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第I部 わが国を取り巻く安全保障環境

3 各地の紛争の現状と国際社会の対応(中東・アフリカを中心に)

1 シリア情勢

11(平成23)年3月から続くシリア国内の暴力的な衝突は、シリア政府軍、反体制派、イスラム過激派勢力及びクルド人勢力による4つ巴の衝突となっている。しかしながら、ロシアの支援を受ける政府軍が16(平成28)年12月に反体制派の最大の拠点であったアレッポを奪還するなど、全体的に政府軍が優位な状況となっている。

こうした中、15(平成27)年12月に採択された国連安保理決議第2254号28において、和平に向けた枠組みが設定され、16(平成28)年1月以降、国連の仲介のもと、政府と反体制派との間で和平協議が実施されてきた。しかしながら、双方による戦闘は収束せず、和平に向けた取り組みに進展はみられなかった。

このような状況を受けて、17(平成29)年1月、カザフスタンのアスタナにおいて、ロシア、トルコ及びイランが主導する和平協議が開始された。同年5月に行われた第4回会合では、シリア国内の4か所に「緊張緩和地帯」を設置し、対象地域内では交戦や空爆を禁止するとともに、ロシア、トルコ及びイランが停戦監視のためにシリア国内に部隊を派遣することが合意された。さらにその後、18(平成30)年1月にはロシアのソチでシリア国民対話会議が開催され、新憲法の制定に向けて憲法委員会を設立することで合意された。ただし、主要な反体制派やクルド人勢力は同会議には参加しておらず、今後新憲法の制定に向けた協議が進展するかが注目される。

このように和平に向けた取り組みは進められているものの、「緊張緩和地帯」とされている北部イドリブ県や首都ダマスカス郊外の東グータ地区においては大規模な衝突が発生した29。特に東グータ地区においては、ロシア軍の支援を受けたシリア政府軍が攻勢を強め、多くの市民が犠牲となった。18(平成30)年4月、政府軍は同地区の制圧を発表した。

こうした中、米国、英国及びフランスは東グータ地区においてアサド政権が化学兵器を使用したと判断し、18(平成30)年4月に、シリアの化学兵器関連施設に対するミサイル攻撃を実施し、化学兵器の拡散と使用は断固として許さないとの決意を示した。これに対し、アサド政権を支持するロシアやイランは、3か国による今回の攻撃に反発している。

さらに、シリア国内でISILの勢力が減退する中で、クルド人の地位をめぐる対立が表面化している。16(平成28)年3月、クルド人政党「民主連合党」(PYD)が主体となり、シリア北部における連邦制の導入を一方的に宣言し、17(平成29)年9月には独自の自治体選挙を実施する30など、クルド人勢力は自治権の拡大に向けた動きをみせてきた。これに対し、PYDをテロ組織とみなすトルコは、18(平成30)年1月、クルド人勢力が支配するシリア北西部のアフリンに侵攻し、同年3月にはアフリン市中心部を制圧したと発表した。

このように、シリア国内における各勢力間の軍事衝突は依然として収束の兆しがみえておらず、また和平協議も停滞している状況であり、シリアの安定に向けて国際社会によるさらなる取組みが求められる。

2 中東和平をめぐる情勢

1948(昭和23)年のイスラエル建国以来、イスラエルとアラブ諸国との間で四次にわたる戦争が行われた後、1993(平成5)年にイスラエルとパレスチナの間でオスロ合意が締結され和平プロセスが一時進展したものの、依然として和平の実現には至っていない31。また、パレスチナ自治区においては、ヨルダン川西岸地区を統治する穏健派のファタハと、ガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織ハマスが対立し、分裂状態となっている。

