防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(3月放送内容)



 

テ−マ:松島基地へのF-2の帰還について

 

 

パ−ソナリティ−:
 本日も東北防衛局の齋藤雅一局長にお話しをいただきます。局長よろしくお願いいたします。

齋藤局長:
  よろしくお願いいたします。

パ−ソナリティ−:
  それでは本日は、「松島基地へのF−2の帰還」というお題なんですが。どんなお話しでしょうか。 


齋藤局長:
  今日は、宮城県東松島市に所在する航空自衛隊松島基地所属の教育訓練機F−2が5年ぶりに帰還したお話しをしたいと思います。
  今回、このようなお話しをする上で、避けて通れないのが、平成23年3月11日に発生した東日本大震災です。改めて被害に遇われた方々の、ご冥福を心よりお祈りをいたします。
  まず、自衛隊と地元自治体や地域住民をつなぐ、パイプ役という重要な役割を担っている私ども東北防衛局としても、今後も松島基地の関係自治体や地域住民の方々への支援を続けていきたいと思います。

パ−ソナリティ−:
  あの3.11の東日本大震災から、今月で5年が経過したわけですが、あの時、特に津波に関しては、東北の太平洋沿岸の各所において甚大な被害が発生し、松島基地も例外ではなく、津波の直撃を受けて、多くの飛行機や建物などが大変な被害を受けたと報道されていましたね。

齋藤局長:
 
はい。そのとおりで大変な被害にあいました。しかしながら、松島基地においては幸いにも人的被害はありませんでした。これは、現在の基地司令から伺ったお話ですが、今まさに津波が押し寄せてくるという時に、当時の基地司令は、僅かな情報のなかで迅速かつ適確な判断をし、隊員たちの避難を最優先させたとのことであり、仮に、あの状況で飛行機を上空避難させようとして、隊員たちが滑走路や飛行機の離陸点検などしていたら、どのような凄惨な状況になっていたか分からないと伺いました。
  また、これも不幸中の幸いという言葉が適切かどうか分かりませんが、ブルーインパルスの航空機8機も、九州新幹線鹿児島ルート全線開業イベントに参加するため、福岡県の芦屋基地に展開しており被災を免れております。被災直後は機能を喪失していた松島基地ですが、すぐさま機能を回復し、被災者の救難、救援物資の輸送、その他被災された方々への支援等を行い、大きな役割を果たしました。
  我々東北防衛局は、隊員たちが地元支援のために十分に機能できる環境を整えるために、航空幕僚監部などからの依頼を受け、滑走路の健全性の調査といった技術的支援を震災2日後の3月13日から15日までの3日間、昼夜を問わず、実施しました。それにより、震災直後機能を喪失していた松島基地は、わずか2日後の3月13日からヘリによる空輸を開始し、16日からは輸送機による本格的な空輸が可能となり、更には、3月23日から29日までの間、当局の職員6名を現地に派遣し、夕方から真夜中そして翌日の朝方にかけての夜通しの作業を一週間も続けた懸命な作業により、航空機の夜間離着陸を可能とする航空灯火を復旧し、救援物資の輸送量を大幅に増加することができました。

