自衛隊インビテ−ション
(3月放送内容)



テ−マ:震災から3年を経て

パ−ソナリティ−:

 本日は、防衛局中村吉利局長にお話をお伺いします。今月3月11日で東日本大震災から3年が過ぎようとしています。発生当時から無我夢中に1年目、その後は復旧・復興と今日を迎えましたが、本当の意味での復興は今からとも考えております。今日は中村防衛局長にその立場から、復興そして自衛隊さんの災害に向き合う思いなどお話をお伺いします。それではよろしくお願い致します。


中村局長:

 震災から3年たって、被災された方々もそれぞれに異なる状況にいらっしゃるとは思いますが、改めてお見舞い申し上げるとともに、地域の復興が一日も早く達成されることを、お祈り申し上げたいと思います。
 一方、時間の経過によって、被災地以外で、震災や復興の現状に対する認識の低下が起きているようにも思います。私自身、震災当時は東京にいましたので大きなことは言えないんですけども、東京に帰った時などに被災地の現状を話をすると驚かれることがあります、仙台を訪問してきた友人を沿岸部に連れて行くと、さらにびっくりされるんです。被災された方は、震災の記憶について色々な思いをお持ちだと思いますが、被災地の外での震災の記憶の「風化」ですとか復興状況への無関心は避けなければならないと思いますし、自分としても、このような「風化」ですとか「無関心」が起こらないようにできるだけのことをしたいと思っています。その意味で、震災から3年となり、当時の状況や、復興の現状が報道される機会も増えていますので、これら自分も含めてなんですが、被災地の現状について改めて広く認識されればと思います。ちなみに、NHKの世論調査をみますと国が取り組むべき課題としての「東日本大震災からの復興」は、今年2月の世論調査では、12%でした。一方、去年の2月段階での世論調査は12%だったものが、3月には18%になっているということなんですね。


パ−ソナリティ−:

そうなんですね。1年が過ぎる事に、記憶が薄れ、忘れてはいけない事と痛切に感じます。ところで、局長は、震災発生時は東京にいらっしゃって、その後仙台に赴任されたわけですが、どのような思いでおいでになられたのでしょうか。

中村局長:
 私は、震災から約15カ月後にこちらに参りましたけれども、それまで防衛省の本省にいたとはいえ、自衛隊の救援活動にはタッチをしていなかったので、震災については、報道されている以上の知識は持ち合わせていなかったというのが正直なところです。もちろん、こちらに勤務し生活する以上は、公私を問わず、地域にできるだけのことをしようと考えていたんですけれども、着任直後から、多くの方々に自衛隊の活動に対する感謝の言葉を頂いて、面映ゆいやら、身の引き締まる思いやらをしたものです。
 一方、当時私は、沿岸の方々の抱く、惨禍をもたらした海に対する思いについて、若干の関心といいますか、疑問のようなものを抱いていたんです。直接のきっかけといいますのは、畠山美由紀さんという、以前から聞いていた気仙沼市出身のシンガーソングライターの方がいらっしゃるんですけども、彼女が震災を受けて作った曲の歌いだしに「みんなの広い海」というフレーズが含まれていたことです。私も海辺の町で生まれ育ったんですけども、気仙沼市自体も、「海と生きる」を復興計画のキャッチフレーズにしていると知り、震災直後に、故郷を歌った曲の中にこのようなフレーズが出てくる背景には、海に対する特別な思いがあるのだろうというふうに感じていました。
  その後、三陸地域には、大きな津波をたびたび経験しながらも、海と向き合い共生してきた歴史の重要な一側面があるということを認識するに至りました。たとえば、昨年400周年を迎えた慶長遣欧使節は、伊達政宗が当時の世界最強国であるスペインとの海上交易を目論んで派遣したものですけれども、この構想は、交易から得た資金で慶長三陸地震の津波からの復興と地域振興を図ろうとしたものだという説があります。また、去年、NHKの「あまちゃん」で全国的に有名になった岩手県の三陸鉄道は、明治三陸地震からの復興策として、この地域の断崖で隔てられているわけなんですけども、こうした地域を結んで、津波に強い地域を作るためのものだということだそうです。また、海と共生するための事業でもあった、慶長遣欧使節のサン・ファン・バウティスタ号も、三陸鉄道も、東日本大震災の津波被害からの復旧が地域復興のシンボルになっているんですけれども、これも歴史の為せる業と感じます。
 さらに、今も、多くの方が沿岸部に居住されることを希望されていると聞きますし、また、防潮堤の高さも、海が見えるものにして欲しいとの要望が各地にあるというように聞いています。このように、地域の方々が、「みんなの海」そしてこの「海と生きる」ということを選択している以上、故郷を守る「最後の砦」たる自衛隊は、しっかりと活動できるように、また、自衛隊を支える我々も努力をしていかなければならないというように感じています。

パ−ソナリティ−:

本当に心強いお言葉有り難うございます。当時の自衛隊さんのご活躍は、私たち県民、そして国民に勇気と元気と希望を与えて頂きました。感謝のひと言に尽きます。


中村局長:

震災当時の自衛隊の活動というものは、内外で大変高く評価していただきましたけれども、これも、震災以前から、地域の方々が自衛隊の活動を理解して頂いて、災害救援の演習などでご協力いただいてきたからこそと感じています。しかし、当時のオペレーションが全てうまくいったわけではなくて、様々な教訓と反省があったのも事実です。
 この点について、防衛省は、まず、救援活動継続している平成23年8月の末に教訓事項の中間的な取りまとめを行っていて、さらに翌年の11月に最終的な取りまとめを行っています。この最終的な取りまとめは、実際のオペレーションはもとより、それ以前の計画準備段階ですとか、自治体などとの関係、さらには隊員の人事ですとか教育まで、幅広くかつ細部に至るまで検討しているため、改善事項はかなりの数になっていますけれども、私の目から見ますと、大きく2つ、すなわち、自治体ですとか外国機関を含む関係機関との連携の強化、自衛隊のモノ・ヒト組織の大規模災害を踏まえた充実・強化、この2点に改善事項は集約されるように思っています。
  具体的な施策は、各種の規則の改正ですとか、人員を増やしたり配置の変更、新たな装備品を買ったりすることなど多岐にわたります。このため、演習などによって実地に改善事項の検証を行って、必要であれば、追加的な改善を加えてきているんです。先月の東北方面総監部主催の図上演習には各県ですとか、交通機関、通信会社、病院といったところも参加していました。この秋には、ここでの結果も踏まえた大掛かりな実働の訓練が行われる予定になっています。


パ−ソナリティ−:

 はい、有り難うございました。検証から踏まえた充実そして強化とこれからも自衛隊を大いに頼りにして行きたいと思っています。東北防衛局中村吉利局長にお話をお伺いしました。今日は本当に有り難うございました。

中村局長:
 こちらこそ、有り難うございました。

TOPページへ