


   これは後にBLU-108感応起爆型兵器(Sensor Fused Weapon : SFW)として配備された。

路上機動車、長距離で非常に正確な地対地ミサイルシステム


   これは陸軍戦術ミサイルシステム(Army Tactical Missile System : ATACMS)となった。

   その他の主要な機能は、早期警戒管制システム(Airborne Early Warning System : AWACS)、統合戦術情報分配システム(Joint Tactical Information Distribution System : JTIDS)、F-117Aステルス戦闘機、無人偵察航空機、さらに精密な誘導砲弾の系列(Precision Guide Munitions : PGMs)、改良型偵察衛星及び全地球測位システム(Global Positioning System : GPS)を含む、相殺戦略の“システムの中のシステム(System of Systems)”の一部として開発された。1970年代に想起されたものの、これらの新たな機能の多くは1980年代半ばまでは運用されるには至らなかった7。それらは、空地共同戦闘構想(Air-Land Battle operational concept)、NATOの用語でいえばFollow-on Forces Attack(部隊縦深攻撃)で知られるものへと統合される。これは、ワルシャワ条約機構機動兵力の第2波を見つけ出し、紛争の早期段階において正確な打撃によるこれらの撃破が求められたものである8。ブラウンとペリーは、数量が重要であること及びすべての旧式兵力に先進技術を取り入れることは許容できないことを認識したので、特に欧州とアジアにおいて前線プレゼンスと能力のレベルを維持するために“ハイ・ロー”ミックスと表現したものを採用したのである。

   幸いにもソ連の崩壊によって、米軍は欧州中央でのワルシャワ条約機構との戦闘において決して試すことはなかった。1991年の砂漠の嵐作戦中に、ソ連軍をモデルにしたイラク軍50万人規模の戦力に対峙して使用した際には、情報科学技術は極めて有効な“戦力増幅器(force multiplier)”となることを証明した。あまりに一方的な米軍の勝利は、戦争において革命が継続しているとの証左であると広く考えられていた9。例えばソ連の研究者は、湾岸戦争直後に“管制、通信、偵察、電子戦を統合して単一の目標へ通常火力を浴びせる” ことが“初めて”現実になったことを知ることとなった10

   最低限4つの主要な教訓は、今日との関連性でブラウン長官の“相殺戦略”から導出できよう。

第1は、科学技術である。


   数量的に大きく優勢だが技術的に劣っている軍事力を“相殺する”ような、部隊の戦闘効果を乗算的に増加することができる。

第2は、優位に立てる競争分野への移行である。


   技術優位は競争を決定付けるので、 “戦車には戦車”、“ミサイルにはミサイル”で対抗させるよりも、米軍がさらに効果的に競争できる分野に移行させるのである。

第3は、十分に“ローエンド”な能力を保つことである。


   様々に変化する脅威環境に適合させた信頼性のある戦闘力のグローバルなプレゼンス、前線配備を維持する能力が重要である。

第4は、戦略的継続性と関係機関の関与の重要性である。


   ブラウンとペリーは1970年代後半にいくつかの技術開発計画を立ち上げたが、国防省内、続く政権及び議会における辛抱強い官僚支援がなはなかったであろう。特に、第一次ブッシュ政権の間の砂漠の嵐作戦で披露された多くの“相殺”技術ければ、それらは実現されることは、1980年代のレーガン政権による国防構築(defense buildup)がなければ実用化されることはなかったのである。

(その5に続く)

(幹部学校防衛戦略教育研究部 戦略研究室 松本裕児)

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1 Harold Brown, “Technology and National Security: Risks and Responsibilities,” remarks at France-Stanford Center for Interdisciplinary Studies, April 7-8, 2003, p. 2.
2 Harold Brown,Department of Defense Annual Report Fiscal Year 1982 (Washington, DC: DoD, January 19, 1981), p. x.
   米ソの軍事力バランスの評価において、ブラウン長官は後に“もし米国が軍勢で勝る潜在敵対国ソ連に対して相対的な優勢を模索していたなら、最も明らかな一つの方策は、米軍の装備に、比較的低いコストで高度な科学技術の取り込むことであった。“と述べた。Harold Brown, Thinking about National Security: Defense and Foreign Policy in a Dangerous World(Boulder, CO: Westview Press, 1983), pp. 229-230.
3 この期間の詳細な解説については次を参照のこと。Michael Vickers and Robert Martinage, The Revolution in War (Washington, DC: Center for Strategic and Budgetary Assessments, 2004), pp. 8-14.
4 Donald Hicks,ARPA/DNA Long Range Research and Development Planning Program, Final Report of the Advanced Technology Panel (Washington, DC: DoD, April 30, 1975).
5 William Perry, Testimony to the U.S. Senate Armed Services Committee, Hearing on Department of Defense Appropriations for FY1977, Part 8: Research and Development, February 28, March 7, 9, 14, 16, and 21, 1978, p. 5598; and Ashton B. Carter and William J. Perry, Preventive Defense (Washington, DC: Brookings Institution Press, 2000), pp. 179-180.
6 Glenn W. Goodman, “Transforming the Warfighting Landscape,” in DARPA, DARPA: 50 Years of Bridging the Gap (Tampa, FL: Faircount LLC, 2008).
7 当時の“秘密の”F-117計画は、1977年秋に総力を挙げた開発に入り、1981年に初期運用能力を獲得した。
8 基本的なエアランドバトル構想は、NATO軍の地上戦力がワルシャワ機構軍の前線部隊を抑え、一方でNATO軍のISR機が同機構軍の作戦待機部隊又は縦深兵力を位置局限するために“奥深く監視”し、それらが前線に到達する前に航空戦力又は地上精密攻撃兵器で遮断するというものであった。
9 最も明確にはペリー長官の言による。次を参照のこと。
“Desert Storm and Deterrence,” Foreign Affairs, Fall 1991. For OSD’s net assessment of the military-technical revolution in 1992, see: Andrew Krepinevich, The Military-Technical Revolution A Preliminary Assessment (Washington, DC: Center for Strategic and Budgetary Assessments, 2002).
10 砂漠の嵐作戦を、軍事の新旧体制の橋渡しする伝統的な戦争以上のものとして各付けする向きもソ連の評価では見られた。次を参照のこと。
Soviet Analysis of Operation Desert Storm and Operation Desert Shield,LN 006-91, translated by the Defense Intelligence Agency (DIA) (Washington, DC: DIA, October 28, 1991), p. 32; and Mary C. FitzGerald, The Soviet Image of Future War: “Through the Prism of the Persian Gulf” (Alexandria, VA: The Hudson Institute, May 1991).

 本コラムに示された見解は、幹部学校における研究の一環として発表する執筆者個人のものであり、防衛省または海上自衛隊の見解を表すものではありません。