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みつや表紙

自衛官候補生入隊式

この春、米子駐屯地、山口駐屯地、海田市駐屯地、日本原駐屯地に自衛官候補生が着隊し、 4月3日に海田市駐屯地、9日に米子駐屯地、山口駐屯地及び日本原駐屯地において入隊式が挙行されました。

入隊式(米子駐屯地)

入隊式(米子駐屯地)

入隊式(山口駐屯地)

入隊式(山口駐屯地)

入隊式(海田市駐屯地)

入隊式(海田市駐屯地)

入隊式(日本原駐屯地)

入隊式(日本原駐屯地)

補助担架員養成集合訓練 第8普通科連隊

第8普通科連隊は、4月中旬米子訓練場において補助担架員養成集合訓練を行い、練度の維持向上を図りました。

担架班行動(傷病者の応急処置)

担架班行動(傷病者の応急処置)

担架班行動(傷病者搬送)

担架班行動(傷病者搬送)

※ 被教育者は感染対策を徹底したうえで、屋外では状況によりマスクを外し訓練をしています。

堀井総監 旅団(海田市)を初度視察

旅団は、3月28日海田市駐屯地において堀井泰蔵中部方面総監の初度視察を受けました。

儀 仗

儀 仗

隊内巡視

隊内巡視

安芸ふれあいコンサート 第13音楽隊

第13音楽隊は、3月30日安芸区民文化センター・ホールにおいて安芸ふれあいコンサートを実施をし、 ご来場されたお客様から盛大な拍手をいただき会場を大いに盛り上げました。

隊内巡視

隊内巡視

駐屯地一般開放 米子駐屯地

米子駐屯地では、4月3日駐屯地一般開放を実施し、満開の桜のなか装備品展示、体験搭乗などさまざまなイベントを、訪れた皆様に楽しんでいただきました。

装備品展示(82式指揮通信車)

装備品展示(82式指揮通信車)

制服試着

制服試着

演習場春季定期整備

旅団は、4月中旬日本原(岡山)、日光(鳥取)、原村(広島)、むつみ(山口)のそれぞれの演習場を整備し、訓練基盤の維持・拡充を図りました。

視射界の確保(第46普通科連隊)

視射界の確保(第46普通科連隊)

幹線道路整備(第13特科隊)

幹線道路整備(第13特科隊)

幹線道路整備(第13後方支援隊)

幹線道路整備(第13後方支援隊)

幹線道路整備(第13偵察隊)

幹線道路整備(第13偵察隊)

幹線道路整備(第13飛行隊)

幹線道路整備(第13飛行隊)

路面整備(第13施設隊)

路面整備(第13施設隊)

MCV機動路整備(第13戦車中隊)

MCV機動路整備(第13戦車中隊)

幹線道路整備(第13高射特科中隊)

幹線道路整備(第13高射特科中隊)

幹線道路散水(第13特殊武器防護隊)

幹線道路散水(第13特殊武器防護隊)

基本射場整備(第15即応機動連隊)

基本射場整備(第15即応機動連隊)

西停弾堤整備(第14施設隊)

西停弾堤整備(第14施設隊)

路面整備(第382施設中隊)

路面整備(第382施設中隊)

視射界の確保(第50普通科連隊)

視射界の確保(第50普通科連隊)

溜ます柵整備(方面衛生隊)

溜ます柵整備(方面衛生隊)

炊 事(第13旅団司令部付隊)

炊 事(第13旅団司令部付隊)

野外洗濯(第13後方支援隊)

野外洗濯(第13後方支援隊)

救護所(第13後方支援隊)

救護所(第13後方支援隊)

燃料交付所(第13後方支援隊)

燃料交付所(第13後方支援隊)

器材の整備教育(第13後方支援隊)

器材の整備教育(第13後方支援隊)

視射界の確保(第8普通科連隊)

視射界の確保(第8普通科連隊)

防火帯整備(第13通信隊)

防火帯整備(第13通信隊)

木の伐採(第13音楽隊)

木の伐採(第13音楽隊)

木の伐採(第17普通科連隊)

木の伐採(第17普通科連隊)

教育(器材操作、土のう積み)(第17普通科連隊)

教育(器材操作、土のう積み)(第17普通科連隊)