パ−ソナリティ−:
  当時の自衛隊の活動について、特に地元の方々にとっては、大変心強く感じられたのではないでしょうか。

齋藤局長:
  はい。さて、松島基地と言えば、皆さん良く御存じかと思われますが、アクロバットで知られる飛行機「ブルーインパルス」の母基地であり、また、F−2を使用した教育訓練を実施している第21飛行隊が配置されている基地でもあります。
  これまでの松島基地の歩みを申しますと、松島基地は、昭和の前半の旧海軍時代や米軍駐留時代などを経て、昭和30年に米軍から日本政府に返還され、昭和33年に第4航空団が新編されました。新編当時はF86Fという機種を使用していましたが、昭和50年にはT−2への機種変更が行われ、昭和57年にはT−2戦技研究班、いわゆるブルーインパルスが発足しました。その後、平成7年には、T−4型ブルーインパルスの第11飛行隊が新編され、平成16年には第21飛行隊がT−2からF−2へ機種の更新をしています。なお、F−2の概要ですが、全長は16m、全幅11mで最大速度はマッハ2.0で翼等に先進の複合素材を使用し、コンピュータ−制御による操縦装置と先進のレーダー等を装備しています。
  松島基地のF−2は、津波により18機全てが被災し、そのうち5機については廃棄処分とせざるを得ませんでしたが、他の13機が修復可能だったため、すぐさま修復作業に移行し、この度、修復作業を終えた航空機等約10機が松島基地に帰還したところです。
  この間5年の歳月を要しましたが、その間、隊員の方たちは、平成23年4月から青森県三沢市に所在する三沢基地において、この基地に配備されていた航空機を使用して、規模を縮小しながらも戦闘機操縦課程を継続しました。隊員の方たちは長期間、家族を松島に残し三沢での訓練に励んでいたとのことです。
 一方、松島基地においては、東北防衛局が復旧のため格納庫や駐機場などの整備を行い、今月、完成したところです。この整備は単なる復旧ではなく、併せて津波への対策を考慮したものであり、4m程土を高く盛って地盤を形成し、その上に格納庫などを整備しております。特に、ブルーインパルスの航空機の格納庫については、4m程高く盛り上げた地盤に元々有る格納庫をジャッキアップして移動させる工法が採られ、我々「曳家工法」と呼んでいますが、格納庫といった大規模な建物に対しての曳家工法は、あまり例を見ないと言われており、このようにして嵩上げした部分は、東松島市が実施している第3次防潮堤の一部を担っており、基地の中の整備ではありますが、地元の災害対策に貢献しているものと考えております。

パ−ソナリティ−:
  そうですね。これまでの5年間というのは、松島基地の隊員の方々は大変な苦労をされてきたのですね。ご家族の方も、ほっとされているのではないでしょうか。

齋藤局長: 
  これらの工事が完成し、松島基地は、まさに災害に強い基地になったものと思われます。そして青森県三沢市の三沢基地で間借りしながら長期の移動訓練をしてきた隊員の負担を軽減する観点からも、今月から松島基地における教育訓練を再開させることができ、まさに、隊員達は「故郷へ帰ってきたぞ」という思いが強いのではないでしょうか。

パ−ソナリティ−:

  そうですね。松島基地のシンボルとも言えるブルーインパルスは既に戻っていますが、F−2も戻って来られたことは大変よかったですね。
  その他、基地や周辺の防災はどのような状況なのでしょうか。

齋藤局長:
 はい。宮城県や東松島市が事業主体となり、第1次から第3次までの防潮堤の建設や北上運河護岸堤防工事などを実施してきております。
  宮城県が実施している第1次防潮堤は、29年9月の完成予定。東松島市が実施している第2次及び第3次防潮堤は、第2次防潮堤が完成し、第3次防潮堤は平成30年3月が完成予定となっており、多重防護整備が完了する予定です。
  また、震災後の23年7月から10月にかけて松島基地航空施設隊が、高さ4m、長さ約4kmの土嚢土堤も造っております。
  これらの様々な施設整備を経て、松島基地の機能が震災前の状況に復帰できたのも、基地内外からの多大な協力と支援等をいただいたおかげと思っております。
  先月には、時藤松島基地司令の講演を聴講する機会があったのですが、その際、今後「平成23年度以降未実施の松島基地航空祭の開催に向けて、鋭意検討されているところです」とのお話しをされておりました。例年7万人もの来場者が来られたという松島基地の航空祭が、一日も早く開催されることを期待したいと思います。

パ−ソナリティ−:
 一昨年、山形市で開催された東北六魂祭でのブルーインパルスの展示飛行は、大変な好評だったと伺っております。
  本日は、松島基地へのF−2の帰還についてのお話し、誠にありがとうございました。

 齋藤局長:
 
こちらこそ、有り難うございました。

 

 

 
  
 
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