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みつや表紙

総合戦闘射撃

旅団は2月上旬にあいば野演習場(滋賀県高島市)において、総合戦闘射撃を行い、連隊本部の火力調整、増強普通科中隊各級指揮官の射撃指揮及び諸職種間の火力調整を演練し、諸職種の火力発揮能力の向上を図りました。

小銃小隊

小銃小隊

対人狙撃銃

対人狙撃銃

81mm迫撃砲

81mm迫撃砲

120mm迫撃砲

120mm迫撃砲

01式軽対戦車誘導弾

01式軽対戦車誘導弾

87式対戦車誘導弾

87式対戦車誘導弾

74式戦車

74式戦車

155ミリ榴弾砲FH-70

155ミリ榴弾砲FH-70

中部方面総監視察

中部方面総監視察

旅団重迫撃砲射撃競技会

旅団は2月上旬にあいば野演習場(滋賀県高島市)において、令和3年度旅団重迫撃砲射撃競技会を行い、第8・第17・第46普通科連隊のそれぞれの重迫撃砲部隊が精度及び速度でその技能を競いました。  
栄光に輝いた第17普通科連隊は、旅団長より優勝旗を授与されました。

正確・迅速に照準

正確・迅速に照準

弾薬を装填

弾薬を装填

優勝旗を授与

優勝旗を授与

国民体育大会

秋田県で行われている国民体育大会冬季スキー競技会において、第8普通科連隊所属の三好孝文1曹が成年男子Cの距離クラシカルで7位入賞、川端大介1曹が13位と健闘しました。

左:三好1曹 右:川端1曹

左:三好1曹 右:川端1曹

三好1曹

三好1曹

川端1曹

川端1曹

国際緊急援助隊

旅団は1月24日、火山噴火により大きな被害を受けたトンガ王国での緊急援助活動を行うため、海田市駐屯地において輸送支援を実施するとともに、海上自衛隊呉基地から輸送艦「おおすみ」で出航する隊員を見送りました。

「帽振れ」で隊員を盛大に見送り

「帽振れ」で隊員を盛大に見送り

トンガ王国の早期の復興を祈念

トンガ王国の早期の復興を祈念

旅団部隊スキー指導官(養成)集合訓練

旅団は1月から2月までの間、米子駐屯地、大山ホワイトリゾート及び日光演習場において、旅団部隊スキー指導官(養成)集合訓練を行い、部隊におけるスキー指導者及び冬季訓練並びに積雪地における行動の専門的知見の助言者として必要な知識・技能を習得させ、部隊スキー指導官の資格を付与しました。

吹雪の中でも重量物を背負ってスキー機動

吹雪の中でも重量物を背負ってスキー機動

スキー初心者等に技術を教育する指導法

スキー初心者等に技術を教育する指導法

認定試験で合格した隊員に部隊スキー指導官徽章を授与

認定試験で合格した隊員に部隊スキー指導官徽章を授与

百万一心

隊長写真

詩


「没 我 支 援」
第13施設隊長
のう 高  たか 2佐

皆さんは、「没我支援」という言葉をご存じでしょうか。
施設科隊員であれば、一度は耳にしたことがある言葉であり、他職種でも聞いたことがある方もおられるかもしれません。
「没我支援」という言葉は、大東亜戦争が終結して昭和29年に陸上自衛隊と施設科が誕生し、旧軍の「工兵操典」に代わり昭和32年に制定された「施設科操典」中の「施設科精神」に出てくる言葉です。
「施設科部隊の指揮官以下は、任務達成のため特に、没我支援の精神に徹し、積極性に富み、堅忍持久、ひとたび作業に着手したならば、あらゆる制約を克服して、果敢に必遂を期さなければならない。技術を尊重し絶えず研修に努め、常に状況に即する創意工夫を凝らすことが必要である。」(昭和32年制定「施設科操典」より抜粋)
私は、「没我支援」という言葉を聞くと思い浮かべる写真があります。この写真は、大東亜戦争初期の昭和16年12月から行われた、マレー作戦においてジョホールバル水道を渡河するために、旧軍工兵が自らを柱として橋を架け、部隊を通過させた際の写真です。
私は、この写真を見ると、どんな困難な状況でも創意工夫し、自らの身を犠牲にしてでも任務を必遂する工兵の使命感と美学を感じます。
「没我支援」という言葉は、実は、現在の施設科精神にはありません。昭和43年に前出の「施設科操典」が「施設科運用」に改定された際に、「身を挺して任務を完遂」という言葉に置き換わっています。これは、改定当時、施設科は支援のみでなく、自らも戦闘を行うことと、「没我支援」という言葉は青年層に意味が通じにくいのではなかという危惧から修正されたようですが、「没我支援」という言葉は、令和になった現在でも施設科隊員の中に生き続けていると感じます。
「没我支援」の精神を忘れず、写真に写る工兵の先輩のように、国民や旅団のために、自らの身を顧みずに任務を必遂できるような部隊と隊員を育成できるよう、日々精進したいと思っています。

