防衛省・自衛隊の歩み

平成の防衛省・自衛隊

2019年4月をもって平成は終わりを告げました。 本項では、平成の防衛省・自衛隊の歩みを紹介します。
※画像および文章は令和元年版防衛白書を引用

平成元年~9年(1989~1997年)

国際社会で活躍する自衛隊へ

平成元年、ベルリンの壁が崩壊し、40年以上続いた冷戦は終結しました。それまでの米ソ両国を中心とした東西間の軍事的対峙の構造は消滅し、国際情勢が大きく変化する中で、自衛隊は、阪神・淡路大震災など大規模な災害への対応、カンボジアでのPKO活動など国際平和協力活動にも取り組みました。自衛隊に対する内外からの評価が高まり、防衛力の役割が広がりました。

平成3年
ペルシャ湾掃海部隊派遣

機雷を処分するために爆薬を取り付ける潜水員
湾岸戦争後、ペルシャ湾にはイラクが敷設した多数の機雷が残された。 わが国船舶の航行の安全を確保するため、海自掃海部隊が派遣された。 自衛隊創設以来、初の国際協力であった。

平成4~5年
カンボジア PKO

橋が破壊された河川に新たに橋を構築中の陸自隊員
自衛隊にとって初めての国連平和維持活動となったカンボジアでの活動では、道路・橋の修理や停戦監視活動などを行った。修理実績は、道路で延べ約100km、橋は約40か所に及んだ

平成6年
ルワンダ難民救援

宿営地の様子
ルワンダ内戦により発生した難民を救援するため、医療、防疫、給水、空輸 などの業務を行った。これはわが国初の人道的な国際救援活動であった。

平成7年
阪神・淡路大震災
捜索活動を行う陸自隊員

地震発生当初から約100日間にわたり、最大時には1日約1万9,000人の自衛隊員が災害派遣に従事した。この活動の教訓を踏まえ、各種法律の改正及び地方公共団体との連携強化など災害派遣態勢の充実が図られた。

平成7年
地下鉄サリン事件
地下鉄車両内で除染作業を行う陸自隊員

東京都内の地下鉄駅構内及び列車内でサリンを使用した無差別殺人事件が発生。陸上自衛隊の化学防護隊などが派遣され、霞が関や日比谷で毒性ガスの検知及び除染などを行った。

平成7年
SACOの設置
SACO最終報告で全面返還が示された普天間飛行場

日米両政府は沖縄県に所在する在日米軍施設・区域にかかわる諸問題を協議するため、「沖縄に関する特別行動委員会(SACO)」設置で合意した。 SACOは翌8年に最終報告を取りまとめ、当時の沖縄県に所在する在日米軍施設・区域の面積の約21%を返還することに合意した。

平成10年代(1998~2007年)

弾道ミサイル、国際テロリズム。新たな脅威の高まり

平成10年代、わが国を取り巻く安全保障環境には大きな変化が生じました。特に、9.11テロをはじめとする国際テロ組織の活動が深刻なものとなり、これに加えて大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散が進展するなど、新たな脅威や多様な事態への対応が課題となりました。自衛隊は、国際テロリズムに対して国際社会の一員として対処すべく、インド洋での補給活動を実施しました。また、イラクでの人道復興支援活動などにも従事し、国際平和協力活動は、わが国防衛や公共の秩序の維持といった任務と並ぶ自衛隊の本来任務と位置づけられるようになりました。弾道ミサイルの脅威に対しては、弾道ミサイル防衛(BMD)システムの整備に着手しました。

平成11年
能登半島沖不審船事案
能登半島沖に出現した不審船

領海内で発見した不審船2隻に対処するため、初の海上警備行動が発令された。海自護衛艦による停船命令、警告射撃やP-3Cによる爆弾投下などを行った。その後、不審船は北朝鮮の工作船であると判断された。

平成13~19年
対テロ支援活動
米海軍補給艦に洋上補給を行う補給艦「はまな」(左)

米国同時多発テロに対応し、国際的なテロリズムの防止・根絶のための国際社会の取組に寄与するため、補給艦、護衛艦などが派遣された。派遣部隊は、米海軍艦艇などへの補給を行った。

平成15年
BMDの導入決定
SM-3発射の瞬間

大量破壊兵器や弾道ミサイルの拡散が進んだため、平成19年のペトリオットPAC-3の部隊配備開始、イージス艦のスタンダード・ミサイル(SM-3)発射試験成功により、わが国独自の弾道ミサイル防衛体制が整備された。

