IPD24第1水上部隊出港
令和6年5月3日(金)、輸送艦「くにさき」は、令和6年度インド太平洋方面派遣(IPD24)第1水上部隊として呉を出港しました。
IPD24は、各国海軍等との相互理解の増進、信頼関係の強化及び連携の強化を図り、地域の平和と安定に寄与するものです。
練習艦隊 出港見送り
令和6年5月4日(土)、呉基地にて練習艦隊の出港見送りを行いました。
練習艦隊は、3月に海上自衛隊 幹部候補生学校を卒業した約200名の実習幹部を乗せ、近海練習航海を実施しており、その途中で呉に寄港していました。
当日は、練習艦隊司令官 西山海将補が出港あいさつをした後、来賓や乗員の家族が見守るなか、練習艦「かしま」と「しまかぜ」は呉を出港しました。
第73回掃海殉職者追悼式
令和6年5月25日(土)、香川県琴平町の金刀比羅宮にある掃海殉職者顕彰碑前にて、第73回掃海殉職者追悼式を行いました。
式では、執行者である呉地方総監 二川海将が挨拶を述べ、儀じょう隊が殉職者に対し敬礼・弔銃発射で弔意を表しました。顕彰碑には花と供物が供えられ、参列者は殉職者に哀悼の誠を捧げました。
「掃海殉職者追悼式」とは
昭和20年8月の太平洋戦争の終戦時、日本近海には、米軍および日本軍が敷設した6万7000余個におよぶ各種機雷が残されていました。当時海軍省は、同年10月に掃海部隊を編成し機雷の除去作業を開始しました。
その結果、昭和27年には全国の主要航路、港湾で安全宣言が出されるに至りましたが、それまでの6年有余の間に、作業中の爆発事故などで多くの隊員の命が失われました。
これら殉職隊員の偉業を後世に伝えるために、全国の32港湾都市の市長らが発起人となり、昭和27年6月に当時の吉田茂首相の揮毫により「掃海殉職者顕彰碑」が建立されました。以来、毎年追悼式を行っています。