自 衛 隊 百 科
10月放送内容)


テ-マ:平成における防衛省・自衛隊について①


パーソナリティー:
 本日は東北防衛局長の熊谷昌司局長からお話をお伺いします。熊谷局長、よろしくお願いします。

局長:
 はい。よろしくお願いいたします。 本年5月1日、元号が「平成」から「令和」に変わりました。今回は、平成を振り返りながら、我が国、そして防衛省・自衛隊における主な出来事についてお話したいと思います。
 今から遡ること30年、1989年に「平成」がスタートしたわけですが、この年の4月に消費税法が施行されています。
 また、 海外に目を向けますと、11月には当時の東ドイツから西側への自由出国が可能となり、ベルリンの壁が実質的に崩壊しました。平成が始まったのは、そのような年でした。

パーソナリティー:
 はい、消費税3%がスタートしたのは、平成元年からでしたよね。

局長:
 平成4年には、防衛大学校に初めて女子学生が入校しました。 また、この年の6月に「国際平和協力法」が制定されました。正式には「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」と言いますが、この法律は、我が国の国際平和協力として、「国連平和維持活動への協力」いわゆるPKOや、「国際連携平和安全活動への協力」、「人道的な国際救援活動への協力」、「国際的な選挙監視活動への協力」の4つの柱を掲げており、法律が制定されて以来、国連を中心とした国際平和のための努力に対して、数々の人的、物的協力を行っておりまして、防衛省・自衛隊は、国際平和協力活動等に積極的に取り組んでおります。

パーソナリティー:
 はい、PKOと言いますと、最初はどこに派遣されたのでしょうか。

局長:
 最初に派遣されたのは「カンボジア」です。20年以上にわたって戦乱と国内混乱が続いていたカンボジアですが、国連主導の下、紛争当事者間において協定が結ばれ、国連は停戦・武装解除の監視、選挙の実施等を行う「国連カンボジア暫定機構(UNTAC)」という組織を設立しました。 我が国は「カンボジア国際平和協力業務」として、停戦監視要員のほか、施設部隊による道路や橋の修理等のため、延べ約1,200名を派遣しました。

パーソナリティー:
 はい、現在もPKOの活動は継続しているのでしょうか。

局長:
 はい。現在も継続しているのは、「南スーダン国際平和協力活動」です。道路等のインフラ整備等の活動をしていた施設部隊の撤収後も、司令部要員として現在も4名が南スーダンで活動しております。 また、エジプトのシナイ半島でエジプト・イスラエル間の停戦監視など、国連PKOと類似の活動を行う国際機関「多国籍部隊・監視団(MFO)」に対しても、司令部要員として2名を派遣しています。

パーソナリティー:
 はい、現在も国際平和協力のため、海外で勤務されている方がいらっしゃるということなんですね。他にもトピックはありますでしょうか。

局長:
 はい。つづいて平成7年には、「阪神・淡路大震災」があった年です。マグニチュード7.3、震度7を観測し、多くの尊い人命が失われた大地震でした。 自衛隊による災害派遣が行われましたが、この大震災をきっかけに政府・自衛隊としても多くの教訓事項を得ることとなりました。

パーソナリティー:
 大震災をきっかけに、具体的にどのような教訓が得られたのでしょうか。

局長:
 はい。未曾有の自然災害にあたり、初期の情報を把握・連絡する体制が整備されておらず、初期段階で被害状況を十分に把握することができませんでした。
 災害対策基本法に基づく、都道府県知事からの自衛隊への災害派遣要請の手続に時間を要し、自衛隊の派遣が迅速になされませんでした。
 また、警察・消防といった実動機関の広域的な応援態勢や連携体制が不十分などといった問題点が浮き彫りとなりました。

パーソナリティー:
 はい、「阪神・淡路大震災」を教訓にどのような改善がなされたのでしょうか。

局長:
 はい。初期情報の把握及び連絡体制につきましては、24時間体制の内閣情報集約センターが設置され、被害情報を把握するため、自衛隊のヘリ等からの映像情報を伝達するシステムが整備されました。
 官邸の危機管理体制につきましては、内閣危機管理監・危機管理専門チームの設置、官邸危機管理センターの整備、24時間体制化、関係省庁の局長級の緊急参集チームの設置などがなされました。
 自衛隊への災害派遣要請については、都道府県知事が派遣要請する場合に必要な手続が簡略化されました。
 さらには、派遣要請を待たずとも、関係機関に情報提供するため、地震発生時等における航空偵察のほか、災害に際し、通信手段が途絶えるなど、都道府県知事等が災害派遣要請を行うことができない場合や自衛隊が実施すべき救援活動が明確な場合などにおいて、自衛隊の自主派遣の判断基準が規定されたことによりまして、迅速な活動が可能となりました。
 また、広域的な応援態勢、連携体制につきましては、警察に「広域緊急援助隊」、消防に「緊急消防援助隊」がそれぞれ設置されるとともに、警察・消防・自衛隊の間で協力協定が締結されまして、連携体制の確立・強化が図られております。

パーソナリティー:
 はい、これらの教訓がその後の「東日本大震災」の時にも活かされたということでしょうか。

局長:
 はい。「東日本大震災」においては、ヘリコプターによる情報収集活動の迅速化が図られ、知事から自衛隊への派遣要請につきましても、地震発生から派遣要請までの時間が大幅に短縮され、手続の円滑化の効果が認められました。  
    
パーソナリティー:
 はい、近年は、九州熊本地震や九州北部豪雨、昨年9月の北海道 胆振東部地震など、非常に災害が多いイメージですが、その度に自衛隊の皆さんが被災地において災害派遣活動をされている様子をテレビで観ましたが、こういった過去の教訓が活かされているということなんですね。

局長:
 はい、そうなんです。平成7年に話を戻しますと、阪神・淡路大震災から約2ヶ月後の平成7年3月には、地下鉄サリン事件が発生し、自衛隊の特に化学防護部隊が処理等にあたりました。 この年は、その後の日本に大きな影響を残した大事件が起きた年として記憶されています。
 お時間の関係もありますので、今回の「平成における防衛省・自衛隊」の続きは、また次回お話しをさせていただきたいと思います。

パーソナリティー:
 本日は、平成における防衛省・自衛隊をテーマに、東北防衛局の熊谷昌司局長からお話を伺いました。熊谷局長ありがとうございました。

局長:
 こちらこそ、どうもありがとうございました。



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