平成15~21年
イラク人道復興支援活動
道路補修作業のため、地元施工業者による作業を監督する隊員

フセイン政権崩壊後のイラクの被災民の救援や復興支援などのため自衛隊が派遣され、医療、給水などの活動を行った。

平成15~16年
有事関連法制成立
国民保護訓練に参加する陸自隊員

わが国に対する武力攻撃などへの対処に関して必要な法制として、15年に、基本法的な性格をもつ武力攻撃事態対処法など事態対処関連3 法が、翌16年に、国民保護法など事態対処法制関連7法が整備された。

平成17年
日米「2+2」
日米「2+2」会合における日米閣僚

日米両政府は、日米両国の共通戦略目標を達成するため、日米の役割・任務・能力の具体的方向性を示すとともに、普天間飛行場の代替施設設置をキャンプ・シュワブ沖にすることなどで合意した。

平成18年
北朝鮮核実験
核実験を受け、大気中の浮遊じん収集を行った空自T-4練習機

北朝鮮は日本海に7 発の弾道ミサイルを発射するとともに、初の核実験の実施を発表。このような新たな脅威に対応するため、BMDシステムの整備などの体制確立が進められた

平成20年代-(2008~2019年)

活発化する周辺国の軍事活動、未曽有の大災害。自衛隊の対応は増加の一途へ

平成20年代、中国、インドの発展に伴うパワーバランスの変化など、わが国を取り巻く安全保障環境は一層厳しさを増し、様々な安全保障上の課題や不安定要因がより顕在化・先鋭化してきました。中国の軍事活動が活発化する一方で、北朝鮮の核兵器・弾道ミサイル開発が進展し、自衛隊は、周辺海空域での警戒監視活動を常時継続的に実施するとともに、弾道ミサイル防衛部隊を展開し、不測の事態に備えるようになりました。また、一国のみでは対応困難なグローバルな課題に対応するため、海賊対処部隊の派遣、他国軍への能力構築支援といった国際的な活動にも取り組みました。一方で、国内では、東日本大震災をはじめとする大規模災害が続発し、自衛隊は、被災者救助や生活支援に当たりました。

平成21年~現在
海賊対処行動
アデン湾で民間船舶の護衛を行う護衛艦「さわぎり」

ソマリア沖・アデン湾では海賊行為が多発・急増。わが国関係船舶を海賊行為から防護するため、海上警備行動が発令され、海自護衛艦・航空機などが派遣された。その後、海賊対処法が成立し、わが国船舶のみならず諸外国の船舶も護衛対象となった。

平成23年
東日本大震災
捜索活動に従事する陸自隊員

東日本大震災は、東北地方の沿岸部を中心に壊滅的な被害を及ぼした。防衛省・自衛隊は、最大時には10万人を超える態勢で人命救助、生活支援、原子力災害への対応などにあたった。この際、米軍は最大で人員約1万6,000名を投入するなど大規模な支援活動を行った。(「トモダチ作戦」)

平成24年
能力構築支援の実施
東ティモールで車両整備要領を説明する陸自隊員

相手国軍隊などが国際の平和及び地域の安定のための役割を適切に果たすことを促進し、わが国にとって望ましい安全保障環境を創出するため、能力構築支援への取組を開始した。

平成24年~現在
尖閣諸島周辺の動向の活発化
【海上保安庁提供】尖閣諸島周辺のわが国領海に侵入した中国公船

わが国政府による尖閣3島の所有権取得以降、中国公船が尖閣諸島周辺のわが国領海へ断続的に侵入するなど、中国の海軍艦艇や公船の活動が急速に拡大・活発化した。

平成25年
国家安全保障会議の創設
【内閣広報室提供】国家安全保障会議の様子

わが国の外交・防衛政策の司令塔として、国家安全保障会議が創設された。また、国家安全保障に関する基本方針として、わが国として初めて「国家安全保障戦略」が策定された。

平成27年
新ガイドライン発表
新ガイドライン発表

戦後70年という節目に行われた日米「2+2」会合で、安全保障環境の変化や安保・防衛分野での日米の連携の強化などを反映し、新たな「日米防衛協力のための指針」(新ガイドライン)が発表された。

平成27年
平和安全法制の成立
いわゆる「駆け付け警護」の訓練を行う様子

平和安全法制が成立し、わが国が対処すべき事態として新たに「存立危機事態」が追加されるとともに、「在外邦人等の保護措置」、「米軍等の部隊の武器等の防護」及びいわゆる「駆け付け警護」などを可能とする規定が新設された。

平成29~30年
中国軍の活動拡大・活発化を示す事象
初めて日本海に進出した中国戦闘機他

中国海軍の潜水艦が尖閣諸島周辺のわが国接続水域内を潜没航行した。中国海軍艦艇及び航空戦力は、太平洋や日本海においても軍事活動を拡大・活発化させている

令和へ、新たな時代の防衛省・自衛隊へ...

関連項目

参照サイト

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