自衛官候補生課程教育
各部隊(第8普通科連隊、第17普通科連隊、第46普通科連隊、第13特科隊)の自衛官候補生課程教育隊は、 6月上旬から中旬にかけて教育の成果を判定する練度判定を行いました。無事に教育の総仕上げを終えた教育隊は、 6月下旬それぞれの駐屯地において修了式を執り行いました。正式に自衛官となった隊員達は、これから約3か月間 職種教育を受けるため、それぞれの後期教育隊へ異動し、専門的な知識・技術を身につけていきます。
戦闘訓練練度判定(第8普通科連隊教育隊)
銃分解結合練度判定(第17普通科連隊教育隊)
基本教練練度判定(第46普通科連隊教育隊)
歩哨練度判定(第13特科隊教育隊)
修了式(第8普通科連隊教育隊)
修了式(第17普通科連隊教育隊)
修了式(第46普通科連隊教育隊)
修了式(第13特科隊教育隊)
訓練検閲(第8普通科連隊)
第8普通科連隊は、5月下旬日光演習場(鳥取県)において、小隊訓練検閲を行いました。
徒歩行進訓練
化学警報下での射撃準備
黄警報で対空射撃準備
陸曹候補生履修前教育(第8普通科連隊)
第8普通科連隊は、5月中旬から6月中旬駐屯地において、第141期陸曹候補生履修前教育を行いました。
駆け足練成
障害走(棒綱)練成
堀井総監 各駐屯地(米子、山口、出雲)を初度視察
各駐屯地は、6月上旬それぞれの駐屯地において、堀井泰蔵中部方面総監の初度視察を受けました。
隊舎屋上にて地点指示(米子駐屯地)
隊内巡視(山口駐屯地)
記念撮影(出雲駐屯地)
中国地方整備局との情報交換会に参加
旅団は、6月10日(金)広島市内各研修場所において、国土交通省中国地方整備局と防災に関する情報の共有を図るとともに、 災害発生時における連携強化について認識の共有を図りました。
災害対策機械研修
情報交換会
駐屯地見学(出雲駐屯地)
出雲駐屯地は、6月2日(木)駐屯地において、荒木幼稚園園児に対し、駐屯地見学を支援ました。
92式地雷原処理車見学
重レッカに体験乗車
第13音楽隊演奏支援
第13音楽隊は、6月11日(土)東広島芸術文化ホールにおいて、第13音楽隊コンサートinくららを開催し、演奏を行いました。 また、6月19日(日)広島県総合グランドにおいて、アンジュヴィオレ広島開催試合における音楽演奏を行いました。
音楽コンサートinくらら
音楽コンサートinくらら
アンジュヴィオレ広島演奏支援
「訓練していないことは
できない」
第13特殊武器防護隊長
務隊 真将3佐
旅団の皆様、第13特殊武器防護隊長の務台です。この度、広報紙「みつや」に投稿する機会を得ましたので、化学科や化学活動への興味を持つきっかけとなれば幸いと思い投稿させて頂きます。
『特殊武器』と聞いてウクライナ東部での戦闘におけるロシア軍の化学兵器の使用の可能性について思い浮かべる方も多いと思います。2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻は、
欧米のウクライナへの武器供与やウクライナ軍の頑強な抵抗等により、4カ月以上戦闘が継続しています。報道では、キーウ周辺での戦闘が膠着する中、3月22日にロシア軍が化学兵器を扱う部隊を
ウクライナ東部へ投入、4月6日にロシア軍キーウ完全撤退、4月11日にマリウポリで無人機による化学兵器の使用が疑われましたが、その後「使用は確認されていない。」とあります。5月31日以降、
ロシア軍が東部地域の化学工場を攻撃し化学薬品の貯蔵タンクに被害が出たとも報道されています。6月6日現在、「ウクライナに対してロシア軍が化学兵器を使用した明確な証拠はないものの、
各国は状況を注視している」と報道されていますが、ウクライナ軍、とりわけ残留する一般市民にとって化学兵器や有毒ガスが大変な脅威であることは間違いありません。
