防衛大学校学生
愛媛県 木原 様
高校3年生の夏、受験生として真剣に進路を考える頃、突然、息子の口から出たのが、「大学に行ったら寮生活がしたい」でした。
小学生の頃から、ソフト、サッカー、水泳、陸上、相撲等々、とにかくあらゆるスポーツをかじり、いつしか自分も部活動を指導してみたいとの夢を抱きつつ、親としても教師の道をめざすものとばかり思っていました。
確かに、大学でも体育会系に所属すれば寮生活もありかと思いながら、結局親として提案した一つが、単に集団生活という発想のみからの防衛大学校という選択肢でした。
地域的にも身近にも全く自衛隊に対し馴染みが薄い中、最終的な進路決定へのきっかけを与えて下さったのは、前任校でえひめ丸事故に遭い、その際、現地ハワイで大変お世話になったのが海上自衛官だったという経験を持たれた当時の校長先生でした。
運良く合格してからの入校式、せっかくの式典も大雨・強風というまさに将来の厳しさを暗示するかのような悪天候。久々に会話する午餐会でも、心ここにあらずといった感じで、あっという間の別れに一抹の寂しさと不安を感じたのを思い出します。とにかく時間に追われ超刺激的な生活だったという1学年を終え、2学年に向けての要員配置も希望とは異なり、親としては士気の低下を心配もしました。しかし、その年の開校記念祭で、全てが取り越し苦労であり、知らぬ間に成長した息子の存在に夫婦ともども感涙しながら、その時、この道を天職とするに違いないとの確信を抱きました。それは、親孝行フェアに掲げられていた次の言葉です。「カッター訓練中、人知れず流した涙があった。筋肉痛で目を覚ました夜があった。しかし僕には最高の仲間がいた。ここに来て本当に良かった。丈夫な体に産んでくれて、何不自由なく育ててくれて、いつも優しく支えてくれて、本当に有難う。僕は世界一の幸せ者です」。
今、息子は海上自衛隊で目標とした哨戒ヘリパイロットの道を歩み始めています。
自衛隊というすばらしい人間教育環境のもとで、多くの方々に支えられ鍛えられながら、「人」としての成長を実感させていただき、ただただ感謝の気持ちで一杯です。
先般、人生最良のバディとの縁もあり、今は第一子の誕生を心待ちに、まずは家族という絆を根底に、今後とも平和を一生の仕事として、人に愛され、尊敬され、信頼されるよう職務に精励して欲しいと願っています。