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第4話:T4操縦課程


 ここ静岡県浜松基地は、航空自衛隊の操縦士がウィングマークを取得する基地である。


 河瀬は、これまで福岡県芦屋基地と、静岡県浜松基地でT4初等練習ジェット機による飛行訓練を実施し、ウィングマーク取得の直前まで来ていた。T4はプロペラのT7と違い、スピードが速くハイGを伴う機動性の高い練習機であり、ブルーインパルスも使用している航空機である。


 「やっぱり、ジェット機は推力が違うわ。Gが半端ねー。気抜くと、グレイアウトするし。」


 河瀬は、持ち前の頭脳と身体能力で、飛行訓練開始以降「不可」いわゆるピンクをもらったことがない。浜松基地卒業まで、あとは浜松基地から小松基地への航法訓練を残すのみとなっていた。この航法訓練が終われば晴れて念願のウィングマークである。


 小松基地への航法訓練当日、離陸前のプリブリーフィングが始まり、まずは航空法に示されている「機長の出発前の確認」を行う。ウィングマークを取得後は、航空法に基づき、機長として航空機の運航に必要な準備が整っていることを確認後、飛行する必要があるからだ。



 「機長の出発前の確認を行います。確認その1、当該航空機及びこれに装備すべきものの整備状況は全て良好な状況です」
 「はい」
 「確認その2、離陸重量、着陸重量、重心位置及び重量分布は記載のとおりであり、本飛行への影響はなく、問題ありません」
 「はい」



 機長の出発前の全ての確認が終了したとき、教官は、小松基地の無線航法援助施設、通称「タカン局」が故障している事実を河瀬は出発前のブリーフィングから抜けていることを見逃さなかった。タカン局とは、飛行中の航空機に地上局からの方位と距離の情報を提供する器材であり、定期的な修理を行う際は、臨時に代わりのタカン局が設置され、正常のタカン局とは別の周波数を用いたタカン局が使用される。タカン局が故障してしまうと、自分が今、どこを飛んでいるのか、正確に分からなくなる時がある。


 しかし、教官はあえてそのことを指摘しなかった。ここでタカン局が故障している事実を指摘し、準備不足で「不可」を出し飛行訓練を中止にしてもよい。または離陸前に、臨時で設置されている代わりのタカン局の情報を確認させ、難なく小松基地へ着陸させてもよい。しかし、いずれにしても、事前に指摘するより、このまま飛行させ、飛行準備の重要性や、上空でタカン局が故障している事実を認識し、正常ではない状態をいかに克服するかの対処法を訓練したほうが、河瀬にとっては、有益な訓練だと、教官は判断した。


 T4の外部点検がすべて終了したところで、河瀬は教官に対し敬礼した。



 「外部点検終了、異常なし。河瀬学生、小松基地への航法訓練、実施します。同乗お願いします」
 「はい、よろしく。管制指示等、疑問を残したまま飛行しないこと。分からなければ、何度でも聞き返して飛行すること」



 本訓練の機長はあくまで後席に同乗する教官操縦士である。機長である教官は、河瀬の事前確認不足を承知で、教官自身の責任のもと、小松基地への航法訓練を許可した。教官は、数時間後、河瀬が上空でパニック状態に陥ることも、すべて想定内であった。


 航空機のコールサインは「ダスト45」、訓練内容は航法訓練、出発地は浜松基地、目的地は小松基地。


 河瀬が操縦するT4は浜松基地を離陸し、小松基地手前までの順調にフライトが進んだ。残すは小松管制塔と交信し、小松基地へ着陸するだけである。高度は約1万フィート、富士山より少しばかり低い高度だ。


 飛行教官の想定通り、順調に操縦していた河瀬の操作が止まった。



 「小松管制塔、ダスト45、今から着陸態勢に移行する」
 「ダスト45、現在位置を通報せよ」
 「え~・・・」
 「ダスト45、再送する、現在位置を通報せよ」
 「・・・ス、ス、スタンバイ」



 河瀬はタカン局の周波数をセットしても、故障中のタカン局は無反応であり、計器の針はグルグル回るばかりであった。河瀬は焦った。何度も何度も小松タカン局に周波数があっていることを確認したが、現在の位置を示す計器の針は、回転するばかりで小松基地への方位、距離を全く示さない。河瀬は初めての経験で、どうしてよいか分からず、何もできない。声もでない。それでもT4は待ってくれない。時速540キロで小松基地へ向かっていく。管制塔も後席教官もだれも助けてはくれない、河瀬は一人でこの状況をクリアーする必要があった。しかし、時間だけがすぎていく。