有毒ガス、特に化学兵器は、
防護手段を持たない一般市民にとって非常に大きな脅威です。これを端的に示す事件が、平成7年3月の地下鉄サリン事件ではないでしょうか。
地下鉄サリン事件では純度の低い化学兵器サリンが
使用されましたが、一般市民が攻撃対象であったため、死者13名、重軽傷者5800名以上の被害(公安調査庁ホームページ)が出ており、27年経った今でも後遺症に苦しむ方がいらっしゃいます。
この未曾有の化学テロに対し、第32普通科連隊は化学科部隊の配属を受け、事件発生から約6hで4つの現場に災害派遣部隊を出動させ、翌日には地下鉄を始発から通常運行させています。初動部隊の指定もなく、
携帯電話も普及していない当時の状況を考慮すると、非常に迅速な対応だったと思います。なお、現場に入る前に除染要領を訓練したそうですが、活動の成果から当時の部隊の練度の高さがうかがえます。
4つの派遣現場の一つ、築地駅で活動した「築地隊」に同行し、除染終了後自ら防護マスクを外して、安全を確認した中村氏から直接お話を伺ったことがあります。当時、気状の化学剤を検知する器材はありませんでした。
しかし、中村氏は駅構内で防護マスクを外しても大丈夫だと自信を持っていたとのことです。今まで化学学校で教育・研究してきた除染要領の通りに除染し、安全を考慮した脱面要領で脱面し、
いざという時の救助体制も確立していたからだそうです。「訓練してきたとおりにやっただけ。」とおっしゃっておりましたが、私は「訓練していないことはできない。だから基本に忠実に、
あらゆる状況を想定して訓練する必要がある。」と檄を飛ばされたと思っております。
特殊武器防護や化学活動は、自らの安全、部隊の安全を確保しつつ任務を遂行するため重要な機能の一つであります。
防護・偵察・除染から救護(令和元年に医師法上の解釈が改められ、必要な研修を受ければ、化学テロ事案下において医師・看護師以外の現場対応者が他者に解毒剤自動注射器で治療できるようになりました。)
までの中で一つでも興味をもって訓練に臨んで頂けると幸いです。
来年には広島サミットも控えています。我々は、あらゆる特殊武器攻撃に対応できるよう、練度向上に邁進いたしますので、引き続き第13特殊武器防護隊をよろしくお願いいたします。
「信 頼」
第13高射特科中隊長
大奥 誠也3佐
令和3年12月に中隊長を拝命し、瞬く間に7ヶ月が過ぎ、着任時に掲げた所信の達成状況について、隊員とともに隊務に取り組みつつ、日々反省を続けています。
私は、着任に当たり、隊員に対し、「思いやり」、「即、実行」の2点を要望事項として示しました。これは、我々が無事に任務を達成するためには、上下左右が相互に
「信頼」し合えることが何より重要だという考えから、そのための心構えと、どのように行動することが必要かを一隊員まで分かりやすい言葉で表そうと設定しました。
まず、心構え(Mind)として、信頼関係を構築するために、思いやりの心を持ち、相互に尊重しあうことが、第1歩だと考えます。お互いを思いやるためにはお互いのことを
理解し合うことが必要となるでしょう。従来のいわゆる「飲みニケーション」の機会は、コロナ禍の現状ではほとんど無くなり、各級指揮官はもちろん、隊員間においても、
相互理解をいかに深めていくかは、簡単ではない課題となっており、いろいろな施策を講じてその促進に日々頭を悩ませているところです。
例えば、休日、家庭で妻からの
作業依頼(掃除、片付け、電球交換等)を後回しにしていると、次第に作業を頼まれることが減り、信頼感が薄れ、正しい発言をしても信用されなくなってしまう・・・、
ということは想像に難しくないと思います。
この心構え及び行動を隊員に要望するだけではなく、日々の隊務の中で自分自身がしっかりできたか?足りないことはなかったか?
