雄翔館・雄翔園は阿見町の名所百選に選ばれております。

   雄翔館(ゆうしょうかん) 

 予科練生の生活や英霊の遺書・遺品等を末永く保存して、 その遺徳を後世に残すため、1968(昭和43)年、高松宮殿下・妃殿下喜久子様もご臨席され開館しました。

 平成25年、29年と2度のリニューアルを経て現在の展示になりました。
館内は、入って右側に展示をテーマ別にしたタペストリー、左側に喜久子妃殿下がご臨席の際に詠まれた予科練生への直筆の詩、その他、遺影・遺書・遺品等、約1000点が展示・保存されています。

 また、雄翔館の外観は航空母艦を模して造られております。 

   雄翔園(ゆうしょうえん)

 平和への願いと英霊の遺徳を永く後世に伝承するために、1966(昭和41)年5月27日、海軍記念日にあわせ高松宮殿下・妃殿下喜久子様もご臨席の中開園されました。
  
 予科練の碑(二人像)には亡くなられた約1万9千名の戦没者名簿が納められています。
この像は、先輩後輩が仲良く肩を組んで、日本の平和と繁栄を彼らが活躍した太平洋圏から見守っているよう造られました。

 この庭園は全国各地から石を集めて造り、外園を太平洋に見立て、中に日本列島が形造られている。また、庭園中央には
若鷲(わかわし)の歌(通称「予科練の歌」)にある「七つボタンは桜に(いかり)」にちなみ、七つの石を配置し、芝生は桜の花びら一片を表現、その周りの石畳で(いかり)を表しています。
  
 碑の前の石畳は、特攻に行く前に今生での最後の別れの儀式として「
水杯(みずさかずき)」という儀式を行っていたことにちなみ、盃の形になっています。

予科練とは

 海軍予科練習生の略で、1930(昭和5)年に設立され、全国から適格者を選抜した制度で、終戦まで教育が行われ、航空戦力の中枢を担っていました。全国で約24万人が教育を受け、約1万9千人が戦死されました。

戦死された方々の平均年齢は20歳未満だったそうです。

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