駐屯地史跡巡り
O その他の記念植樹
 古河駐屯地は、緑の多い駐屯地ですが、記念植樹もその緑に一役買っています。今回はこの3本を紹介します。この他にもありますので、駐屯地に遊びに来た際には、探してみるのもおもしろいかも知れませんね。その際は、許可された範囲内でお願いします。
 左から、朝霞駐屯地移駐記念植樹(第1施設大隊 第1中隊会・2号庁舎南側)、古河駐屯地移駐記念植樹(第101施設器材隊・1号庁舎南側)、古河駐屯地業務隊創隊55周年記念植樹(2号庁舎南側)
N 古河駐屯地創立55周年記念植樹
 平成21年に創立55周年を迎えた時にも、桜の植樹を行いました。場所は、厚生センターの北西側です。50周年のものと比べるとまだまだ若い桜です。5年の違いは大きいですね。
 この場所は、駐屯地記念日等で一般開放される地域なので、ぜひ現物を確認してみてください。
M 古河駐屯地創立50周年記念植樹と銘板
 古河駐屯地は、平成16年に創立50周年を迎え、その記念として厚生センター前の広場中央に、桜の植樹を行いました。10年以上が経ち、立派な枝振りとなり、春には目を楽しませてくれています。その根元には、駐屯地所在部隊にちなむ物を埋め込んだ銘板があります。どのパーツがどの部隊を表現しているかわかりますか?
 この場所は、駐屯地記念日等で一般開放される地域なので、ぜひ現物を確認してみてください。
L 東部方面施設野整備隊改編(廃止)記念銘板
 昭和35年から昭和47年まで古河駐屯地に駐屯していた、東部方面施設野整備隊が、廃止に伴い記念碑を建立したことが50周年記念誌で確認できました。その記念碑を探し、見つけることはできなかったのですが、記念碑に取り付けられていた銘板だけは、しっかりと広報展示室に保管されていました。
 このほかにも、広報展示室には第1施設大隊、施設補給処の各銘板が展示されていますので、ぜひ足を運んでみてください。
K 旧古河駐屯地シンボルマーク
 このシンボルマークの作成時期等は不明ですが、古く昭和の時代から平成26年3月まで古河駐屯地のシンボルマークとして長く活躍してきました。
 この度、平成26年4月に60周年の節目を機に古河駐屯地シンボルマークを新たに制定し、その役目を終えました。現在このシンボルマークは、広報展示室に保管されています。
 
現在のシンボルマークはこちらをクリック!
G 1号庁舎玄関の築山
 平成22年4月、新たに松の木を植え、築山全体を整備しました。
 石に貼られた「第1施設団」の銘板は、同時期に関東補給処 古河支処が作成したものです。
F 1号営庭南側の梅の木とヤマボウシ
 平成12年度、陸上自衛隊創隊50周年を記念して植樹された梅の木とヤマボウシです。
 ヤマボウシは、一般的に成長を願って記念植樹に使われることがあるそうです。花言葉は「友情」です。このことから、陸上自衛隊創隊50周年にあたり、更なる成長・発展と友情という決意と願いが込められていることが分かります。
 また、左右に植栽されたこのツツジ、粋な計らいで、上から見ると「古河(コガ)」の文字に模られています。
 左写真の中央に位置しているのが、右写真の石碑です。その石碑の左に梅の木と右にヤマボウシが植樹されています。
 つつじの「古河」は、確認できましたか?
E 1号営庭の松林
 1号営庭に堂々と松林が立ち並んでいます。詳細は不明ですが、旧勝鹿村の主要道路沿いに植えられていたものです。駐屯地の創設当初からあったことが、当時の写真を振り返ると確認できます。
 左が現在の写真。右が昭和29年当時の古河駐屯地の写真
D 旧南古河駐屯地正門跡
 現在の第101施設器材隊特殊器材中隊小隊事務室が警衛所であったようです。
 写真手前に写る道路(隊員クラブ裏)が、旧県道の跡であり、平成元年に外柵の改修が行われ、完全に旧南古河駐屯地正門の面影を消してしまいました。
 左が現在の写真。右が駐屯地創立1周年記念行事(昭和30年4月)での南古河駐屯地正門
C 清香園
 昭和41年、駐屯地図書室増築工事に併せて着工しました。溶岩石で築山後方に滝を造り、心字池には三波石を配置しています。作業人員は、延べ1,850人余りで、約1ヶ月かけて造園しました。総面積はu(約980坪)あり、駐屯各部隊の協力のもと、翌年3月に完成しまし、憩いの場として隊員から親しまれていました。
 「せいこうえん」と読みます。右は、開園当時(昭和42年3月)に撮影した写真
B 芳山亭
 昭和30年、第1施設大隊鎌倉作業隊が廃屋を譲り受け、駐屯地娯楽室として再建(8畳2間16坪)南古寮と称しました。(一段高い処どうだんつつじ生垣内)
 更に、昭和42年自隊作業により玄関から左側部分を図書室(10坪)として増築しました。
 「ほうざんてい」と読みます。右は、開設当時(昭和42年3月)に撮影した写真
A 鉄道引込線跡
 昭和49年まで、JR古河駅から駐屯地北西側の旧日赤跡地と自衛隊官舎の間に、鉄道の引込線が存在しました。
 元々、国鉄の土砂運搬用を経て、三菱重工業・川崎機器製作所から京浜地区までの製品輸送に使用され、昭和30年施設補給処が再利用し、昭和49年に撤去されました。
 駐屯地北側に残る鉄道引込線跡
@ 古河駐屯地のギョイコウ「御衣黄」(バラ科 サクラ属)
 江戸時代に、京都の仁和寺で栽培されたのが始まりと言われているこの「御衣黄」は、名前が江戸時代中期から見られ、その由来は花の色が高貴な貴族の衣服の萌葱色(もえぎいろ)に近いためと言われています。
 古河駐屯地のギョイコウは、例年、ソメイヨシノより少し遅めの4月上旬に開花を始めます。花の大きさは、場所によって異なるそうで、古河駐屯地では3.5から4pでした。八重咲きで、開花時には緑色ですが、次第に緑色は薄れて黄緑色から黄色になり、やがて中心部が筋状に赤くなります。開花時には目立ちませんが、次第に中心部から赤みが増してきて(紅変)、散る頃にはかなり赤くなります。
 さて、古河駐屯地にこのギョイコウが植えられたのは、ほんの偶然からだそうです。2000年当時、100本のソメイヨシノを植樹した際、なんと植木屋さんの目をすり抜け? 1本だけ紛れていたそうです。しかも駐屯地の一等地に選ばれたように植えられています。これもギョイコウの高貴さが成せる技!? でしょうか。
 緑色が薄れてきた頃の色です。淡い緑色が清潔感があります。  約10日後に撮影したものです。同じ花とは思えないくらいの色の違いです。
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