次はどうするか?の自反を繰り返しながら、部隊の更なる精強化に向けて、日々精進していきたいと思います。
「進 化」
第13音楽隊
先任上級曹長
山根 健二 准尉
1999年、中国の喬良、王湘穂により刊行された超限戦で提唱されているコンセプトは戦争のために軍事、経済、文化などすべてを統合的に利用することで、中国が進めている一帯一路構想等を実施するための
仕組みとも考えられています。それから15年後、ロシアのワレリー・ゲラシモフが提示した新しい戦争の概念、通称「ゲラシモフ・ドクトリン」によりクリミア半島をロシアに
併合させた戦術の過程はハイブリッド戦と呼ばれるようになりました。そして現代の戦争は軍事だけではなく、貿易戦、金融戦、新テロ戦、生態戦、メディア戦、ハッカー戦、資源戦、
経済援助戦、文化戦などあらゆる領域に広がっています。
ではなぜ現在、ウクライナ侵攻でロシア連邦軍参謀総長のゲラシモフをもってしても「5日間戦争」と呼ばれたグルジア紛争や
クリミア併合のような戦果が得られていないのでしょうか。報道から推測すると物資、兵站、軍の強さ(士気)に一因があると思います。
「戦争のプロはロジスティクスを語り、戦争の素人は戦略を語る」
という格言があるそうです。戦闘地域まで軍隊を移動させ兵士に糧食や水を提供し、必要な武器・弾薬を運搬するという戦いの基礎となるロジスティクスが機能不全に陥れば、
いかに規模で圧倒するロシア軍といえども戦えません。17世紀フランスの宰相リシュリューは「敵の奮闘よりも物資の欠乏と規律の崩壊によって消滅した軍隊のほうが多い」との言葉を残しています。
国を守るという挫ける事のない抵抗意志を持つウクライナ軍は、不利な勢力での防御戦でロシア軍を撤退させた第1次チェチェン紛争を彷彿とさせます。
翻って我々の置かれている状況を鑑みた時、
昨年の03陸演でようやく本格的な軍事ロジスティクスを体験し、幾度か教育された作戦遂行時の重視事項「IDA」サイクル、つまり「情報(Information)」「決心(Decision)」「実行(Action)」
のなかで「実行」は現場の我々に委ねられています。
超限戦を掲げる中国の動向を報道で知る時、下士官である我々の知識・意識も進化が求められていると感じています。
自反 第13旅団
今月は、災害派遣行動史「平成30年7月豪雨(2018年7月)」について紹介します。
1 全 般
平成30年7月5日(木)以降、継続的に降り続いた雨により複数の地域にまたがる災害が発生しました。
7月6日(金)から7日(土)にかけて、広島県、岡山県及び山口県の各知事から人命救助に係る災害
派遣要請がなされ、これを受理して災害派遣が実施されました。同時期旅団主力は平成30年度協同転地
演習に参加中であり、当初、残留部隊による初動対処を実施するとともに方面内外からの増援部隊を得て
災害派遣活動を実施しました。
旅団主力は当初指揮・幕僚機能が7月8日(日)以降、隷下部隊主力は7月19日(木)以降、中国地
区に逐次に帰隊し、災害派遣活動に参加しました。最終的に8月18日(土)に撤収するまでの間、上級
部隊の増援を受けつつ活動しました。活動内容は人命救助と並行して自治体等のニーズに基づき、給水支
援、入浴支援、物資輸送、道路啓開を実施しました。
2 災害の概要
平成30年7月5日(木)から7日(土)にかけて、7月の月間降水量の8割強にあたる降雨が西日本
一帯に集中し、多数の地域で土砂災害が発生しました。この降雨の原因は6月末に日本の南方で発生した
台風第7号が西日本を通過したことに加え、梅雨前線が西日本に停滞したためでありました。
中国地区内でも複数の県で土砂災害が発生し、広島県内においては15箇所で日降水量を更新する記録
的な大雨になるとともに、2ヶ所で日最大1時間降水量の年間1位を更新しました。これにより、多数の