百万一心

隊長写真


「相互理解」
第13戦車中隊長
なが 英  ひでふみ 3佐

令和4年3月14日付で第13戦車中隊長を拝命した永尾です。よろしくお願いします。
私の職務遂行上の心構えは「相互理解」です。陸上自衛隊は、年齢・階級・性別等多種多様な隊員が所属しております。わが第13戦車中隊を見ても同様です。特に近年は社会・組織の多様性が謳われる中、社会問題となっているハラスメントですが、陸上自衛隊においても例年高い水準で発生しております。その問題の根底には仲間意識の希薄化があると私は考えます。
我々自衛官は、平素の訓練や業務を共にする同僚と命を懸けて国土防衛のために戦います。普段は気の合わない先輩や同期でも部隊の任務達成のために団結して戦わなければなりません。戦場で一番頼りになるのは、普段から接している同じ部隊の隊員なのではないでしょうか。親、兄弟等ですら時には喧嘩する時もあります。ましてや生まれた時代、境遇が異なる他の隊員のことを理解するのは難しいです。だからこそ互いのことを自ら進んで理解しようとする姿勢を持つことが大事ではないかと思います。
その際、相手のことを理解するだけではなく、自らを相手に知ってもらおうとする意識が重要です。このような双方向のコミュニケーションを通じて互いの信頼関係が醸成されていき、結果的に仲間意識が強固になると考えます。皆さんも普段苦手と思う人に対して勇気を出して話してみてはいかがでしょうか。見えない相手の一面が見えるかもしれません。私も中隊の団結の核心として「相互理解」に努めていく所存であります。

三矢の訓え

先任写真

「自省自戒の金言」
第17普通科連隊
最先任上級曹長
ふじやま 勝  かつひこ 曹長

今回は、私が考えさせられた言葉の一つである「五省」について話したいと思います。「五省」とは旧海軍士官学校において用いられた五つの訓戒であり、当時の学校長である「松下 元」が旧海軍の教育の中で生徒が自省自戒とするために考案したと聞いています。有名な言葉でありますが紹介しますと、
「一、至誠に悖るなかりしか    (真心に反することはなかったか)
  一、言行に恥づることなかりしか (言葉と行動に恥ずべきことはなかったか)
 一、気力に缺くるなかりしか   (精神力に欠いてはいなかったか)
  一、努力に憾みなかりしか    (十分に努力したか)
  一、不精に亘るなかりしか    (全力で最後まで取り組んだか)」
というものであります。内容については大変理解しやすいものとなっています。
 私がこの言葉に出会ったのは第4陸曹教育隊で陸曹上級課程の助教として勤務し、1年が過ぎようとしていた頃であり、学生指導について慣れてはきたものの、まだまだ半人前であり、思うような指導ができていないと悩んでいた状況でありました。 そんな折、「五省」を知り、自らを省みる重要性を改めて感じ、自分に足りないものを気付かされました。それまでの私は教育上思うようにいかなかった際、心のどこかで学生のせいにしていた自分がおり、それが自分の成長を妨げる最大の要因になっていたように思います。 この言葉に出会い、自らの弱さを認め、学生のせいにしなくなった時に自分の中の何かが変わった気がしました。
山口駐屯地の最先任上級曹長となった今、様々なことを模索しながら業務しているところですが、最先任上級曹長の任務を果たし、自分を律する上でこの言葉は良い戒めとなっています。文武両道をうたう山口の地の最先任上級曹長として恥ずかしくないよう、成長していきたいです。 そして、指揮官の直接的な補佐者として任務を果たすとともに、隊員育成をもって、部隊の精強化に寄与できるよう努力していく所存であります。

自反 第13旅団

海田市駐屯地第13旅団司令部前の庭園に鎮座する「百万一心碑」は、昭和51年に海田市駐屯地正門内側の警衛所前に小庭園とともに建てられました。   当時、海田市駐屯地では、かねて環境整備の一環として、緑化と庭園づくりに努めてきましたが、まずはその仕上げとして建てられたものです。   石は善通寺市の草薙利明氏から贈られた高さ181センチ、幅241センチの四国の名石「奄治石」、碑文の第13旅団の象徴である「三矢の訓え」の基となる「百万一心」は、 毛利元就公の本拠であった郡山城跡(広島県高田郡吉田町(現:安芸高田市吉田町))に建つ石碑から拓本しました。                                                この石碑に刻まれた「百万一心」は百を一日、万を一力と読む。その“こころ“は「日を同じうし、力を同じうし、事にあたる」というものであります。さらに当時の師団長が、 「これは郷土の名将毛利元就公の教えである。われわれはこの精神を三矢の隊章と定め、師団の輝かしい伝統として後世に継承したい」と決意しています。
拓本以外は司令職務室の柏原1曹(当時)が達筆をふるい、善通寺市の協力者中村吉孝氏が、「自衛隊さんのために奉仕をしましょう」と、丹誠込めて刻みました。 庭園師の「竹林氏(善通寺市在住)が腕によりをかけて名石を据え、蘇鉄を植え、中・四国の自衛隊の要(建立当時の警備隊区)にふさわしい駐屯地の玄関になりました。
また、司令部庁舎玄関の左右の紅白石について、上記の「三矢の訓え」庭園が造られた時に前述の善通寺市在住の竹林氏が据えられたものであり、「お祝いと司令部の発展を意味する」もので赤石は静を表し、 また丸いことによる円満、低いことによる礼、質を、白石は動を表し、前面はえぐられているところがあるかと思えば突き出ている面もあり、あたかも剣を備えた仁王が外敵に対して毅然と立ちはだかり、一歩もひかぬということを表現しているものであります。
また二つが、寄り添ったことにより、「信と重量感を盛り上げ外敵に対して不戦圧勝を表現している」とされています。
この紅白石ですが、海田市駐屯地正門にも据えられているので、探してみてください。                                      「百万一心」