ハマスは17(平成29)年9月、ファタハによるガザ地区の統治を受け入れる意向を表明し、同年10月、エジプトの仲介のもとで直接協議が行われ、同年12月1日までに統治権限が移管されることで双方が合意した。しかし、その後の交渉は難航し、こうした中、同年12月6日、トランプ米政権が米国はエルサレムをイスラエルの首都であると認めると発表した。これを受けてパレスチナ自治区内では連日デモなどの抗議行動が行われ、イスラエル治安部隊との衝突により死傷者が出るなど、一時的に治安が悪化した。また、ガザ地区からイスラエル領内に向けてロケットが発射され、これに対してイスラエルがガザ地区から発射されたロケットを迎撃したほか、ガザ地区への空爆なども実施するなど、緊張が高まった。18(平成30)年5月に、米国が駐イスラエル大使館をテルアビブからエルサレムに移転した直後には、再びパレスチナ自治区での抗議活動が活発化し、特にガザ地区で多くの死傷者が発生した。米国の関与のあり方も含めた中東和平プロセスの今後の動向や、ガザ地区の統治権限の移管に向けた交渉の行方が注目される。

3 イエメン情勢

イエメンでは、11(平成23)年2月以降に発生した反政府デモや国際的な圧力により、サーレハ大統領(当時)が辞任し、大統領選挙を経てハーディ大統領への政権移行が行われた。

一方、同国北部を拠点とする反政府武装勢力ホーシー派32と政府との対立は激化し、同年9月にホーシー派が首都サヌアを占拠したため、ハーディ大統領は南部のアデン市内に退避した。

その後、ホーシー派はアデン市内にも侵攻したため、ハーディ大統領はアラブ諸国に支援を求めた。これを受けて、15(平成27)年3月、サウジアラビアが主導する有志連合がホーシー派への空爆を開始した。

同年4月から8月にかけて、累次にわたり国連の仲介による和平協議が開催されたが、最終的な和平合意はなされていない33。現在もアラブ諸国によるホーシー派への軍事作戦と、ホーシー派によるサウジアラビアへの弾道ミサイル発射などの攻撃は継続している34。有志連合は18(平成30)年6月、ホーシー派が支配するイエメン第二の湾岸都市ホデイダの奪還作戦を開始し、空港を占拠したと発表した。他方、ホーシー派による弾道ミサイル攻撃については、主にサウジアラビア南部を標的としているが、17(平成29)年11月以降、サウジアラビアの首都リヤドに向けて弾道ミサイルを発射したと表明している。これに対し、サウジアラビアは、ホーシー派が発射した弾道ミサイルは迎撃していると主張している。なお、米国やサウジアラビアは、リヤドに向けて発射されたミサイルはイランが提供したものであると主張している。

こうした状況の中、ホーシー派と共闘してサウジアラビア主導の有志連合軍と衝突していたサーレハ前大統領が、17(平成29)年12月、サウジ主導の有志連合軍に停戦と対話を申し出、これに反発したホーシー派が同前大統領を殺害した。一方、政権側内部においても、18(平成30)年1月、イエメン南部の独立を目指す「南部移行評議会」がハーディ政権と衝突し、アデンの軍事基地や政府庁舎を制圧するなど、混迷が深まっている。

4 アフガニスタン情勢

アフガニスタンでは、米国同時多発テロを受けて01(平成13)年11月に米軍がタリバーンなどの掃討作戦を開始し、その後のISAF及びアフガニスタン治安部隊(ANDSF:Afghan National Defense and Security Forces)による治安維持活動などの取組みにより、タリバーンの攻撃能力は一定程度低下したと言われている。しかし、14(平成26)年12月にISAFが任務終了に伴い撤収し、ANDSFへの教育訓練や助言などを主任務とするNATO主導の「確固たる支援任務(RSM:Resolute Support Mission)」が開始された頃から、タリバーンの攻勢が激化し、治安が悪化した。一方、ANDSFは兵站、士気、航空能力、部隊指揮官の能力などの面で課題を抱えており、こうした中でタリバーンは国内における支配地域を拡大させてきた。17(平成29)年10月に発表された米国のアフガニスタン復興特別査察官の報告書によると、アフガニスタン政府の支配あるいは影響が及んでいる地域は国内の約57%であり、調査が開始された15(平成27)年12月以降、最も少なくなっている。