地域で土砂災害が発生し、死者115名、行方不明者5名、断水約220,000戸及び多数の住宅被害
(全壊:1150戸、半壊:3602戸)が発生しました。また、岡山県では7月5日(木)から7月7
日(土)にかけて記録的な大雨になり、 小田川など複数の河川で堤防が決壊しました。これにより、広い
範囲で浸水被害が発生し、死者66名、行方不明者3名、断水約310,000戸及び多数の住宅被害(
全壊:4828戸、半壊:3302戸)が発生しました。
山口県では7月7日(土)、山口県岩国市周東町瀬越で土砂崩れが発生し、死者3名及び住宅被害(全
壊23戸、半壊522戸)が発生しました 。
捜索活動(広島県尾道市)
土砂による道路の寸断(広島県安芸郡坂町)
住宅地への土砂の流入(広島市安佐北区)
3 活動の概要①
平成30年7月6日(金)岡山県及び広島県より災害派遣が要請されましたが、当時旅団主力は協同転地演習中で、
北海道に所在していたため、主力不在の中での初動対処となりました。旅団は中国地区に残留していた第46普通科連隊及び
第13特科隊のファスト・フォースをもって即時救援活動を実施しました。また、翌7月7日(土)には山口県から
災害派遣が要請され、第17普通科連隊のファスト・フォースをもって岩国市における即時救援活動を実施しました。
7月7日(土)以降、中部方面隊から第49普通科連隊、第10特科連隊、第6施設群等が増援され、
旅団は増援部隊を、岡山地区及び広島地区の被害が大きい地域において運用し、同地域における人命救助
活動を拡大しました。
7月9日(月)以降、全国から人命救助、給水・入浴支援部隊の増援を受け、これにより旅団は十分な
活動勢力を得たため、人命救助と並行して給水・入浴支援等の生活支援を開始しました。
7月13日(金)以降、中部方面隊は第13旅団を被害の大きい広島地区における活動に集中させるため、
中部方面隊内の地区担任区分の見直しを行い、岡山地区を第3師団に担任させるよう変更しました。
7月14日(土)以降、旅団は西部方面応急対策支援隊等の増援を受けたことから、人命救助活動・生活支援活動・生活支援
に加えて応急復旧活動を開始しました。
4 活動の概要②
7月14日(土)以降、協同転地演習を終了した旅団主力は逐次中国地区に到着し、7月19日(木)以降、災害派遣の
準備を完了し、災害派遣活動に加入しました。この際、旅団は隷下部隊の任務区分を変更して、旅団固有の部隊をもって
人命救助を実施しつつ、増援部隊をもって応急復旧を実施しました。
7月25日(水)以降、自治体のニーズの変化に対応するため、第7普通科連隊等の配属を受けるとともに、西部方面応急対策支援隊を
原所属に復帰させました。また、その他の増援部隊を土砂撤去重点地域である呉市天応、坂町小屋浦及び坂町坂に集中させました。
8月11日(土)以降、岡山地区の人命救助の終了にともない、中部方面隊内の地区担任区分の見直しが行われ、岡山地区が
第13旅団の担当地域に復帰しました。また、8月13日(月)の広島地区での人命救助の終了に伴い、活動は逐次縮小し、
8月14日(火)広島県から、8月18日(土)岡山県から、災害派遣の撤収が要請され、平成30年7月豪雨に伴う災害派遣は終了しました。
入浴支援
給水支援
物資輸送
5 その他
旅団は、毎年7月6日に行われる豪雨災害慰霊式に出席するとともに、広島県安芸郡坂町にある水害石碑等に赴き、
自然災害教育や周辺の環境整備等を行っています。
次回は、災害派遣行動史「広島土砂災害(2014年8月)」について紹介します。
「百万一心」
自反 第13通信隊
第13通信隊は、昭和37年1月18日、第13通信大隊(伊丹)から幹部以下70名、第8普通科連隊(海田市)から転属者102名、
