2024年6月

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第48次派遣海賊対処行動 水上部隊 出国行事

令和6年6月3日(月)、呉基地において第48次派遣海賊対処行動 水上部隊の出国行事を行いました。
来賓や乗員の家族が見守るなか、自衛艦隊司令官 齋藤海将が訓示を行ったのち、乗員は隊員たちに見送られ護衛艦「さみだれ」に乗艦し出港していきました。

ソマリア沖・アデン湾において発生している海賊行為から民間船舶を護衛する派遣海賊対処行動 水上部隊の活動は現在も続いており、護衛艦「さみだれ」は艦長である古賀2佐のもと、任務の完遂を目指します。

広島東洋カープとの協力イベント「海上自衛隊PRデー」

令和6年6月8日(土)、MAZDA Zoom-Zoomスタジアムで行われた広島東洋カープ対千葉ロッテマリーンズ戦で、広島東洋カープとの協力イベント「海上自衛隊PRデー」を行いました。

スタジアム内に広報ブースを展開し、写真パネルや南極の氷を展示しました。試合前に行われた始球式では、呉地方総監部管理部所属の吉井士長が投球しました。

「エルトゥールル号」追悼式典

令和6年6月10日(日)、和歌山県串本町にあるエルトゥールル号殉難将士慰霊碑において、追悼式典が行われました。式典には儀じょう隊が参加したほか、呉地方総監が献花を行いました。

「エルトゥールル号事件」とは

エルトゥールル号は、オスマン帝国の軍艦でした。1887年、小松宮彰仁殿下および同妃殿下がトルコを訪問し皇帝アブドゥル・ハミト2世に謁見した答礼として、1889年7月に日本に派遣されました。 1890年6月、総勢650名の使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は横浜港に到着、使節団を率いるオスマン・パシャ提督は明治天皇に拝謁しオスマン帝国の最高勲章を奉呈しました。
同年9月、トルコへの帰路についた使節団ですが、神戸を目指して航行していたエルトゥールル号は和歌山県紀州沖で台風に遭遇してしまい、沖合約40mで座礁、沈没しました。
この海難事故は、オスマン提督を含む乗員587名が死亡する大惨事となりました。この悲惨な事故に際し、付近の住民は献身的な救助を行い69名の乗組員を救出しました。救出された乗組員はのちに日本海軍の巡洋艦「金剛」および「比叡」により丁重にトルコに送還されました。
この日本の官民挙げての手厚い対応はトルコ人の心に響いたとされ、今日では両国の友好の原点となった出来事ともいわれます。

その後、事故の現場である和歌山県串本町には「エルトゥールル号殉難将士慰霊碑」が建立され、毎年慰霊式典が開催されています。

トルコ海軍艦艇「クナルアダ」呉入港

令和6年6月18日(火)、トルコ海軍艦艇「クナルアダ」が呉に入港し、入港歓迎行事が行われました。
19日(水)には一般公開を実施し、多数の見学者が訪れました。外国の艦艇が日本で一般の見学者に公開されることは珍しく、見学に訪れた人たちは、めったに見ることのできない外国の艦艇を楽しんでいました。