さらに、タリバーンに加え、ISILもアフガニスタン東部に「ホラサーン州」を設置して活動範囲を増大させており、各地でタリバーンやISILが関与したとみられる自爆テロやロケット弾による攻撃が相次いでいる。17(平成29)年9月のマティス米国防長官によるアフガニスタン訪問時には、カブール国際空港及びその周辺にロケット弾が複数着弾し、タリバーンとISILがともに犯行を主張した。また、18(平成30)年1月、カブール中心部において100人以上が死亡する自爆テロが発生し、タリバーンが犯行声明を発出したほか、東部のジャララバードでは同月、ISILがNGOの事務所を襲撃するなど、全土において不安定な治安情勢が継続している。18(平成30)年6月には、アフガニスタンとタリバーンがそれぞれ停戦を発表したものの、タリバーンは3日間で停戦を解除し、攻撃を再開しており、治安が安定するかは不透明な状況である。

なお、15(平成27)年5月にアフガニスタン政府とタリバーンとの間で初めて和平協議が行われたが、その後タリバーンの最高指導者の交代などを受けて、協議は開催されていない。18(平成30)年2月、アフガニスタン政府はタリバーンへ対話を呼びかけたものの、和平協議に関してタリバーンは沈黙を守っており、協議が再開される見通しは立っていない。

5 リビア情勢

リビアでは、11(平成23)年にカダフィ政権が崩壊した後、12(平成24)年7月に制憲議会選挙が実施され、イスラム主義派が主体となる制憲議会が発足した。そして、14(平成26)年6月、制憲議会に代わる新たな議会を設置するための代表議会選挙が実施されたが、世俗派が多数派となったため、代表議会への権限移譲をめぐりイスラム主義派と世俗派の間の対立が激化した。その結果、首都トリポリを拠点とするイスラム主義派の制憲議会と、東部トブルクを拠点とする世俗派の代表議会の2つの議会が並立する東西分裂状態に陥った。15(平成27)年12月に国連の仲介によりリビア政治合意が実現し、16(平成28)年3月には国民統一政府が発足したものの、新政府内でイスラム主義派が主導権を握ったことに世俗派が反発し、国民統一政府への参加を拒否したため、東西の分裂状態が継続している。また、東部と西部をそれぞれ支援する民兵が散発的な軍事衝突を繰り返しており、国内の統治及び治安を確立する目処が立たない状態が続いている。

また、こうした不安定な情勢を利用してISILやアル・カーイダなどのテロ組織が進出し、各地で民兵と衝突している。特に、ISILはリビア南部の砂漠地帯を中心に、複数の小規模なグループに分かれて潜伏しているとみられている。17(平成29)年10月には民兵を標的にした自動車爆弾テロが発生し、ISILが犯行声明を発出するなど、今後もテロが発生する可能性がある。

6 エジプト情勢

エジプトでは、11(平成23)年、それまで約30年間にわたり大統領を務めたムバラク大統領(当時)が辞任し、12(平成24)年にムスリム同胞団35出身のムルスィー大統領(当時)が就任した。しかし、13(平成25)年6月、経済状況や治安の悪化を背景に大規模な民衆デモが発生し、これを受けた軍の介入により同大統領は解任され、14(平成26)年5月、エルシーシ前国防大臣が新たに大統領に就任した。エルシーシ政権はその後3年間にわたり、変動為替相場制への移行、補助金の廃止などの経済改革に取り組んできたが、国内の治安対策などが大きな課題となっている。特に、17(平成29)年11月には、シナイ半島北部のモスクが武装集団に襲撃され300人以上が死亡するなど、テロ対策が急務となっている36

18(平成30)年3月に実施された大統領選において、エルシーシ大統領が約97%の得票率で再選した。当該選挙については、有力候補とみられていた元首相や前国会議員、元軍参謀総長らが相次いで不出馬を表明したり、当局に拘束されるなどする中で、現職大統領への対抗馬は1名のみとなった。投票率は前回より低い約41%であった。