中部方面総監部及び通信団等から3名(合計大隊長以下175名)の要員をもって伊丹駐屯地において編成し、同年1月26日海田市駐屯地に移駐しました。
平成11年第13師団が旅団に改編されることに伴い、大隊から中隊に縮小改編され、平成24年3月師団通信システム改導入、
平成25年3月師団等指揮システム導入、同年9月広帯域多目的無線機導入を経て、平成26年3月中隊から隊に増強改編しました。
平成29年2月野外通信システム導入、令和2年衛星幹線通信システム可搬局を導入し、現在旅団唯一の通信科部隊として、
旅団の指揮命脈を担うシステム通信組織を構成、維持、運営し、かつ映像写真業務を任務としています。
第13通信隊の機関紙「こだま」は、昭和37年1月大隊創隊2年後、昭和39年4月1日第1号を発刊し、現在に至るまで、
部隊の良き伝統として、隊員はもちろん、OB、隊員家族に親しまれています。名前の由来は、通信科隊員として、山びこのように、
「打てば響く」をモットーに名付けられ、その言葉を胸に、隊員一同日々精進しています。
昭和37年創隊時の大隊旗授与式
昭和61年交換所車上開設
平成29年に導入された野外通信システム
隊員が考えた13通マスコット
(昨年度駐屯地のマスコットキャラクターの3選考に残った物を通信隊マスコットに)
第17普通科連隊
中村 史拓 3曹
中村3曹は、平成27年4月に一般陸曹候補生として入隊し、新隊員前期教育を善通寺駐屯地、後期教育を海田市駐屯地で履修後、第17普通科連隊本部管理中隊重迫撃砲小隊に配属され、現在は120M砲手として活躍しています。その傍ら戦闘戦技訓練隊の一員として、部隊の精強化に努めています。また、第17普通科連隊の新たなシンボルマーク(上)の発案者でもあります。
Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?
学生の時、東日本大震災での自衛隊の災害派遣活動を報道で見かけることが多く、自分も人の役に立ちたいと考え入隊しました。
Q2 自衛隊に入って苦労したことは?
入隊してすぐの集団生活に慣れるまでに時間がかかり苦労しました。
Q3 今現在の役職について心がけていることを教えてください。
120M砲手として迅速確実な動作ができるよう日々練成を心がけています。
Q4 自衛隊での一番の思い出を教えてください。
令和3年度、旅団の重迫撃砲競技会で砲手として参加し、優勝したことです。
「第2の人生を
終えて思うこと」
島根県隊友会大社支部長
豊田 彰二
私は、平成18年に定年退官し、早16年を迎えようとしています。
定年を迎えるまで、退職に備え就職準備をすることもなく、
業務管理教育を受けたくらいでした。再就職は先輩(OB)が退職されたら、空いたポストに交代で・・・と思っていましたが、定年延長で
退職されず・・・。結局、駐屯地援護室の紹介で施設管理の仕事に就職しました。業務内容は、大学での電気、水、空調、ボイラー管理
教室等の管理、警備業務を担当していました。しかし、ボイラー技士免許のみを取得し、電気工事士免許を保有していなかったため退職に
至りました。その後、警備会社に再就職し機械警備員として、警報対応やATM障害対応等の勤務をしてきました。
自衛官を定年退官して一番痛感したことは、自分自身の定年後の目標設定の甘さでした。再就職(やりたいこと)に対する取り組み方や
必要な資格免許の取得、できれば技術を習熟し自信をもって一般社会で勤務することができるように現役時代から準備するべきでした。
現役中は、職務遂行に集中し再就職に関心を持たなかった等言い訳はありますが自分自身の事です。後で後悔しないようしっかり準備する
ことが大切です。自分の未来を輝かしいものに自ら築いていく心構えをしっかりともって取り組んで欲しいと思います。