海上自衛隊創設に至る歴史・年表 JMSDF 70th ANNIVERSARY

海上自衛隊創設に至る歴史

 海上自衛隊は、令和4年(2022年)4月26日に創設70周年を迎えました。その前身たる海上警備隊創設の歴史は、先の大戦終結まで遡ります。
 昭和20年(1945年)11月30日、海軍省は廃止され、終戦業務は第二復員省の担当となりました。主に復員業務や機雷掃海による航路啓開業務を行うこととなりました。大戦時日本周辺に敷設された数万個の機雷を除去する必要から、旧海軍軍人達による機雷掃海による航路啓開業務は、第二復員省が廃止された後も、紆余曲折を経て1948年運輸省外局として設置された海上保安庁に引き継がれます。
 その後、昭和25年(1950年)に朝鮮戦争が勃発すると、日本はGHQ(連合国最高司令官総司令部)の要請により海上保安庁で掃海業務に従事していた旧海軍軍人らを中心とした特別掃海隊を朝鮮半島近海に派遣し、元山沖では蝕雷事故により1名の殉職者を出しながらも、見事任務を達成し米国からの高い評価を得ました。
 昭和26年(1951年)9月8日、サンフランシスコ講和条約が調印され、同時に日米安全保障条約も締結されました。これにより、日本は独立国として海上警備力の強化を具体化できる状態になりました。こうした中、同年10月19日、GHQを訪れた吉田首相は、連合国最高司令官マシュー・リッジウェイ大将と会談した際、PF(哨戒艦)貸与の申し入れを受け、その場で承諾します。この受け入れ要領及び運用体制に関して政府諮問に対応するため、戦後も海軍再建を研究していた旧海軍軍人や海上保安官による内閣直属の委員会(Y委員会)が設置されます。この委員会は、米海軍供与のPFを中心とした兵器・需品・艦艇などを受領し、保管整備するとともに、これらの機能を発揮するための要員を募集し、給与を支払い、かつ錬成するための制度の実現を促すことを目的としていました。また、同時に新たな海上防衛組織の設立の是非も討議され、結果、海上保安庁から独立した新たな組織を設立することが決定されました。
 昭和27年(1952年)4月1日、海上保安庁法の一部が改正され、4月26日付で「海上警備隊」(海上警備官5947人、事務官など91人)が発足しました。航路啓開業務等に従事していた艦船は日本海軍が保有していた駆潜特務艇や哨戒特務艇を掃海艇に改造した艦船や支援船で構成されていました。同年8月1日、保安庁法が施行され、「海上保安庁」から「保安庁」へ移籍となった「海上警備隊」は、航路啓開業務に従事していた艦船を「海上保安庁」から引き継ぎ、名称も海上が消えて「警備隊」と改められました。
 昭和29年(1954年)7月1日、防衛庁設置法及び自衛隊法が施行されました。これにより、これまでの「警備隊」は、海上自衛隊と名称が改められ現代に至ります。

年表

昭和平成令和

昭和 25年 朝鮮戦争
27年 海上警備隊創設
29年 防衛庁設置、海上自衛隊発足
30年 初の日米共同(掃海)訓練
31年 防衛庁、越中島から霞ヶ関へ移転
32年 初の観艦式(東京湾)
33年 第1回遠洋練習航海(ハワイ)
35年 防衛庁、霞ヶ関から桧町へ移転
38年 初の潜水艦ハワイ派遣訓練
39年 東京オリンピック
40年 初の護衛艦米国派遣訓練
マリアナ沖の漁船群遭難にかかる災害派遣
初の南極地域観測協力(砕氷艦「ふじ」)
41年 初の航空機ハワイ派遣訓練
51年 初の水上艦艇ハワイ派遣訓練
55年 初のリムパック参加
59年 初の日米共同指揮所訓練(横須賀)
61年 初の日米共同統合指揮所演習・実動演習
平成 1年 ベルリンの壁崩壊
3年 湾岸戦争
掃海艇等、ペルシャ湾へ派遣
ソビエト連邦の崩壊
4年 「国際平和協力法」成立
8年 第5回西太平洋海軍シンポジウム主催
初の海自艦艇訪露・訪韓
9年 ナホトカ号海難・流出油災害にかかる災害派遣
10年 初の3自衛隊統合訓練
11年 「海上における警備行動」発令(能登沖の不審船対処)
初の日米輸送艦共同訓練
初の日韓捜索・救難共同訓練

トルコ地震による国際緊急援助活動のため艦艇派遣
初の海上保安庁との不審船共同対処訓練
「周辺事態安全確保法」成立
12年 防衛庁、檜町から市ヶ谷へ移転
「船舶検査活動法」成立
13年 米国同時多発テロ
「テロ対策特別措置法」成立
テロ対策特別措置法に基づきインド洋へ艦艇を派遣