7 南スーダン情勢
(1)政治的な混乱

1983(昭和58)年から続いた北部のアラブ系イスラム教徒を主体とするスーダン政府と、南部のアフリカ系キリスト教徒を主体とする反政府勢力との間の南北内戦は、05(平成17)年、周辺国と米国などの仲介による南北包括和平合意(CPA:Comprehensive Peace Agreement)成立により終結した。11(平成23)年1月に行われたCPAの規定に基づく住民投票の結果、同年7月、南スーダン共和国はスーダン共和国から分離独立し、同日、独立に伴い、国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)が設立された37。ディンカ族出身のキール氏が大統領に、ヌエル族出身のマシャール氏が副大統領に就任したが、独立後も政治的な混乱は続いた。

キール派(主流派)とマシャール派(反主流派)38の政治的対立は、13(平成25)年7月にキール大統領がマシャール副大統領以下全閣僚を罷免したことを契機に、表面化した。その後、同年12月に、首都ジュバにおいて発生した政府とマシャール派との衝突や特定の民族などを標的とした暴力行為は短期間で国内各地に広がり、多数の死傷者、難民及び国内避難民(IDP:Internally Displaced Persons)が発生した。

(2)和平構築の始まり

11(平成23)年7月にはUNMISSが設立され、南スーダン指導者間の対話や調停に向けた試みも、国連とAUの支援を受けた「政府間開発機構(IGAD:Intergovernmental Authority on Development)」39の主導により始まり、14(平成26)年1月には、IGADの調停のもと、政府とマシャール派との間で南スーダンにおける敵対行為の停止などに関する合意の署名がなされた。

このような取り組みもあり、15(平成27)年8月、暫定政府の設立などを柱とした「南スーダンにおける衝突の解決に関する合意」(合意)が政府とマシャール派などとの間で成立した。本合意を受け、UNMISSのマンデートにも合意の履行支援が加えられた。その後、合意の履行に向けた取組が進められ、16(平成28)年4月29日、キール氏を大統領、マシャール氏を第1副大統領とする国民統一暫定政府が設立された。

(3)最近の動向

16(平成28)年7月、ジュバでキール大統領の警護隊とマシャール第1副大統領の警護隊の間での発砲事案が発生した。マシャール第1副大統領は国外へ脱出し、キール大統領はマシャール第1副大統領を解任した。このような厳しい状況を受け、国際社会が協力して、平和と安定のため力を合わせており、南スーダンの国造りプロセスは、新たな段階に入りつつある。

同年8月、国連安保理はジュバ及び周辺地域の安全の維持を目的に地域保護部隊(RPF:Regional Protection Force)40を創設し、17(平成29)年4月、RPFとして最初の部隊であるバングラデシュ建設工兵中隊先遣隊が南スーダンに到着した。その後も、増派は継続している。また、同年12月には、IGAD主導による第1回ハイレベル再活性化フォ-ラム41が開かれ、政府とマシャール派などの間で敵対行為の停止などが合意された。

南スーダン政府は、国内における国民融和を進め、合意の進展を図るため、16(平成28)年12月に国民対話42を発表した。17(平成29)年5月、国民対話運営委員会の宣誓式が実施され、それ以降、各地において草の根レベルの対話が始まるなど、安定に向けた取組に進展が見られている。18(平成30)年6月には、キール大統領、マシャール前第一副大統領らが「ハルツーム宣言」に署名し、同宣言に基づき恒久的停戦が発効したが、政治体制や治安取決めの詳細については具体的に決まっておらず、今後の動向が注目される。

参照III部2章3節2項2(国連南スーダン共和国ミッション)

