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信太山駐屯地の誕生
 昭和20年の終戦後、米軍の調理学校・海兵隊の士官養成学校が一時駐留し
自衛隊の前身である警察予備隊、保安隊も共同で使用していました。
 昭和32年、信太山駐屯地が日本政府に返還後、地域住民の熱心な誘致運動
が展開された結果、昭和32年9月市民の絶大なる歓迎を受け、陸上自衛隊の
駐屯地として再び創設されました。
 当時は、第7普通科連隊第3大隊・第4陸曹教育隊が基幹部隊とし、その他
に業務諸隊が駐屯していました。


 その後、昭和37年1月の師団改編に伴い第7普通科連隊第3大隊が
母体となり、大阪城内に駐屯していた旧陸軍歩兵三七聯隊と同一連隊名
を持つ大阪府唯一の第一線戦闘部隊の第37普通科連隊が誕生しました。
 戦前の歩兵聯隊と同一の連隊名になることは珍しく本来であれば第3
9普通科連隊になる予定でしたが当時の陸上幕僚長で元陸軍参謀であり
歩兵三七聯隊にも所属していた杉田一次が「由緒ある歩兵三七聯隊をぜ
ひ同じ大阪府に」と指導があり、同一連隊名になったと言われています。



 また、どんな状況下におかれても後醍醐天皇への忠誠を貫き通した楠正成公の忠
誠心と菊水連隊として称せられ日露戦争の奉天戦等で活躍した旧陸軍三七聯隊の精
神を引き継ぎ楠木公の家紋である菊水を部隊のトレードマークとし、菊水魂を継承
しています。











信太山駐屯地の歴史