築城基地アラートパッド。
スクランブル待機室には4人のパイロットが緊急発進の準備を整え待機していた。第1編隊は、あのエースパイロットのビーチと新人ロイの二人。第2編隊はアイアンと女性初のF2パイロット シャロンの二人だった。
「ロイは、緊急発進したことあるんだっけ?」
「1度だけありますが、空中待機だけして終了しました。まだ、対象機を肉眼で見たことはありません」
「そうか。対象機を直近で見ても緊張しないよう、心の準備はしっかりとしておけよ」
彼らパイロットは、日中の晴天時のみならず、夜間、悪天候という飛行条件が悪いなかでも、緊急発進を命ぜられれば危険を顧みず、領空保全のため緊急発進していく。航空自衛隊以外に領空を守れる組織は我が国には存在しない。
深夜零時を超えた次の瞬間、その静けさを切り裂いたのは、突如として鳴り響く緊急発進のサイレン音だった。
「ビーチ編隊、スクランブル ベクター030」
ビーチとロイの二人は迅速に発進準備を整え、格納庫の扉が開かれるとともに、夜間の空へと飛び立った。F2のアフターバーナーの真っ赤なブラストによって、静寂な空が一気に緊張感に包まれた。
「ビーチ編隊、こちらは指令所。彼我不明機が領空へ接近中。機種及び国籍は不明。対象機がこのままの進路を維持すれば、あと20分で領空へ入る。急いで向かえ」
「了解。急いで向かう。ロイは落ち着いてスイッチ類の点検を行え。冷静に焦らずにだ」
「了解」
新人のロイは冷静だった。訓練は実戦のように、実戦は訓練のように。いつも、教えられているとおりだ。しかし、ビーチとロイの前には厚い雲が立ちはだかっており、視界はほぼゼロに近く、雨と風が彼らの機体を大きく左右に揺さぶる。二人は正確な計器飛行を続けた。
ビーチが高度25000フィートに達した瞬間、まばゆい星空が広がり始めた。雲の上に出た。あたり一面には星空が広がっていたが、ロイには悠長に星空を眺る余裕はなかった。
「雲のオントップは25000フィート、その上はスカイクリアー。雲のオントップの高度から対象機へのアプローチを開始する」
「了解。その通り実施せよ。対象機の高度は24000フィート。おそらく雲中を飛行しているものと思われる。注意してアプローチせよ」
「了解した。雷雲等がある場合は早めに知らせてくれ。見た感じでは西の方は雷雲が存在してそうだが、前方の経路上は強い雷雲はなさそうだ。このままの高度でアプローチする」
ビーチとロイの二人は星空の輝きを背に、彼我不明機への接近を急いだ。
その時、ビーチの航空機に警報音と同時に警報灯が点灯した。警報灯は電気系統のトラブルを示していた。あと少しで対象機に接近し、任務を実施できるところであったが、ビーチは冷静に状況を分析し指令所に伝達した。
「電気系統の故障を示す警報灯が点灯した。細部を確認する。ロイはビーチにジョインナップ。おそらくエマージェンシーを宣言し築城基地へ帰る公算が大きい。次の編隊を緊急発進させる準備をしておいたほうが良い」
「了解。地上で待機しているアイアン編隊に伝達する」
日本海区域を担当する指令所には、T7課程のソロ飛行チェックアウトで不合格となりコースアウトした中林2尉が立派な管制官となり、運用係長として勤務していた。中林2尉とアイアンは同郷出身の航空学生同期であり、二人で話すときはいつも博多弁になり、心配ごとや悩みごとを打ち明けられる、そんな親しい間柄だった。いつもは博多弁で馬鹿話をしている仲だが、今日はそんな呑気な話をしている状況ではなかった。
「アイアン? 中林だ。今、ビーチが電気系統トラブルで細部を確認中。このままならエマーを宣言する可能性がある。その場合、ビーチ編隊は築城へ帰還させ、アイアン編隊を上げる。準備を頼む」
「ラジオは全てモニターしている。もうすでに、俺もシャロンも準備完了。いつでも大丈夫だ」
「さすがアイアン。誰に言われなくても自分から動けるパイロットだな。だが、もう少しスタンバイだ。ビーチが航空機の最終確認中だし、当該対象機のほかにも国籍不明機が出現する可能性は否定できない。やみくもに次直編隊を緊急発進させることは、全体の対応能力を低下させるばかりで、良い判断とは言えん」
「確かに。では、俺たちはスタンバイする」
「頼む」
アイアンと中林2尉は航空学生の同期であることから、一通り任務に関する調整が終了すると、いつもの博多弁へと変わる。標準語と博多弁、話す内容がミッションかプライベートかによって使い分ける、それが同期間のマナーなのである。
「中林、それにしてもしっかり係長しちょるやん」
「そりゃそうよ。コースアウトがバリ悔しかったけの。とにかく、いつでも緊急発進できるよう、心の構えだけは忘れんとってくれ」
中林は、目先の事象に捕われることなく、空域全般の部隊運用を大局的見地から考えている。アイアンはそんな中林の判断に感心しつつ、最新の状況を冷静に把握した。シャロンもまた、フライトブーツの靴紐やGスーツの確認、アキレス腱を伸ばすなど、緊急発進に向けた準備に余念がなかった。
「メインの電気系統が故障。修復操作を行ったが事象に変化がない。セカンダリーである予備の電気系統は正常であり、現時点で飛行することは問題ないが、この悪天候等を総合的に判断すると任務を継続することは困難。ビーチはエマーを宣言し、2番機のロイに先導させ築城基地へ帰投する」
「了解。ビーチ編隊キルスクランブル RTB 築城」
ビーチは、ロイに1番機位置への移行を指示し、ビーチを基地まで誘導するよう命じた。故障が悪化し、姿勢指示器が不正確となり、最悪の場合は墜落する可能性があることを考慮すると賢明な判断だった。
その時、築城基地内では次の編隊であるアイアン編隊への緊急発進命令が下令されていた。
「アイアン編隊 スクランブル ベクター360」
この日、2回目のサイレンが静寂の夜空に鳴り響いた。アイアンとシャロンはF2へ飛び乗り離陸した。寒空の中、F2のアフターバーナーが轟き、紅色のエンジンブラストが築城の夜空を染めた。
日本海上空、帰還中のビーチ編隊と緊急発進したアイアン編隊が交差する。
「アイアン、周辺のオントップは25000フィート、その上はスカイクリアーだ。西の方は強い雷雲が存在する。対象機はおそらく雲中を飛行している模様。注意しろ」
「TOP25000フィート、西の雷雲注意、対象機は雲中、了解」
ビーチは冷静に無線でアイアンに状況を伝えた。アイアンは雷雲の状況も対象機の飛行高度等も既に掌握していた。以前のアイアンだったら、そんなこと分かってるよ、と無礼な態度で「ラジャー」とだけ返答していた。しかし、今は違う。仲間の助言に対し、その内容を正確に理解した旨を端的に返答した。これで相手には伝わったことがわかる。これが、戦闘機乗りとしての作法なのだ。
アイアン編隊は高度を上げ、対象機へと接近した。対象機、領空まであと8分。今、アイアン編隊以外にこの対象機を止められる者は日本にはいない。対領空侵犯措置は、空自が最初で最後の砦なのだ。失敗は決して許されない。
「シャロン、プッシュアップ500ノット、 switch set for mission」
「ツー」
国家の代表としての誇りを胸にアイアンとシャロンはスロットルをゆっくりと前へ進め、任務に必要な各種スイッチ類をセットした。領空を守る使命と覚悟が二人の背中を押した。
・・・続く