8 ソマリア情勢
(1)統一政府の樹立

ソマリアは、1991(平成3)年に政権が崩壊して以降、無政府状態に陥った43。大量の避難民が発生するなど、現在に至るまで深刻な人道危機に直面している。05(平成17)年、14年の時を経て、周辺国の仲介により「暫定連邦政府(TFG:Transitional Federal Government)」が発足した。12(平成24)年にTFGの暫定統治期間が終了すると、新内閣が発足し、21年ぶりに統一政府が成立した。17(平成29)年2月には、大統領選挙が実施され、暫定連邦政府元首相のファルマージョ氏が現職のハッサン大統領(当時)を破り新大統領に選出された。同大統領は就任後、外国の支援を受けながらソマリア国軍の再建を進めている44

(2)アル・シャバーブの台頭と海賊問題

ソマリアは、テロと海賊という2つの課題に直面している。中南部を拠点とするイスラム教スンニ派の過激派組織アル・シャバーブは政府などを標的としたテロを繰り返している。07(平成19)年には、情勢を安定させるため、アフリカ連合ソマリア・ミッション(AMISOM:African Union Mission in Somalia)45が国連安保理の承認を受けて創設された。14(平成26)年8月、AMISOMはソマリア国軍と共同で「インド洋作戦」を開始し、アル・シャバーブの拠点であった中南部の一部都市の奪還に成功した。さらに翌月、米軍の攻撃によりアル・シャバーブの指導者が殺害された。これらの作戦により、アル・シャバーブの勢力はある程度弱体化したが、その脅威は依然として存在し、ソマリア国軍やAMISOM軍の基地への攻撃、ソマリア国内やAMISOM参加国でのテロ46を頻発させている。また、近年はISILの戦闘員がソマリアに流入しているとの指摘もある47。そのような中、17(平成29)年3月、ソマリアに展開する米軍の一部地域での活動強化がトランプ米大統領に承認されて以降、米軍による対テロ作戦が強化されている。

また、ソマリアには、北東部を中心に、ソマリア沖・アデン湾などで活動する海賊の拠点が存在するとされる。国際社会は、ソマリアの不安定性が海賊問題を引き起こすとの認識のもと、ソマリアの治安能力向上のために様々な取組を行っている。現在も、引き続きソマリア沖での国際的な取組が行われており、海賊被害の報告件数は低い水準で推移している。

参照III部2章2節1項(海賊対処への取組)

9 マリ情勢
(1)反政府武装勢力

マリでは、12(平成24)年1月、トゥアレグ族48の反政府武装勢力「アザワド地方解放国民運動(MNLA:Mouvement national de liberation de l'Azawad)」が反乱を起こし、イスラム過激派勢力「アンサール・ディーン(Ansar Dine)」などがこれに合流した。MNLAは北部の複数の都市を制圧し、同年4月に北部の独立を宣言した。その後、MNLAを排除したアンサール・ディーンや「西アフリカ統一聖戦運動(MUJAO:Mouvement pour l'Unification et le Jihad en Afrique de l'Ouest)」、「イスラム・マグレブ諸国のアル・カーイダ(AQIM:al-Qaida in the Islamic Maghreb)」などのイスラム過激派勢力49がイスラム法に基づく統治を行い、マリ北部の人道・治安状況が悪化した。

(2)和平構築の取り組み

これに対し、12(平成24)年12月、国連安保理はマリ軍及び治安機関の能力再構築や、マリ当局への支援などを任務とするアフリカ主導国際マリ支援ミッション(AFISMA:African-led International Support Mission in Mali)50の展開を承認した。フランスによる部隊派遣やAFISMAの展開もあり、マリ暫定政府は北部の主要都市を奪還した。13(平成25)年4月、国連安保理は、人口密集地の安定化とマリ全土における国家機能の再構築支援などを任務とする国連マリ多面的統合安定化ミッション(MINUSMA:United Nations Multidimensional Integrated Stabilization Mission in Mali)の設置を決定した。同年7月、AFISMAから権限を移譲されたMINUSMAが活動を開始した。MINUSMAの支援のもと、大統領選挙が平和裏に実施され、同年9月に新政府が成立した51

