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首席幕僚の部屋

第1護衛隊群司令部首席幕僚 1等海佐 下平 拓哉

略歴

昭和62年3月 防衛大学校卒
平成16年3月 いしかり艦長
平成17年3月 護衛艦隊司令部

統合幕僚学校教育課、海上幕僚監部防衛課、統合幕僚監部防衛課を歴任し、平成21年10月から現職

コラムリスト

コラム1:「石にだに立つ矢」

 年一度の海上自衛隊演習が終了しました。有事における海上作戦について訓練し、作戦・戦術能力の向上を企図する最大のイベントです。そこでは、艦艇、航空機、潜水艦等、海上自衛隊の数多くのビークルが参加し、情報、作戦、後方能力等、あらゆる力が結集されました。わが国の平和と安全を保つために、昼夜を分かたず、知恵を出し合い、汗を掻くという、まさに当群が旗印に掲げている「気概の一致」が必要とされる真剣勝負です。
 この時期に思い出す故事があります。中国の漢代に、名立ての弓使いである李広という将軍がいました。匈奴征伐を控え、右北平という所において猟をした際、草の中の石を見て虎と思い、一念をこらして矢を放った。早速駆けつけて見ると、それは虎ではなく石であったが、矢尻は深くその石を貫き、抜くことができませんでした。「なんだ石か」と思った李将軍は、続けて同じ距離から二、三本矢を放って見たが、石だと思って射た矢は一本も石を貫けず、すべてはね返ってしまったというのである。
 このように、「気概」という重い意味を深々と感じつつ、名人も凡人もそれぞれが「気概」を持って、かつ、それを一致させることの難しさと大切さを噛み締めております。

コラム2:「上司に仕えて犯しやすい過ち」

 本年5回目になる第1護衛隊群の群訓練が終了しました。私首席幕僚兼作戦主任幕僚等の主要幕僚が交代し、群内の意思統一を再徹底するとともに、引き続き、即応態勢の維持を図るため、複合脅威対処訓練や射撃訓練等を実施しました。山下万喜群司令は、最新鋭艦「ひゅうが」において指揮をとられ、より効果的な海上作戦の策定を視野に、新たな部隊運用コンセプトの検証を行いました。
   様々な情勢を付与しながら行う訓練においては、変化する情勢に柔軟に応じ、迅速かつ果敢な判断が求められますが、群司令を補佐する群司令部幕僚として、いかに適時適切な助言をすることが難しいか痛感した次第です。
 『論議』に次のような故事があります。「君子に侍するに三愆(けん)あり。言未だこれに及ばずして言う、これを躁(そう)と謂う。言これに及びて言わざる、これを隠と謂う。未だ顔色を見ずして言う、これを瞽(こ)と謂う。」(李氏第十六−六)
 その意味するところは、上司に仕えて犯しやすい過ちが3つあります。言うべきときではないのに言うのが、がさつ(騒がしい)。言うべきときなのに言わないのが、隠す。上司の反応を無視して言うのが、盲(めしい)であります。
 このように、上司の意を体して適切に助言することは、一般の社会でも難しいものですが、海上という千変万化する環境のなかではなおさらであり、これらを身につけていくためには、やはり、不断の訓練しかないようです。

