桂駐屯地は京都市の南西部に位置し、高速道路・主要幹線道路・鉄道等の利便性に恵まれ、中部方面隊の兵站中枢基地として、主要装備品(火器、車両、施設器材等)の補給整備・回収、方面隊各部隊の輸送支援、そのほか民生の安定のため、不発弾処理を行っています。
また、歴史と文化の古都京都の大規模災害発生時には、状況により初動対処の役割があります。
昭和13年 | 航空機需要増大の対応に名古屋航空器製作所を発足 |
昭和16年 | 太平洋戦争開戦により航空機増産を軍当局から求められる |
昭和17年 | 桂・太秦に新工場建設し、規模拡大を図る方針が決定 海軍省経理局、川岡の農地を買収 |
昭和18年 | 桂工場起工式 名古屋発動機製作所内に京都発動機製作所建設部を設置 |
昭和19年 | 京都発動機製作所(桂)発足(火星型航空機エンジン生産工場) |
昭和20年 | 終戦 財閥解体(旧三菱重工業3社分割) 京都機器製作所として再発足(桂・太秦・山科工場統合) (桂工場はトラックの生産) |
昭和21年 | 京都三菱病院(現 三菱京都病院)開院 阪急「物集女駅」完成(昭和23年廃止) |
昭和24年 | 生産打ち切り 桂工場敷地(国有地)を国へ返還、太秦工場へ終結 |
昭和25年 | 中日本重工業株式会社京都製作所として再発足(太秦) |
昭和29年11月 | 陸上自衛隊桂駐屯地発足(武器・施設補給部) |
昭和35年1月 | 関西地区補給処桂支処新編 |
昭和39年3月 | 中部方面武器隊新編 |
昭和43年3月 | 基地通信桂派遣通信所新編 |
昭和48年4月 | 警務隊桂連絡班新編 |
昭和49年4月 | 桂分屯地から駐屯地へ昇格 |
平成2年5月・12月 | 天皇即位に伴う高御座・御帳台輸送支援 |
平成4年8月〜10月 | カンボジアPKO派遣・支援 |
平成6年3月 | 不発弾処理隊新編 |
平成7年1月〜4月 | 阪神大震災災害派遣・支援 |
平成15年3月〜10月 | 東ティモールPKO派遣・支援 |
平成16年3月 | 中部方面武器隊廃止 中部方面後方支援隊新編 関西補給処桂支処新編 |
平成16年10月 | 新潟中越地震災害派遣 |
平成17年1月 |
イラク人道復興支援活動派遣・支援 |
平成18年3月 | 中部方面輸送隊豊中分屯地から移駐 |
平成19年7月〜8月 | 新潟中越地震に伴う災害派遣 |
平成23年3月〜7月 |
東日本大震災に伴う災害派遣・支援 |
平成25年9月 |
桂川・鴨川河川敷災害派遣 |
平成25年12月 | 新本部庁舎完成 |
平成25年12月〜26年6月 |
第5次南スーダン派遣施設隊派遣・支援 |
平成28年4月 | 熊本地震に伴う災害派遣・支援 |
平成29年3月 |
第101補給大隊新編 |
平成30年3月 | 中央輸送隊 第4方面分遣隊新編 |
平成30年6月 |
大阪府北部地震に伴う災害派遣 |
平成30年7月 | 京都府桂川流域での水防活動 |
平成30年7月 |
平成30年7月豪雨に伴う災害派遣 |
令和元年9月 |
令和元年台風15号に伴う災害派遣 |
令和元年9月 | 令和元年台風19号に伴う災害派遣 |
京都発動機製作所について
戦局が長期化する中、軍当局の航空機増産要求に応え、手狭になった旧三菱重工業名古屋航空器製作所を規模拡大するため、昭和19年に発動機製作所(桂:火星型航空機エンジン生産工場)、機器製作所(太秦:エンジンバルブ工場)発動機研究所(山科)が発足。
工場建設に伴い、桂・太秦工場の中間には病院(現三菱京都病院)を建設し、桂工場工員の通勤用に阪急「物集女駅」を建設した。
空襲を避け、京都郊外の各所に分散疎開し生産を続けたが、終戦により航空機関係事業所は全て閉鎖、トラックの生産に転換をしたが、トラックの販売不振と重なる赤字により、昭和24年に生産は打ち切られた。
桂・太秦・山科の工場は企業再建で太秦工場に集結して中日本重工業株式会社として再スタートし、敷地が国有地であった桂工場は国へ変換をした。
後、桂工場の跡地は、桂高校、桂分とん地の敷地となる。
桂工場で生産されていたエンジン(火星型航空機エンジン)
三菱重工が大型機用に開発した「金星」エンジンが出力不足のため、金星をベースに開発した大排気量の航空機用空冷星形14気筒エンジン。
昭和13年に完成し、全国での製作総基数は計15,901基。
火星型エンジンが搭載された航空機
九七式重爆撃機 | 一式陸上攻撃機 |
二式飛行艇 | 天 山 |
雷 電 |