 「(独りごと)どうしてだ?? なぜタカン計器が正常に機能しないんだ? どうしたらいいんだ。今、俺はどこを飛んでんだ?」
 「ダスト45、再送する、現在位置を通報せよ」
 「っ~、え~っとぉ・・・」



 何度確認しても、小松のタカン局の情報が入らない。混乱と錯綜が河瀬の頭を交錯していた。次第に汗が流れはじめた。胃が口から出そうで声もでない。緊急状態が発生したときの訓練は実施している。しかし、この状態の対処法は教わったことがない。どうしたら良いんだ? 河瀬の操縦席の鏡に映る後席教官は、お客さんのように、また、まるで自分には関係ないかのように、ただただ涼しい顔でずーと外を見ている。


 次の瞬間、後席教官が動いた。冷静な声で河瀬に言った。



 「はい、アイ ハブ コントロール」
 「ユー、ユー ハブ コントロール、サー」



 コントロールとは飛行機の操縦のことを指し、後席教官が「アイ ハブ コントロール」を宣言すると、前席の学生は、操縦のすべてを後席教官と交代し、学生は操縦をしてはならない。その後、後席教官は、臨時に設置されている代わりのタカン局へ周波数を変更し、正確な現在位置を通報した。



 「小松管制塔、ダスト45、現在位置、小松基地から25マイル、南、今から着陸態勢に移行する」
 「了解した」



 河瀬の思考が停止していた時間はわずか2~3分。しかし、河瀬はものすごく長い時間に感じられた。何もできない、頭が働かない、声もでない、どうしたらこの局面をクリアーできるかわからない自分の能力の低さを痛感するとともに、飛行機だけが前へすすんでいくことに恐怖を感じた。後席教官の操縦で、ダスト45は小松基地へ無事、着陸した。


 着陸1時間後、後席教官との飛行後ブリーフィングが開始された。後席教官は険しい顔で飛行後ブリーフィングを始めた。



 「今日の飛行訓練の成績は「不可」。理由は準備不足。事前に小松基地の航空情報を確認したのか? 小松のタカン局は故障中で、臨時のタカン局が設定されていたのを知らなかったのか?」
 「はい、確認を忘れていました。」
 「特にフライトは事前の準備が重要。フライトの成功は、準備が8割と言っても過言ではない。飛行経路上の山の高さ、着陸飛行場の航空情報、緊急事態発生時の対処要領等、しっかり準備してフライトに臨まなければ、最悪の場合、危険状態に陥ることもある。数々の事故事例がその証左だ」
 「はい」
 「あらゆる事態を想像して準備すること。晴天時に荒天時を考える、この感覚が大事。司令官が「備えよ!」と言われる所以だ」
 「はい」
 「ウィングマークを取得し、機長として独りで飛行したら、誰の助けも得られない。いいか、緊急手順をテキパキと対処することは必要。でも、もっと大切なことは、緊急事態が起きないよう、他人の見えないところで先手を打って、何事も起こらないよう、安全なフライトをするのが理想の機長だ」
 「はい」



 後席教官は、卒業前の河瀬に飛行準備の重要性について、口頭ではなく実機の経験で教えたかった。教官自身も実は、T4学生時代、全く同じ過ちをしたことがある。その時も、口頭ではなく、実機での経験で飛行準備の重要性を、経験として学んだ。机上で学ぶより、実際の経験で学ぶ方が、定着度が高いことを知っている。このような飛行教育は、空自発足以来70年、脈々と受け継がれ、多くの逞しい戦闘操縦士を育成してきた。BOOK STUDYと STREET STUDY、知識技量の定着には、双方のバランスが必要だということを、教官は良く知っていた。


 河瀬は、その後、無事、最終検定に合格し念願のウィングマークを取得。いよいよ、次はあこがれの戦闘機操縦課程である。しかし、空中戦は、華やかな映画世界とは違い、想像を絶する世界だということを、河瀬はまだ知らない。まだまだ、河瀬の挑戦は続く。