海田市駐屯地正門 百万一心碑

海田市駐屯地正門 百万一心碑

第13旅団司令部庁舎玄関左右に建つ紅白石

第13旅団司令部庁舎玄関左右に建つ紅白石

自反 第13後方支援隊

『第13後方支援隊の歴史について』
現在の第13後方支援隊には2個の整備中隊が編成されています。この整備中隊の母体となっている部隊が第13武器隊です。
第13武器隊は、昭和36年11月伊丹駐屯地で第3武器隊、第8普通科連隊及び第306中整備中隊の要員を基幹として編成完結し、 昭和37年1月以降は、海田市駐屯地で第13師団の後方支援の中核部隊として平成3年3月まで29年間に渡り武器科装備品の補給・整備・回収にあたりました。 その後第13後方支援連隊武器隊の新編、更に武器大隊へ改編されました。平成11年3月、第13師団の旅団化に伴い第13後方支援隊武器中隊が新編されました。 この間、部隊名に「武器」という名称が示す通り武器科職種を主体とした隊員構成であり隊旗の色は「萌黄(もえぎ)色」でした。
平成16年、後方支援体制等変換に伴う改編があり、武器科の整備員のみではなく各職種の部隊整備員も同一部隊として、現在の第1及び第2整備中隊が新編されました。 これに伴い部隊名に「武器」の名称はなくなり隊旗の色も共通色の「紺色」に代わりました。
最後に昭和61年、第13武器隊に配置された寺田1士(当時の私)も自衛隊員歴37年を超え定年退職の日が近づいてきました。
海田市駐屯地95号整備工場前にある「武器の庭」(平成3年造成)を眺めながら昔を思いだして、過去に何度も改編等を繰り返しながらも脈々と受け継がれる武器科魂の伝統を、 毎年入隊してくる新隊員に継承することが我々の責務だと日々痛感しています。

海田市駐屯地95号整備工場前にある「武器の庭」

海田市駐屯地95号整備工場前にある「武器の庭」

「この庭は、現役隊員とOBの協力により竣工したものである。平成3年2月17日」<br>と記されています。

「この庭は、現役隊員とOBの協力により竣工したものである。平成3年2月17日」
と記されています。

過去の識別帽

過去の識別帽

当時の隊旗 この旗の色が萌黄色

当時の隊旗 この旗の色が萌黄色

武器隊時代の隊員の集合写真

武器隊時代の隊員の集合写真

spotlight

spotlight写真

第13音楽隊
 千  ちさと  士長

久保士長は令和2年年3月に自衛官候補生として入隊し、新隊員前期教育を大津駐屯地、後期教育を朝霞駐屯地で過ごした後、第13音楽隊に着隊、現在は音楽手として活躍しています

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?

高校・大学の先輩方が各音楽隊で活躍されている姿を見て、憧れて入隊しようと思いました。

Q2 自衛隊に入って苦労したことは?

体力面に苦労しました。今まで体を動かすことが全くなかったのでとても不安でしたが、先輩方が熱心に    教えてくださったお陰で不安を取り除くことができました。

Q3 自衛隊を目指す人に助言をお願いします。

体力など不安なことがあっても先輩方が熱く優しく教えてくださるので安心してください!

Q4 自衛隊での一番の思い出を教えてください。

自衛隊員として演奏会でお客様から沢山の拍手を頂けることが一番嬉しいです。お客様の中には笑顔で見て    くださる方もおられ、その笑顔を見る度に演奏して良かったなと思っています。

ベテランズコーナー

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「生涯自衛官」
鳥取県隊友会
事務局長
西にし 勝  しょうぞう

自衛官を退職して早や九年が過ぎました。予備自衛官も今年で終了です。 自衛官として得たものは何だったかを、反省も交えながら思い起こしてみますと   規律心、協調性、体力気力、戦術的な考察、業務予定作成能力等々、私個人の主観で失礼ですが諸兄には納得していただける要素がおありかと思います。
今、改めて思えば色々なことが大変役立っていることが現在の職場でも地域の活動でもわかります。
自衛官である(あった)ことは、一言でいえば最強のサービスマン、最強のボランティア活動を備えた人材であるということです。良きに付け悪しきにつけ元自衛官という アイデンティティはついて回りますが、これからも生涯自衛官であることを心に秘めて過ごしていきたいと思います。今後も微力ながら、崇高な使命感を持った現職隊員の 方々への応援団として頑張っていきたいと思っています。