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第31回「隊長のつれづれなるままに」(令和4年7月第17回)

 
 7月7日は、私が昨年呉音楽隊に着任した日になります。7日だけに「そ~ぉ、なのか!」となりますが、やはり、七夕の日というのが私たち日本人の感覚だと思います。一年に一度きり再会できる織姫と彦星の物語は、詳しくは知らないけど儚さを感じてしまいます。
 小さいころ「夢は儚いもの。」と教わった記憶がありますが、私は「夢は叶うもの。」と、子供のころから信じてきました。不思議と、私の周りにはそうした思いをもっている仲間が多く、楽天的な思考が育まれたことに感謝しています。小学生の頃は、路線バスの運転手になりたくて、運転席の後ろの席に座って夢中になって真似事をしていたことを思い出します。小学校の後半からはトランペット鼓隊、中学では吹奏楽部、高校ではオーケストラ部と音楽の畑で育ってきましたが、心の奥底ではバスの運転手の夢は燃え続けていました。私自身、音楽の世界で人生を送ることは無理だと思っていたので、中学生の時は楽器のリペアマンになりたいなぁとか、高校生の時は〇〇ツーリストの添乗員さんもいいかぁとか考えていた時期もありましたが、まさか自分が二浪までして音楽大学に進むことになるとは思ってもいませんでした。大学に進学してからは新聞配達をしながら通っていましたが、大学3年生の時、体力的・精神的にも無理が祟り中退を考えた時、やはり、音楽の道は無理だったなぁと考え始めたころ、大学を卒業していた先輩から自衛隊の音楽隊で演奏者を探しているらしいよと教えてもらいました。そうか、自衛隊にも音楽隊というものがあるのか!と初めて知りましたが、当時は、聴いたことも見たこともなく、勝手に行進曲を演奏しているぐらいだと思っていました。目標を見つけたことにより、残りの大学生活を乗り越えることができ、どうにかこうにか卒業し自衛隊入隊へと道がつながりました。
 自衛隊に入隊し、音楽隊へ配属。それと同時に大型免許証が取得できると(令和4年1月第10回参照)意気込んでいましたが、幹部の道に進むこととなり運転手への夢に続く道は見事に断たれてしまいました。バスではありませんが大型トラックの運転手になれる可能性があったのに指揮者になるなんて、人生を棒に振ってしまった~(私が指揮棒を使わないのとは無関係です。令和3年12月第9回参照)。
 やはり夢は儚いものなのかと空を眺めていると、ふと、部隊指揮官は部隊を目的地(使命)に向かってハンドリングし、任務を完遂するためにアクセル、ブレーキを巧みに操り、状況を読みつつ、それに適したギヤーにチェンジしたり、将又(はたまた)地図(多くの情報・意見)を活用し無駄なく効率的に部隊を運用し、すべての隊員の能力を十二分に発揮させ、使命(音楽隊の場合は演奏会の成功)を全うしていくことなのかなと思えば、子供のころに描いていた「バスの運転手」は、すでに叶っていることに驚きを覚えました。
 目に見える形は違えども、「夢は叶うもの。」であることを実感し、「今は過去の積み重ね、未来は今の積み重ね」であることを噛みしめると、いろいろな辛いことや苦しいこと、そのあとに訪れた幸せを考えると、人生は塞翁が馬だったと走馬灯を見る思いがしました。