活 動 状 況
 平成23年3月11日14時46分頃、M9・0という国内観測史上最大の巨大地震及び大津波が東北地方を中心とした東日本を襲い、多数の死傷者、行方不明者が発生した。
 北部方面隊は、同日16時15分に非常勤務態勢に移行、ヘリ映伝による上空偵察、東北方面総監部へ連絡幹部を派遣するとともに災害派遣準備を推進した。
 翌12日、方面航空隊のヘリを東北地方に前進させるとともに、第26普通科連隊を基幹とする増援部隊の第一陣を派遣したのを皮切りに、3月22日現在、第2師団及び第5旅団を主力とする人員10,000名以上、車両約3,000両が人命救助活動及び生活支援を実施するため岩手山演習場及び八戸駐屯地に前進し、14日朝から逐次救助活動等を実施した。
出 発
3月12日 第25普通科連隊 遠軽駐屯地出発 3月12日 車両乗船(小樽港フェリーターミナル)
3月13日 小樽港フェリーターミナル 3月13日 第11後方支援隊 真駒内駐屯地出発
3月13日 車両乗船(苫小牧西港フェリーターミナル) 3月13日 苫小牧西港フェリーターミナル
米海軍揚陸艦による部隊移動
左:米海軍ドック型揚陸艦「TORTUGA」 右:艦載クレーンで車両を積載
艦載クレーンで車両を積載 甲板上に並んだ派遣部隊車両

活 動 開 始
 北部方面隊が主として担任する岩手県及び宮城県北部の海岸地域では、津波による家屋の倒壊、道路・橋梁の破壊等甚大な被害により救助活動は困難を極めたが、余震が続く中において各部隊、隊員の懸命な行方不明者捜索、孤立した地域からの避難民の救出等の人命救助活動により、約350名の被災者を救出した。
 3月20日現在、隊員約10,000名、車両約3,000両、航空機十数機をもって、引き続き行方不明者の捜索を継続するとともに、被災者に対する生活支援等に重点を移し、東北各地で給食、給水、入浴、物資輸送、医療等の生活救援及び道路啓開・補修、瓦礫の除去等の応急復旧支援を実施。また、3月17日以降、岩手駐屯地に前方支援地域を開設し、岩手県以北で活動する第2師団、第9師団、第4施設団等に対し、補給、整備等の支援を実施した。
津波により甚大な被害を受けた被災地
捜索救助活動
生活支援

活 動 状 況
 北部方面隊が担任する被災地域は、がれきが逐次集積・運搬されるとともに海岸沿いの道路も徐々に通行可能となって来てはいるものの、復旧には未だほど遠い状況であるが、各部隊、隊員は引き続き被災者の立場に立ったきめの細かい活動を実施。この間、第5旅団が3月21日から石巻地域における救援活動を第6師団から引き継ぐとともに、第1特科団が22日から仙台・岩手における輸送支援等を、第1高射特科団が27日から第1戦車群、第1電子隊、方面対舟艇対戦車隊等の配属を受け石巻地域の多目的支援をそれぞれ開始した。
 3月27日現在、避難民等空輸約480名、物資空輸約12t、給食約16万食、入浴支援約12,000名、処置患者約2,200名の活動を実施した。 
現地到着 生活支援開始(第1特科団) 被災地への灯油の空輸(北部方面航空隊)
生活支援の様子
捜索救助活動(第1高射特科団) 道路啓開・がれきの除去(第7施設大隊)

行方不明者 大規模集中捜索
 北部方面隊から派遣された各部隊は、平成23年4月1日〜3日の間、集中的に実施された大規模な行方不明者の捜索に参加した。捜索は、陸・海・空自衛隊及び米軍が参加し、被災地域を地上、海上・水(海)中及び空中から一斉に捜索した。
胸まで水に浸かりながらの懸命な捜索
(第1高射特科団多目的支援隊:第1戦車群
・方面対舟艇対戦車隊)
行方不明者捜索(第2戦車連隊)
行方不明者捜索(第1高射特科団多目的支援隊) 航空機による沿岸部の集中捜索(北部方面航空隊)
行方不明者捜索
(左:第25普通科連隊 右:第2地対艦ミサイル連隊)