15(平成27)年5月から6月にかけて、マリ政府は武装勢力「プラットフォーム」及び「アザワド運動連合(CMA:Coordination des Mouvements de l'Azawad)」のそれぞれと和平・和解合意に署名した。17(平成29)年2月には合意に基づくマリ政府・武装勢力の合同パトロールが開始されたものの、合意の具体化は進捗しておらず、履行の遅れが懸念されている。そこで、同年9月には当該合意の進捗を妨害する個人などに対して、制裁を科す内容の安保理決議が初めて採択された。

また、16(平成28)年6月、国連安保理はMINUSMAの約2,500名の増員を決定し、17年(平成29)年6月には最大5,000人から構成されるG5サヘル合同部隊52の展開に対して国連安保理の政治的サポートを示す決議を採択した。また、同年12月、国連安保理は、G5サヘル部隊へのMINUSMAを通じた特定の支援の供与を事務総長に要請し、地域諸国によるテロへの対処を支持している。一方で、17(平成29)年だけで42人のMINUSMA要員がテロなどにより死亡53するなど、不安定な治安状況は継続しており、更なる和平プロセスの進展が求められている。

28 国連安保理決議第2254号は、6か月以内の包括的・非宗派主義的な政府の樹立及び新憲法制定のプロセスの確定、新憲法に基づく18か月以内に実施される自由かつ公正な選挙に対する支持の表明などを内容とする。

29 ホムス及びシリア・ヨルダン国境付近に設置された2か所については、ホムスでは概ね停戦が履行されているとみられるが、シリア・ヨルダン国境付近では18(平成30)年6月から7月にかけて政府軍が進軍し、多数の死傷者や避難民が発生した。

30 17(平成29)年9月、クルド人勢力が支配する地域において、コミューンと呼ばれる自治体最小区域ごとに男女1名ずつの代表を選出する選挙が行われ、同年12月には、市町村単位の議会選挙が実施された。ただし、18(平成30)年1月に実施予定であった国会相当の議会選挙については、同月のトルコ軍によるアフリン侵攻を受けて延期された。

31 イスラエルとパレスチナの間では、1993(平成5)年のオスロ合意を通じて、本格的な交渉による和平プロセスが開始され、03(平成15)年には、イスラエル・パレスチナ双方が、二国家の平和共存を柱とする和平構想実現までの道筋を示す「ロードマップ」を受け入れたが、その履行は進んでいない。その後、ガザ地区からのイスラエルに対するロケット攻撃を受けて、イスラエル軍が、08(平成20)年末から09(平成21)年初めにかけてガザ地区に対する空爆や地上部隊の投入などの大規模な軍事行動を行い、12(平成24)年11月にも同地区に対して空爆を行うなど、12(平成24)年までに2度にわたる大規模な戦闘が行われたが、いずれもエジプトなどの仲介により停戦した。

32 イスラム教シーア派ザイド派教義を信奉するホーシー派は、イエメン北部サアダ州を拠点に04(平成15)年から10(平成21)年、反政府勢力として武装蜂起し、イエメン国軍と武力衝突した。

33 国連の仲介のもと第1回目となるイエメン和平協議がジュネーブで開催された。この協議には、イエメン政府及び反政府勢力の双方が参加し、間接的な協議を行ったものの最終的な合意には至らなかった。また、15(平成27)年12月にはスイスにおいて、イエメン政府及び反政府勢力との間で第2回和平協議を開催し、初めての直接協議が実現した。協議に先立ち、停戦が発効されていたが、敵対行為の停止に違反する事例が相次ぎ、協議は大きな成果を得ることができないまま中断した。

34 15(平成27)年6月、ホーシー派及びサーレハ元大統領支持派の軍部隊がサウジアラビア南部のハミース・ムシャイトに向けてスカッド・ミサイル1発を発射する事案が発生している。サウジアラビア軍はパトリオット・ミサイル2発で迎撃するとともに、サアダ州南部の発射地点を特定した上で破壊している。以降、同様の事案が複数確認されている。イエメンのスカッド・ミサイルは北朝鮮から購入されたものであり、ホーシー派を支援する一部のイエメン軍も発射に関与していると指摘されている。