コラム3:「力としての知識結集」

 まもなく、クリスマス、そして、年の瀬。第1護衛隊群司令部も、 越年準備のため何かと多忙を極めております。先般、シスター・スクォ ードロン、いわゆる当群司令部の在日米海軍側のカウンター・パートで ある米第15駆逐隊(DESRON 15)と、アット・ホームを行いました。 アット・ホームとは、家族を含めた定例の親睦会のようなもので、これ に併せて、TIN CUPという杯の争奪を賭けてのスポーツ・イベントも実施 しました。今回は、天候を鑑みて室内で皆が楽しめるボーリングを行い ました。残念ながら、小差で敗北しましたが、山下群司令は、日本側の ハイスコアを出しました。
 当群司令部には、様々な幕僚がいて、作戦、後方、監理等あらゆる 側面から山下群司令を補佐しております。改めて当群司令部の面々を見ま わしてみますと、マイクロソフト社のビル・ゲイツ氏の言葉を思い出し ました。彼は、“Business @ the Speed of Thoughts”という著書の中 で「新しい規則」について言及し、「知識は力である」ことを強調し、 次のように続けています。“Power comes not from knowledge kept but from knowledge shared. A company’s values and reward system should reflect that idea.”(「力は知識を隠しておくことからでは なくて、分かち合うことから生まれる。会社の価値観や報奨のシステム もこの考えを反映すべきである。」)
 このように、情報化の激しい現代にあって、当群司令部員は、 全知識を結集させ、力として昇華させるべく、群司令指導方針「気概の 一致」を合言葉としております。しかしながら、作戦主任幕僚として、 TIN CUPを勝利に導けなかったのは責任重大です。

コラム4:「立てそむる志」

  謹賀新年  第1護衛隊群司令部も新たな年を迎えました。即応態勢を維持しつつ、交代で休暇をとり、平穏な新年を迎えることができたことは、この上もない喜びです。この時期は、本年度の訓練成果を総決算するとともに、来年度の計画を策定していくという極めて重要な結節であり、新たな気持ちをもって始動しました。
 本年は、「庚寅」。庚には、継承・更新という良い意味と、償うという悪い意味があります。寅には、人が謹んで助けあうという良い意味と、恐ろしいものという悪い意味があります。これらの意味をよく考え、悪い面がでないよう、昨年をよく反省し、協力しあって、颯爽と前進する良き年としなければなりません。
 元日、靖国神社へ初詣に参り、何とも考え深いおみくじを引きましたので紹介します。おみくじは、「吉」でしたが、その「みおしへ」に次の句とその解説がありました。
 「立てそむる志だにたゆまずば 龍のあぎとの玉も取るべし」(大国隆正)
 “志を立てるのに、遠慮はいらぬ。理想は高く、そして可能な限りそれに近づくための努力こそが、生き甲斐だ。昂然たる気概を堅持しよう。現実の人生は、悪戦苦闘がつきものだが、それに耐え、それを克服してこそ、龍のあごの美しい玉をも獲得することができる”
 まさか、靖国神社において、山下群司令の指導方針「気概の一致」と同じく、昂然たる気概を堅持せよとの教えに接するとは思いもよらず、気を新たにした次第です。

コラム5:「厳寒の地で思い起こすこと」

   第1護衛隊群は、「ひゅうが」により、初めて八戸、大湊へ入港しました。この時期の青森は、風雪強く、波高く、13,500tもあるさすがの「ひゅうが」においても動揺を感じました。
 大湊といえば、斗南藩上陸の地。血涙の辞に始まる物語で、会津藩士がたどった苦難の姿を描いた書『ある明治人の記録』が思い起こされます。その主人公・柴五郎は、万延元年(1860年)生まれ、戊辰の役で、母と妹を自刃で亡くし、8才で斗南藩に転封、辛酸を嘗めた生活を送るも、会津人としての誇りを忘れることなく、最後には福島県初の陸軍大将にまで上りつめた忍耐の人です。
 彼の名を有名ならしめたのが、義和団の乱での活躍振りです。当時、11ケ国の公使館が集まった北京において、民衆の反感を背景に組織された義和団の襲撃から、各国の居留民を保護するため、独自の情報網を駆使し、各国との協力を主導し、60日間にも及ぶ篭城戦を凌いだのです。その適切かつ勇敢な行動は各国から高い賞賛を得たのでした。
 そこには、広範な国際情勢認識と確固な意思、そして、斗南で経験した何事にも屈しない不断の忍耐が備わった人物であったからこそ、成し遂げられたのでしょう。寒さ厳しく、歴史ある地・大湊だからこそ、学ぶべきことも多いのではないかと感じつつ、雪降りしきる釜臥山を後ろに帰路につきました。

