◆令和2年7月豪雨


 第12施設群(群長 末継1等陸佐)は令和2年7月8日から7月17日までの間、北方施設支援隊(以下「北支隊」として省略)として7月集中豪雨に伴う災害の復興活動に従事した。
 7月3日頃から8日にかけて、九州で多数の線状降水帯が発生し、最も被害が甚大だった熊本県においては、県を流れる球磨川の合計13カ所(八代市・芦北町・球磨村・人吉市・相良市)が氾濫・決壊し約1060ヘクタールが浸水した。中でも球磨村渡地区では浸水の深さが9mにも達したと言われている。このため人吉市では市街地において広範囲が浸水し、1965年に発生した水害2.1mよりも高い4.3mの高さまで浸水した。
 7月7日、第12施設群は第105施設器材隊・第303ダンプ車両中隊・第2直接支援中隊・北部方面通信群・北部方面衛生隊・北部方面会計隊及び第104補給大隊の各部隊から増援を受け北支隊を編成し、隊員約190名、車両80両で被災地に向かった。
 活動地域への移動は、小樽港から2派に分かれて民間フェリーに乗船し、新潟港と舞鶴港へ到着、その後は陸路を移動し金沢・福知山・姫路・海田市の各駐屯地を経由し燃料を補給しつつ福岡県小郡駐屯地に前進した。
 13日には、活動地域である熊本県への移動を考慮し、北支隊の主力は宮崎県えびの駐屯地へ、また、第302坑道中隊(北通群・第104補給大隊の隊員含む。)は熊本県津奈木町B&G海洋センターへ移動し、7月14日から17日までの間、熊本県の関係自治体と連携し、人吉市・芦北町・球磨村において派遣活動に従事した。
 活動の概要は、主に道路や河川に溜まった流木などを重機により除去し、重機が入れない場所では、チェーンソーで流木を切り出しながら人力により少しずつ流木を集めて運んだ。
 また、道路に溜まった土砂なども丁寧に除去した後、人力により土砂をダンプトラックに積み込んで道路の整備を行った。
 活動間、7月の熊本県は、まだ梅雨明け前とはいえ湿度はく、北海道出身の隊員が多く所属する北支隊は、未だ経験した事のない「蒸し暑さ」と闘いながら隊員たちは被災地の復興を願い任務に邁進した。
 17日、任務を完遂した北支隊は門司港から防衛省が契約している民間船舶「はくおう」に乗船、22日には苫小牧港に無事到着した。
 北支隊はその後、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、南恵庭駐屯地において3日間の経過観察を行い、健康状態に異状のないことを確認後、編成解組式が行われた。
 隊長の末継1佐は訓示の中で「参加してくれた諸官、本当にありがとう。他職種の部隊が一つに集まり任務を完遂する事が出来たのは、隊員一人一人、諸官らが規律を守り、環境が全く異なった場所においても、日々冷静に任務を積み重ねた事により、大きな事故等も無く任務を完遂する事が出来たと思う。これは各級指揮官も本当にご苦労であった。ここにいるみんなと任務に従事する事が出来た事を誇りに思う。最後に諸官らの活躍を心から感謝する。本当にご苦労であった。」と話され訓示とした。
 編成解組後、北支隊に配属された各部隊はそれぞれの駐屯地へ帰隊した。
 引き続き、第12施設群は、近年増加傾向にある自然災害等に対し、いつでも出動できる態勢を維持し、強靭な部隊の育成に努めるとともに、地域から信頼される駐屯地を目指す。


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