35 1928(昭和3)年に「イスラムの復興」を目指す大衆組織としてエジプトで設立されたスンニ派の政治組織。50年代にはナーセル大統領の暗殺を謀って弾圧されたが、70年代には議会を通じた政治活動を行うほど穏健化した。一方で、ムスリム同胞団を母体として過激組織が派生した。

36 なお、この事件に関する犯行声明は出されていないが、ISILシナイ州による犯行であるとの指摘がなされている。

37 当初のマンデート期間は1年間で、最大7,000人の軍事要員、最大900人の警察要員などから構成された。UNMISSの役割は、南スーダン政府に対し、①平和の定着並びにそれによる長期的な国づくり及び経済開発に対する支援、②紛争予防・緩和・解決及び文民の保護に関する南スーダン政府の責務の履行に対する支援、③治安の確保、法の支配の確立、治安部門・司法部門の強化に対する支援などを行うこととされた。

38 以降、マシャール氏を中心に構成される反主流派、反政府勢力をマシャール派と呼称する。

39 1996(平成8)年に設立された。加盟国は、ジブチ、エチオピア、ケニア、ソマリア、スーダン、ウガンダ、エリトリア、南スーダンの東アフリカ8か国

40 安保理決議第2304号及び第2406号によれば、地域保護部隊(Regional Protection Force)は、ジュバ及び周辺地域、及び、必要に応じ南スーダンの他の地域で、安定した環境を提供する責任を有している。また、地域保護部隊には、次の3つのマンデートを達成するために、必要な全ての手段を使用する権限が付与されている。(a)ジュバ内外における安全かつ自由な移動のための環境づくり。(b)空港及び主要施設の防護。(c)国連文民保護サイトや文民等に攻撃を計画している。または攻撃を実施する者に対処すること。

41 15(平成27年)の衝突解決合意を再活性化するため、南スーダンの諸勢力を集め、隣国エチオピアのアディスアベバにおいて開催された。

42 国内の争い、衝突の原因や和解のあり方などにつき協議を行い、国民融和を進めるために政府が開始した取組。

43 1991(平成3)年、北西部の「ソマリランド」が独立を宣言した。1998(平成10)年には、北東部の「プントランド」が自治政府の樹立を宣言した。

44 17(平成29)年5月には、英国の主催で「ロンドン-ソマリア会議」が開催され、ソマリア国軍強化に向けた国際社会の協力が確認された。

45 ウガンダ、ブルンジ、ジブチ、ケニア及びエチオピアが部隊の大部分を構成しており、安保理決議2372号(17(平成29)年8月)により、17(平成29)年12月末までに部隊を22,126人から21,626人に減員し、18(平成30)年10月末までに20,626人に更に減員することが決定された。

46 17(平成29)年10月には、モガディシュ市内で自動車爆弾(VBIED:Vehicle Borne IED)を用いたテロが発生し、500人以上が死亡した。

47 17(平成29)年11月、米軍はソマリア国内でISILを目標とした空爆を実施した。

48 サハラ砂漠を遊牧する少数民族で、マリ北部における自治を求め、以前からマリ政府と対立していたとの指摘がある。

49 17(平成29)年3月にはこれらの勢力が合併し、「イスラム教及びイスラム教徒の守護者(JNIM:Jama'at Nusrat al-Islam wal Muslimin)」が誕生した。

50 西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS:Economic Community of West African States)加盟国(ブルキナファソ、コートジボワール、ガーナ、ニジェール、ナイジェリアなど)などから派遣されている。

51 13(平成25)年6月、暫定政府とMNLAは、大統領選挙への北部の参加や、北部都市へのマリ軍駐留の容認などで合意した。

52 ブルキナファソ、チャド、マリ、モーリタニア、ニジェールの5か国により構成される。

53 これは、17(平成29)年の国連PKOにおけるミッション別の年間死者数として、最多である。