土浦駐屯地は、旧帝国軍時代「霞ヶ浦海軍航空隊水上班」、その後の「土浦海軍航空隊」が配置され、旧帝国海軍のパイロットを育成するため、「海軍飛行予科練習生(予科練生)」の教育訓練が実施されていました。
駐屯地内には、今でも旧帝国軍・予科練時代の施設等が残っています。
予科練の碑 / 雄翔園 / 雄翔館 / 雄飛の松 /
山本五十六元帥像 / 常在戦場の碑 / 司令官執務室
予科練出身者の同窓生が、全予科練戦没者の遺徳を顕彰するため、昭和41年5月27日に建立されました。 |
予科練の碑建立に、第6代学校長「岡 新次 氏」が、予科練出身の英霊の鎮魂碑建立にあたり、予科練の碑及びその周辺を造園しました。 |
予科練習生の生活や英霊の遺書、遺品等を永く保存して、その遺徳を後世に残すため、昭和43年11月24日に雄翔館が建設されました。 |
【初代 雄飛の松】 |
予科練の象徴として、昭和15年11月22日に本部庁舎前に移植されたが、 昭和20年6月10日の空襲により被弾・損傷し、腐食が進み、平成6年4月22
日推定樹齢130余年の生涯を閉じました。 平成7年2月22日に第2代目雄飛の松として移植されました。 |
【2代目 雄飛の松】 |
昭和18年秋から昭和20年終戦時まで設置されていた山本元帥の銅像は、米軍に汚されることを恐れ、上半身と下半身の2つに割られて隠されました。 上半身は昭和23年に発見され、現在は海上自衛隊第1術科学校(広島県江田島市)に保管されています。下半身は平成14年6月10日、次に紹介する「常在戦場の碑」のすぐ傍の土中から発見されました。 平成16年1月、雄翔館前に2代目の元帥像が建立されました。 |
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終戦時まで設置 された山本元帥像 |
「常在戦場の碑」の 傍で発見された下半身像 |
復元された、2代目 山本五十六元帥像 |
海軍航空隊育ての親である、連合艦隊司令長官「山本五十六大将」を偲んで、昭和19年9月に山本司令長官直筆(昭和10年4月筆)の「常在戦場」の石碑を土浦航空隊神社(現在の「理想科学工業㈱霞ヶ浦工場」)に建立 昭和30年8月に武器学校(山本五十六元帥像が建っていた台座)に移設されました。 |
連合艦隊司令官や土浦海軍航空隊司令の執務室飾り棚は、現在も武器学校長兼ねて土浦駐屯地司令室で使用しております。 ※注 見学はできません。 |