コラム6:「乃木将軍の徳行」

    当群は、任務に即応すべく、日夜、厳しい訓練に励んでおりますが、先般、本年度最後の群訓練を終えました。当群の他部隊との大きな相違は、やはり、最新鋭艦「ひゅうが」の戦力化と常日頃から培ってきたノウハウに裏づけられた強力な日米協力関係です。その下支えは、まさに、群司令部幕僚が一丸となって、頭を絞り、汗を流し、走り回っている一体感であります。
 今回、黒潮強き四国沖で訓練し、思い出す故事があります。それは、坂の上の雲の時代と言われる日露戦争時に、旅順要塞を陥落させた武人の鑑・乃木将軍が、まだ四国は香川の善通寺第11師団長であった頃の一話です。
 第11師団近くの象頭山には、我々船乗りにとって縁深い海の神様・金比羅宮があります。明治32年正月、象頭山頂上で新年会が催されることとなりました。ところが、当日は大雪で、誰もが延期だろうと思っていたが、乃木将軍は、自ら腰に竹皮弁当をぶら下げ、弱音も吐かず、副官とともに頂上まで登りました。いつの時代も副官は大変のようです。
 頂上に着いて、皆が集まっても、将軍は一向に昼食をとりませんでした。なぜなら、人夫達ちが雪の中、料理を運んでくるのを待っていたのでした。
 踊れや歌えの大宴会の後、将軍はあたりに散らばったごみを拾い集め、焼いてしまいました。副官も、将軍の竹の皮を焼こうとすると、将軍は「これは持って返ってまた使うから」と静止したと言われております。
 このように、将軍は、「やるときめたら必ずやる」。山に登る人に「迷惑をかけない」。「物はできるだけ生かして使う」という、強い決意と公徳と倹約の3つの重要性を、身をもって教えていたのです。いつの時代も、指揮官先頭が基本であり、当群も、山下群司令指揮の下、「気概の一致」を旗印に一丸となって、あらゆる任務に即応する体制を維持しております。

コラム7:「学ぶ姿勢」

 先般、当群「ひゅうが」に安全保障を専門に学んでいる大学生らが集い、洋上セミナーが実施されました。今回のような洋上セミナーは、海上自衛隊においても初の試みであり、第21航空群等関係各部の多大な支援協力を得て、成功裏に終えることができました。
 セミナーにおいては、最新鋭艦「ひゅうが」や搭載航空機の研修はもとより、そのハイライトは、上智、慶應、拓殖大からの気鋭の学生らとともに、当群幕僚らが混在して実施したディスカッションでした。夜遅くまで、幕僚とともに、熱い議論を交わしながら、発表準備をしていた皆の熱心さは特に印象的でした。我々、安全保障実務者にとっても、真剣に国を憂い、安全保障を論じる学徒の真剣さと清さには大変学ぶべきところがありました。
 ドイツの著名な哲学者ショーペンハウエル(1788〜1860)は名著『読書について』の中で「自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の説を学び、自説の強化に役立てる」と述べています。実務者と学識者が、傲らず協力し合って、議論し、自らの足元を確かめ合うことの大切さを再認識しました。

コラム8:「NT2(TK)」

 第1護衛隊群司令部においては、幕僚業務の進捗状況を報告し、今後の方向性について群司令の意向を伺い、かつ幕僚間の意思疎通を図るために、毎週NT2(TK)という会議を実施しています。「逃げるな(N)」「倒れるな(T)」「倒れるなら前に倒れろ(T)」「倒れても結果を出せ(TK)」の頭文字です。なぜ、最後のTKに(カッコ)がついているのかは、お考え下さい。
 これについて思い出す故事があります。アメリカにおける有数の成功者の一人である新鉄鋼王と称されるシュワップが自分の成功について語った次の言です。
 「私が週2ドルの小僧から、年80万ドルの俸給を受けるような身分になったことについて、色々と尋ねられるが、それは私にもよくわかりません。しかし、運が良かったとか、僥倖であったとは全然思いません。人の成功に必ずある機微があって、その機微をとらえたものが成功すると思います。そして、その機微とは、どんな辛いことでも、どこまでも我慢して、必ず成し遂げずにはおかぬという、その意気込みがあるかないかによるものだと信ずる。何でも世の中のことは自分で考えて、自分の腕で働いて、だんだんに仕上げていってこそ成功するのである。」
 このように、結果を出すことが求められるのです。

