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戦艦「大和」戦没70年追悼式

 平成27年4月7日(火)、呉市上長迫町にある呉海軍墓地にて戦艦大和会主催により戦艦「大和」戦没70年追悼式が行われ、呉地方総監が出席し、献花を行いました。呉地方隊から儀じょう隊及び呉音楽隊を派出し、儀じょう隊による敬礼・弔銃発射を実施、追悼演奏では「如何に狂風(いかにきょうふう)」を含む3曲が演奏されました。

軍艦旗掲揚
呉地方総監 献花
呉地方総監 献花
儀じょう隊による敬礼
弔銃発射
追悼演奏
如何に狂風(いかにきょうふう)とは

 この曲は、平成27年4月7日(火)に呉市上長迫町にある呉海軍墓地にて戦艦大和会主催により行われた戦艦「大和」戦没70年追悼式の追悼演奏で、呉音楽隊が演奏しました。

 昭和20年4月6日、沖縄救援のため、周南市三田尻沖を出港後、前甲板に整列した戦艦「大和」乗組員一同が涙を流しながら最期に歌った曲です。

 ここで戦艦「大和」の乗組員であった「石田 直義」さんの最期の証言をご紹介します。

 昭和20年4月6日。戦艦「大和」は出港して間もなく、総員集合の号令がかかり、当直員以外は全員、前甲板に集まった。副長から作戦命令の伝達があった。

 そして、総員が東を向いて皇居遙拝、万歳三唱、君が代を歌い、各自が自分の故郷の方向を向き、父・母・妻・子供に涙を流しながら、これが最期だと別れを告げた。

 そして、戦友には「靖国神社の白木の箱(棺)で会おう」と涙を流しながら握手を交わした。

 総員2000名が涙を流しながら、いつも歌っていた軍歌「如何に狂風」を歌った。

 これが本当に本当に最期だった。


 「如何に狂風」 楽曲ダウンロード

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