半島の中央部にある雲仙普賢岳は噴火を繰り返す活火山として有名である。
1792
寛政4年)の噴火の際には眉山山体崩壊により島原大変肥後迷惑と呼ばれる日本史上最悪の火山災害が起こり,
現在の島原市域に大打撃を与え、肥前、肥後両国で15千人以上の死者が発生している。
また最近では1990(平成2年)11月17日から普賢岳が噴火。翌1991(平成3年)6月3日には火砕流が発生、前兆現象が観測されていたため事前に対策会議が開かれており、関係機関の関係はおおむね良好であった。
特に長崎県島原市に観測所を持つ九州大学と被災者救助のために派遣された
陸上自衛隊(第16普通科連隊など)との関係はきわめて緊密であった。
報道、学術、防災機関のすべてが火砕流で犠牲になったため、当時唯一火山近傍で行動できる能力を保有していた自衛隊への期待は高く、
自衛隊も救援活動のため九州大学などの指導を受けつつ協同で火山観測を行い、その成果を関係機関及び地元住民への24時間のリアルタイムな情報提供したことで、民心の安定と復旧作業の進展および火山研究に大きく貢献した。
自衛隊は火山観測と地元に対する支援のシンボルとして以降1995(平成7年)12月まで1,653日間(史上最長)にもわたり災害派遣を継続した。
1996(平成8年)63日に火山活動の終息が宣言され、それ以降は現在まで復興へ向けた取り組みが続けられている。

ジーオくんジーナちゃん

島原市

島原城

島原城城壁を清掃する第16普通科連隊の隊員

島原城(しまばらじょう)別名、森岳城、高来城。
有明海に臨み、雲仙岳の麓に位置する。城郭の形式はほぼ長方形の連郭式平城で、高く頑丈な石垣が特徴である。
本丸は周りを水堀で囲まれており、二の丸と廊下橋形式の木橋一本で繋がれている。
橋を壊せば本丸を独立させることが出来るが、逆にの鼠状態になり、しかも廊下橋は、防備上矢玉が当たりにくくなるので、縄張りの欠陥とも言える。同じ事例に、高松城の天守郭(本丸)がある。
また、天守破風を持たない独立式層塔型55階(初重の屋根を庇として45階とも)で最上階の廻縁高欄を後に戸板で囲ったため「唐造り」のようになっていた。
成立当時の領主である松倉氏の知行は4万石であったが、総石垣で天守と櫓49棟を建て並べた。
火山灰や溶岩流でなる地盤での普請工事は困難であったとされ、関わった領民の一揆を引き起こす一因となった。
明治以降は廃城処分となり建物などは撤去され、現在は本丸に天守・櫓・長塀が復興され、城跡公園となっている

雲仙普賢岳

島原湧水群(しまばらゆうすいぐん)とは島原市一帯の60箇所以上にわたる湧水群である。
この湧水群は
1985(昭和60年)名水百選のひとつに選定された。島原市は、古くから湧水が豊富で「水の都」とも呼ばれていた。
この成因は
1792(寛政4年)雲仙岳の噴火による地殻変動により自然湧出したものと言われている

島原港から見た眉山

島原市(しまばらし)は、長崎県南東部の島原半島にある。島原半島の中心都市。
島原城
や武家屋敷など旧城下町の街並みが残り、市内に湧水群のある観光都市である。

島原湧水群

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