コラム9:「Bridge over the Pacific: 太平洋の架け橋とならん」

 平成22年度米国派遣訓練(RIMPAC 2010)が始まりました。ハワイ及び同周辺海空域等で、洋上訓練、施設利用訓練等を実施し、戦術技量の向上を図るものです。
米国、オーストラリア、カナダ、フランス、韓国、シンガポール、チリ、ペルー等数多くの国々が参加します。また、今回は、同訓練にあわせ、カナダ海軍創立100周年記念国際観艦式にも参加してきます。 このように、今回のRIMPACは、以前にも増して非常に国際色豊かな訓練であり、その名(RIMPAC: Rim of Pacific exercise)が示すように、太平洋をめぐる世界中の海軍士官達と顔を合わせ、意見を交わしあえる貴重な機会なのです。
 太平洋をめぐっての活躍といえば、『武士道』で有名な新渡戸稲造が想起されます。新渡戸稲造は、『武士道』で日本人の精神をわかりやすく、世界中に説明したばかりではなく、1920年国際連盟事務総長代理として、各国に講演に飛びまわり、国際平和機構の精神を普及させたことで知られております。その際に残した有名な言葉に次のようものがあります。
「われ願わくは太平洋の架け橋とならん。
(My wish is to become a bridge over the Pacific)」
 今次米国派遣部隊も、この新渡戸稲造と同じ気概をもって、太平洋をめぐる海軍とともに、より安定した安全保障環境を構築するため、「太平洋の架け橋」の一翼を担っているのです。

コラム10:「Dream and Communication in Canada」

 カナダのビクトリアに入港しました。カナダ海軍創立100周年記念国際観艦式(Canadian Naval Centennial Maritime Forces Pacific International Fleet Review)に参加するためです。これを祝して、日本の他、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、フランス等の多くの海軍が集います。
 九州ほどの大きさがあるバンクーバー島の南端に位置するビクトリアは、ブリティッシュ・コロンビア州の州都で、政治・経済の中心です。その名が示すとおりイギリスの植民地の歴史を有し、かつてはイギリス海軍補給前線基地でもあり、今は、カナダ海軍の中心地です。カナダと言えば、世界屈指のコンサルタント、ブライアン・トレイシー(Braian Tracy)が有名で、次の言葉が印象的です。
「夢みることができれば、それを実現できる。限界はすべてあなたの中にある。
(If you can dream it, you can do it. Your limits are all within yourself.)」
 英国風のガーデニングやアフタヌーンティーの生活習慣を色濃く残す町並みにおいて、他国の海軍の人たちと、国際社会の平和と安全について、夢を語り、その実現を目指す楽しみがあります。でも、コミュニケーションに不安はつきもの。
「コミュニケーションは学べる技術である。自転車に乗ったり、タイプしたりするようなもの。もし、学びたいのなら、人生のあらゆる局面で向上できる。
(Communication is a skill that you can learn. It’s like riding a bicycle or typing. If you’re willing to work at it, you can rapidly improve the quality of every part of your life.)」
 この不安を解消するためには、美しい町並みを見て回るため、自転車に乗りたいとの夢を見て、漕ぐ練習を欠かさないことにあるのです。

