自 衛 隊 百 科
(3月放送内容)



テ−マ:震災から3年を経て



パ−ソナリティ−:

自衛隊百科のコーナーです。このコーナーでは、毎月1回、東北防衛局の中村吉利局長にお越しいただいてお話をお伺いしております。局長、本日もよろしくお願い致します。


中村局長:

  はい、よろしくお願いします。


パ−ソナリティ−:

本日で震災から3年が経とうとしておりますが、東北も今、被災地のみなさんを中心に東北全体で東北を元気にしていこうという面であったりとか、前進している姿をよく見ることができるようになりました。ただ、その反面、風化しているような、スポットが当たりきっていないような現状も感じたりもしますけれども、本日は局長とは「震災から3年を経て」と題しましてお話をお伺いしていきたいと思います。よろしくお願いします。


中村局長:

  震災から3年となりました。まず、被災された方々もそれぞれに異なった状況、様々な思いでいらっしゃるとは思いますけれども、改めてお見舞い申し上げるとともに、地域の復興が一日も早く達成されることを、お祈り申し上げたいと思います。
  一方で、北本さん仰ったとおり、時間の経過によって、特に被災地の外で、震災ですとか復興の現状に対する認識の低下が起きているようにも感じます。私自身、震災当時は東京にいたので大きなことは言えないんですけれども、東京に帰った時などに被災地の現状をお話をすると驚かれることがありますし、訪ねてきた友人を被災地に連れて行くと、さらにびっくりされることもあります。被災された方は、震災の記憶について色々な思いをお持ちだと思いますけれども、東北地方の以外で震災の記憶の「風化」ですとか、復興状況への無関心というのは避けなければならないと思いますし、私としても、このような「風化」ですとか「無関心」が起こらないように、できるだけのことをすべきというように考えています。その意味で、震災から3年となって、当時の状況ですとか、復興の現状が報道される機会も増えていますので、改めて広く認識をされればと思います。これは自分も含めてなんですけれども。


パ−ソナリティ−:

そうですね。この発信する立場にある私たちだからできること、発信できていることというのがたくさんあると思いますので、私も含めてがんばっていきたいと思います。ところで、局長は、震災発生時は東京にいらっしゃって、その後東北地方に赴任されたわけなんですが、その際はどのような思いでいらっしゃったんですか。


中村局長:
  私は、震災から約15カ月後の一昨年8月にこっちに来たんですけれども、それまで防衛省の本省にいたとはいえ、自衛隊の救援活動にはタッチをしていませんでしたので、震災については、報道されている以上の知識は持ち合わせていないというのが正直なところなんです。もちろん、東北に勤務して生活する以上は、公私を問わず、地域にできるだけのことをしようと考えていましたけれども、着任の直後から、多くの方々に自衛隊の活動に対する感謝の言葉を頂いて、自分としては面映ゆいやら、身の引き締まる思いやらをしたものなんです。いずれにしても、神町駐屯地にも掲げられているとおり、自衛隊は地域住民の方々にとって「最後の砦」なわけですし、自衛隊を支える我々防衛局も、将来も見据えた形で、引き続きしっかりと努力をしていかなければならないというように感じています。


パ−ソナリティ−:

 そうですね。自衛隊のみなさんもご家族の方が被災されていたりといった面があったにも関わらず、被災地のみなさんの救援に行かれているという姿を、私も報道にはなりますが拝見いたしまして、大変心強く感じました。大震災では、私たちの部隊も活躍して、色々なところでやはり感謝の言葉を聞きましたし、私たちも応援していきたいと思いますので、今後とも頑張っていただきたいなと思います。


中村局長:

 ありがとうございます。今、仰られたとおり、震災当時の自衛隊の活動は、非常に高く評価していただいたんですけれども、これも、震災の前から、地域の方々が自衛隊の活動を理解してもらって、災害救援の演習などでご協力をいただいていたということがあったからこそというように感じています。しかし、当時のオペレーションが全てうまくいったというわけではなくて、様々な教訓と反省があったのも事実なんです。
 この点について、防衛省は、まず、救援活動は継続している平成23年の8月の末に、教訓事項の中間的な取りまとめを行っていて、さらに翌年の11月に最終的な取りまとめを行っているんです。この最終取りまとめというのでは、実際のオペレーションはもとより、それ以前の計画を準備する段階ですとか、自治体などとの関係、さらには隊員の人事や教育まで、大変幅広くかつ細部に至るまで検討しているため、改善事項はかなりの数に上ってきてます。ですが、私の目から見ますと、大きく言って2つ、すなわち、自治体や外国機関を含む関係機関と自衛隊との連携の強化、もう1つが自衛隊のヒト・モノ・組織といった大規模災害対処能力の充実・強化、この2つに集約されるように思います。
 具体的な施策は、各種規則を改正をしたり、対処の計画を改善をしたり、人員を増やしたり配置を変更したり、新たな装備、これを買ったりということなど多岐にわたってます。このため、いろいろな演習などによって、こうした改善点の検証を行って、必要であれば、追加的な改善を加えてきているということなんです。先月、東北方面総監部の主催で図上演習を行ったんですけれども、これには各県ですとか交通機関、通信会社、病院なども参加していましたけれども、この秋には、この図上演習の結果も踏まえた大掛かりな、今度は実働の訓練が行うという予定になっております。
 一方で、先月ご説明しました「防衛計画の大綱」、ここで「統合機動防衛力」というものがキーワードになっていましたけれども、当然のことながら災害救援活動も考慮していて、東日本大震災の教訓も活かす形になっているんです。具体的には今後明らかになってくると思いますけれども、「防衛計画の大綱」の本文には、「統合機動防衛力」の役割の一つとして、大規模災害への対応が掲げられていて、これに、初動対応に万全を期すこと、必要に応じて対処態勢を長期間にわたって維持をすること、被災した方などのニーズに丁寧に対応すること、関係機関と連携、協力するということなどが掲げられているんです。


パ−ソナリティ−:

 今お伺いしました内容は、防衛省や自衛隊全体の反省を踏まえた改善事項と感じたんですけれども、今度は私たち、山形にあります第6師団として、活動の中での教訓や反省っていうのはあったのでしょうか。


中村局長:

 6師団や東日本大震災の救援活動に参加した部隊はもとより、全国の部隊が、自衛隊全体の改善事項を踏まえた形で、さらには地域や自分の部隊の実情に即して、様々な改善の努力を行ってきています。
 第6師団は東日本大震災で救援活動の主力の一つとなった部隊なんですけれども、自らの活動の教訓を踏まえて、震災対処計画の中で、部隊を派遣する区域を災害の実態に合わせて修正をしたり、移動の経路ですとか、活動の拠点を置く場所、こういったことについても、実情に合わせた変更を行ったりしているというように聞いています。また、先ほど、「防衛計画の大綱」の中で「対処態勢を長期間にわたり維持すること」というのが挙げられていると申し上げましたけれども、震災への対処が長期間に及んだことを踏まえて、人のやりくりですとか、戦力をどうやって回復していくのかといったことについても、新たな考慮を加えるということにしているんです。
 なお、こうした第6師団としての改善事項については、今後、東北方面隊全体の計画見直しも行われると思いますので、それと連動して、さらに改善が図られていくと思います。
 最後に、もう一つ申し上げておきますと、昨年、第後方支援連隊が伊豆大島の台風災害に派遣されたことは、前にもご紹介したと思いますけれども、その際に、大震災の教訓を踏まえて、土砂に流された家の中から被災した人の思い出の品ですとか記念の品を集めて、きれいに洗った上で、被災された方に渡すというようなことをやっていたようなんです。この活動は、非常に大変感謝されたそうで、こういった細かいところにも東日本大震災の教訓が活かされているということかと思います。


パ−ソナリティ−:

 すごい素敵ですね。気持ちまで救って下さるっていうのはとても素晴らしいなと思います。どうしても私たちは、災害の時に限られた自衛隊の姿というところしか知らないのですが、日常的な様々な努力を継続しているということが背景にあるんだなと分かりました。 本日はどうも有り難うございました。


中村局長:

 はい、こちらこそ、どうも有り難うございました。


パ−ソナリティ−:

 自衛隊百科のコーナーでした。インタビューアーは北本沙希がお送りしました。


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