即応予備自衛官活動開始
 平成23年4月3日から9日の間、北部方面隊から派遣した即応予備自衛官約180名が生活支援として救援物資の整理、輸送業務及び入浴支援を実施した。一方で、発災当初から派遣され生活支援等に従事していた第5音楽隊(帯広)が、避難所周辺のがれき除去作業を実施しつつ、4月2日北部方面隊として最初の慰問演奏を自治体の要求に応じて石巻市内の避難所で実施し、被災者等が抱える避難生活のストレス軽減に貢献した。
救援物資の仕分け作業をする即応予備自衛官 入浴支援施設の準備をする女性即応予備自衛官
救援物資を満載し被災地へ向かう車列
(第2後方支援連隊輸送隊)
避難所における慰問演奏(第5音楽隊)

2度目の行方不明者集中捜索を敢行
 4月11日。発災から1ヶ月が過ぎた。派遣された北部方面隊の各部隊は、多くの国民の期待に応えるべく、懸命な行方不明者捜索及び生活支援を継続実施。この間、自治体では逐次インフラを復旧し仮設住宅の建設等、被災者支援の充実を図っており、これに伴って自衛隊の支援に対する要請も変化した。
 行方不明者は依然多く、北部方面隊の派遣部隊は、4月10日から12日の3日間に陸上・海上・航空自衛隊、米軍、海上保安庁、警察及び消防が実施した2度目の集中捜索に参加した。
 派遣部隊は、現在担任している地域の捜索活動の進展に伴い、更に地域を気仙沼地区へと拡充して捜索活動を継続した。
一列に並び泥濘地の捜索 宮城県石巻市(左:第1特科群 右:第1戦車群・方面対舟艇対戦車隊)
岩手県山田町:第3普通科連隊 宮城県石巻市:第1戦車群
宮城県石巻市:第4高射特科群

行方不明者捜索・生活支援〜被災者の気持ちになって〜
 未曾有の大地震により甚大な被害を被った被災地域も新学期を迎える時期となり、4月19日から学童・学生の登校が始まった。
 隊員たちは、朝夕の通学時の学童・学生からの挨拶や元気な笑顔に励まされ、あらためて被災者の方々の気持ちになって、行方不明者捜索や生活支援に邁進していた。
 北部方面隊の各派遣部隊では、各地域に区画を設けて、区画ごとに行方不明者捜索を実施するなど、丁寧かつ緻密な捜索を実施するとともに、4月25日及び26日に実施された第3回集中捜索にも全力をもって参加した。
行方不明者捜索 宮城県石巻市(左:第1特科群第101特科大隊 右:第4普通科連隊)
漂流物除去 宮城県石巻市(第1高射特科群) がれき除去 宮城県石巻市(第6普通科連隊)
航空偵察 岩手県釜石市上空
(北部方面ヘリコプター隊)
道路復旧 岩手県大槌町(第7施設大隊)
防疫作業 宮城県石巻市(北部方面衛生隊) 慰問演奏(第5音楽隊)

3度目の行方不明者集中捜索を敢行
 東北地方のみならず、我が国全体に未曾有の大被害を及ぼした東北地方太平洋沖地震が発災して、早くも2ヶ月が経過した。
 この間、北部方面隊の派遣部隊は、4月25日及び26日に3回目の集中捜索が実施され、各部隊も参加した。
捜索活動 田老地区 (第25普通科連隊) 捜索活動 釜谷沼北側山際 (第1特科群)
補助具による地中捜索 石巻市釜谷沼
(第11普通科連隊)
大川小学校南側山際の捜索状況(第1特科団)
がれき除去 大槌町(第7施設大隊) がれき除去 岩手県宮古市
(第25普通科連隊・第2施設大隊)
道路啓開 宮城県石巻市(第4高射特科群)
入浴支援 岩手県山田町 (第11後方支援隊) 入浴施設への給水 岩手県宮古市
(第11高射特科中隊)
給食支援 岩手県山田町(第11戦車大隊) 給食支援 宮城県石巻市
(第101高射直接支援大隊)
巡回防疫 宮城県東松島市 (北部方面衛生隊)