三矢の訓え

先任写真

題名

「吾唯足知」
第46普通科連隊
最先任上級曹長
なか 精  せい 准尉

 第46普通科連隊の第7代最先任上級曹長に令和3年3月10日付で上番した、田中准尉です。上番して早1年近くが過ぎ、連隊長の補佐者として日々自問自答しながら勤務しております。さて、さっそくですが表題の「吾唯足知」(われ、ただたるをしる。)ですが皆さん見たり聞いたりしたことはありますか?
「中国の哲学者老子の言葉「自勝者強、知足者富」(足るを知る者は富む)をもとに、京都府にある龍安寺という禅寺の蹲踞(つくばい、日本庭園に設置される手水鉢)に刻まれています。教えとして「足ることを知る人は心穏やかであり、足ることを知らない人の心はいつも乱れている。」ということです。
正に今のコロナ禍での生活を過ごしている我々に当てはまる教えだと感じます。
置かれた状況は人それぞれ違います。その中で他人と比べるのでなく、自らの置かれた状況の中で足ることを知ることがストレスフリーとなり、コロナ禍での生活もより彩りのあるものとなるでしょう。
皆さんの日々の一助となれば幸いです。

spotlight

spotlight写真

第13高射特科中隊
きしもと 英  ひで  1士

鈴木1士、細川1士は令和3年3月に自衛官候補生として入隊し、新隊員前期を大津駐屯地、後期教育を今津駐屯地で過ごしたあと、第13戦車中隊に着隊、現在は戦車小隊にて戦車手(装填手)として勤務しています。

Q1 自衛隊に入隊したきっかけは?

自衛隊に入隊したきっかけは、兄が入隊したことでした。兄が入隊したことをきっかけに会うたびに学生から社会人として変わっていく姿を見て、私も就職することになったとき、自然と『自衛隊』という選択肢が浮かびました。

Q2 休日の過ごし方は?

新隊員として過ごしていく中で、休日は体力回復に当てることも多いですが、親とゴルフや、地域のテニスクラブで英気を養っています。

Q3 好きなスポーツは

好きなスポーツは、水泳です。夏はプールに行って気ままに泳ぐのが好きです。夏以外は、サイクリングです。景色を見て回るのを楽しんでいます。

Q4 高射特科部隊に入って苦労したことは?

先ずは、私の職務である発電機手として、自分の任務を全うできるようになることです。

ベテランズコーナー

「山口県隊友会の現状」
山口県隊友会事務局長
かわかみ 博  ひろゆき

今年で山口県隊友会事務局長15年目になります。
自衛隊を定年退職して半年後に事務局員となり、1年後に事務局長に就きました。隊友会についてほとんど分からない状態での事務局長でしたが、気づけば14年間。自分流でやってきた感じです。
この14年間に隊友会に2つの大きな変化がありました。
1つは、平成23年の「公益社団法人」化、2つ目は平成29年の「会費制度変更」です。「公益社団法人」化で、内閣府に名簿提出、議決権の委任が厳密となり、このため、「連絡が取れない会員」「会費未払いの年会員」等を整理いたしました。結果、私が上番した平成20年に1736人だった総会員数が、平成23年には1385人となりました。この時はしっかりと名簿管理をしていなかったための急激な減少だったのですが、その後も毎年会員数は減少し、今年度(令和3年度)末には996人になりそうです。
平成29年の会費制度変更で、「入会時に10年分の会費を納め、以後会費を納める必要が無い終身会員」の制度を廃止し、新規入会会員は全員が基本毎年会費を納める「年会員」だけとなりました。これまで毎年、入会数を退会数が上回り、30~40人減少してきました。終身会員の減少は仕方の無いことだとして、年会員は増加するのではと思っておりました。しかし、会費制度を変更した平成29年に237名だった年会員が、5年間で20人減少し、今年度(令和3年度)末には217人になります。現在の山口県隊友会の75才以上の会員はおおよそ480人です。今後10年間で退会会員は400人程度、入会会員は120人程度でしょう。10年後には総会員数は700人程度となりそうです
令和2年度に会員数が増加した「県等の隊友会」は51コ隊友会の内、3コ隊友会だけです。ぼちぼち次の対策を講じる必要がありそうです。
最後に、これから自衛隊を任期満了で退職される方、定年退官される方の隊友会入会を心よりお待ちしております。