コラム11:「海上自衛隊の立ち位置」

 Rimpac2010に参加するため、ハワイのパールハーバーに入港しました。今回の訓練では、14か国、艦艇34隻、航空機100機以上、潜水艦5隻、人員約2万人の参加が見積もられております。徐々に、パールハーバーに集結し、これから、数日間に亘って最終事前調整会議が行われ、各艦においては、連日、ナショナル・レセプションが催されます。
 今回、日本からは、護衛艦「あたご」と「あけぼの」の2隻、P―3C哨戒機3機、潜水艦「もちしお」が参加します。部隊練度の向上を図るための着実な訓練準備を行いつつ、他国海軍との実務者レベルの盛んな防衛交流が行われます。まさに、乗員一人一人が、我が国防衛のメッセンジャーなのです。
 今回の訓練の特色の1つに、非軍事的活動の重視があります。これは、現実世界(Real World)における海上安全保障(Maritime Security)の99%が非軍事的活動であるとの情勢認識を踏まえた必然の流れなのです。日本の派遣部隊は、これまでに築き上げてきた術科技量を遺憾なく発揮できる好機であるとし、国際社会における積極的な立ち位置を模索すべく、入念な準備作業を進めております。

コラム12:「99% NCMO」

 1971年開始以来、最多の参加国をもって行われたRIMPAC2010が終了しました。陸・海・空軍・海兵隊・シビリアンを含め約2万人以上が参加し、960にも及ぶイベント訓練、3000回を超す航空機の出撃等予定どおり実施されました。まさに、アジア・太平洋地域における平和と安定のために行われる同地域最大規模の訓練で、今後ますます参加国の増加が予想されています。特に印象的に残ったことを2つ。
 第1に、訓練は現実世界を睨んで実施されたこと。特に、海賊対処や捜索救難、VBSS等、戦闘行為を伴わない軍事活動(NCMO: Non Combatant Military Operation)が現実世界では作戦の大半を占め、その重要性と訓練の必要性が認識されたこと。
 第2に、訓練にメッセージ性があるということ。つまり作戦とメディアの融合。STRATCOM(Strategic Communication) という考えに基づき、DV(Distinguished VIP)の訪問が400回以上。CIB(共同広報局:Combined Information Bureau) が中心となって、作戦の推移に合わせて、TVやホームページ、FACEBOOK、Twitter等のメディアを駆使して、写真、動画等を日々アップしていました。
 いかなる時も、現実の世界をしっかり睨み、国民にしっかり説明する視点は非常に大切であり、決して失ってはならないものです。また、日米加豪仏等多国間で協力し合うことは、信頼関係の構築のみならず、強い人間関係を生む貴重な機会であるとともに、大きなメッセージを含むことを強く認識しました。

コラム13:「日米共同統合演習」

 日米共同統合演習が終了しました。同演習は、昭和60年以降行われ、本年は27回目。我が国の防衛に係る各種作戦を中心に、特に米軍との共同要領、各自衛隊間の統合運用要領を演練することを狙いとしています。
日本海では、米イージス巡洋艦「シャイロー」等が弾道ミサイル対処に当たり、太平洋では、米空母「ジョージ・ワシントン」とともに、当群が「ひゅうが」において参加しました。演習内容は、武力攻撃事態に際しての対潜戦、対水上戦、対空戦等海上における諸作戦の他、航空諸作戦や大量負傷者の発生を想定した捜索救助活動も実施されました。
 当群は、平素から弛まない日々の訓練の積み重ねと日米関係の一層の強化、そして「ひゅうが」の最大活用を眼目に、常に「実際の局面」を考えながら訓練を実施してきました。今回もいつもと変わらず当群のカウンター・パートである米第15駆逐隊のスタッフとの強い絆の下、円滑に作戦を遂行することができました。
 もちろん日米間には言葉の壁、文化の壁、考え方の壁があります。それらを越えて日米共同を進めていくためには、相互理解と意思疎通が必要で、それには常日頃からの不断の努力に基づく信頼関係の構築こそが、真に実際の局面で役立つものと考え、終演後も即応態勢の維持に尽力しております。

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