災害派遣部隊態勢移行〜断固として貫く使命感 すべては被災者のために〜
 東日本大震災が発災して以来、自衛隊10万人態勢の中で、北部方面隊は約1万2千人の隊員を派遣して、『被災者のために』を合言葉に、黙々と、かつ愚直に、行方不明捜索、生活支援、さらには原子力災害対処任務に邁進してきたが、5月9日に示された『態勢移行に関する統合任務部隊行動命令』により、逐次、生活支援を主とする態勢に移行した。
 引き続き生活支援にあたる隊員たちは、「態勢は移行するが、被災者の笑顔のために全力で支援することに何ら変わりはない。」と、高い使命感を堅持して任務に邁進した。
 被災者の方々からも、「自衛隊さんに水やご飯をもらって、ありがたかった。」「自衛隊の風呂に入って生き返った。」「自衛隊さんの姿を見かけるとほっとする。」などの言葉を頂いており、支援に励む隊員たちの支えとなっている。
給水支援 宮城県東松島市(第3普通科連隊) 給食支援 宮城県宮古市(第18普通科連隊)
給食支援 宮城県石巻市(第25普通科連隊) 救援物資仕分け 宮城県女川町(第2戦車連隊)
洗濯用水の給水 宮城県石巻市(第1高射特科群) 入浴支援 宮城県東松島市(第4高射特科群)
がれき除去 岩手県大槌町(第2施設大隊) 空間線量測定 福島県楢葉町(第7化学防護隊)

真心の生活支援を継続実施
 東日本大震災に伴い災害派遣中であった各部隊は、5月9日に発令された第1次態勢移行命令及び6月1日に発令された第2次態勢移行命令により、逐次、原所属部隊に復帰した。
 6月20日現在、約2500名の隊員が現地での生活支援を継続実施。各駐屯地等に帰隊した派遣部隊・隊員は、明日にでも起こるかもしれない、次の「その日」に備えるべく、即応態勢を整えた。
給食支援 岩手県宮古市(第10普通科連隊) 給食支援 宮城県石巻市(第3普通科連隊)
給水支援 宮城県東松島市(第3普通科連隊) 防疫活動 岩手県宮古市(第11後方支援隊)
東日本大震災 災害派遣部隊態勢移行
 東日本大震災に伴う災害派遣で、最大約13,000名を派遣していた北部方面隊は、態勢移行命令により惜しまれつつも現地を離れ新たなる態勢に移行した。
 第2師団生活支援隊は7月7日に、第11旅団生活支援隊は7月12日に現地における活動を終了し、14日までに両隊ともそれぞれの駐屯地に帰隊した。
 21日現在、方面隊としては、仙台駐屯地に業務隊を支援するための隊員を真駒内駐屯地業務隊から派遣するとともに、第5旅団生活支援隊が宮城県石巻市において約40名の隊員をもって生活支援を、第5化学防護隊が福島県において北部方面化学支援隊として約20名の隊員をもって化学科支援を担任し、引き続き任務を遂行した。
「ありがとう!」の言葉とともに見送られる派遣部隊 岩手県宮古市(第11旅団生活支援隊)
指揮所の撤収 宮城県石巻市(第2師団生活支援隊) 郡山駐屯地におけるモニタリング (第5化学防護隊)
大規模震災災害派遣終結へ〜任務完遂!復興を信じ、被災地を後に〜
 「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震に対する大規模震災災害派遣の終結及び災害派遣の実施に関する自衛隊行動命令」により、3月11日の震災発災より約120日間にわたり続けられてきた、大規模震災災害派遣は終結した。
 方面隊は、発災翌日の12日、整斉と小樽港から出発した第26普通科連隊(留萌駐屯地)を第一陣として、最大約1万3千名、延べ約83万人の隊員が現地における災害派遣活動にあたってきたが、石巻市において入浴支援任務にあたっていた第5後方支援隊(帯広駐屯地)基幹の23名が7月29日に、モニタリング等の任務にあたっていた第5旅団司令部付隊化学防護隊(帯広駐屯地)の32名が8月1日に、被災地を後にして北海道に向かったことにより、方面隊としての災害派遣部隊の任務を終了した。
 災害派遣間、「やるべきことをやる。」を全員が肝に銘じ、腰まで汚水に浸かりながらの行方不明者捜索や入浴支援等、体力の限界を超え、疲労しきった体を気力で奮い立たせ、任務に邁進する姿は、まさに災害派遣北方隊員の心得である、「被災者の立場になれ。」「東北方面総監のためにやれ。」「いかなる任務にもにっこり『了解』とのみ言え。」を行動で表していた。
 なお、仙台駐屯地業務隊を支援するために派遣されていた1名も、12月末で任務を終了した。
帰隊前、保育所の児童より花束を受ける補給小隊長
(7月29日 宮城県石巻市 第5後方支援隊)
地元住民の見送りを受け出発(7月29日 宮城県石巻市)



第2師団管内の駐・分屯地の紹介 第7師団管内の駐・分屯地の紹介 第11旅団管内の駐・分屯地の紹介 第5旅団管内の駐・分屯地の紹介