防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A
(7月放送内容)



テ−マ:「アラビアのロレンス」と中東との縁

パ−ソナリティ−:

 防衛省・東北防衛局がおくる日本の防衛Q&A、このコーナーでは防衛省・自衛隊や日本の防衛について、詳しく分かりやすくお話をいただいております。本日も東北防衛局の増田義一局長にお話をいただきます。局長、本日もよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 それでは早速ですが、本日はどういったお話をいただけますでしょうか。


増田局長:

 私は前から映画のですね、「アラビアのロレンス」というのが好きで、これは三時間半を超える長編なんですけれども、それでもこれまで何十回も繰り返して観ています。この映画は1963年にアカデミー賞を受賞した昔の映画なんですね。これと関係があるのかないのか、私が防衛省に入った後ですね、何かとアラビア・中東との縁があったような気がしますので、今日は、その辺の話をしたいと思います。


パ−ソナリティ−:

 はい、お願いいたします。

増田局長:
  「アラビアのロレンス」というのは、本名がトーマス・E・ローレンスというんですが、イギリス人ででしてですね、オックスフォード大学で歴史を学んだ後に、中東の考古学専門家としてですね、歩み始めたんですけれども、第1次大戦の時に召集されましてですね、イギリス陸軍の情報将校として中東に配属されたんですね。この人現地人のアラビア語を聴いてですね、どこの出身かわかるぐらいアラビア語に堪能だったそうです。それでトルコからアラブをですね、独立させるアラブ反乱、これをですね、支援して、対トルコのゲリラ戦を行わせてですね、イギリスにとってトルコは敵国ですから、戦いを有利に運ばせるということが任務だったんですね。そしてこの人は語学堪能なもんですから、アラブ人社会に深く浸透してですね、アラブ人の信頼を得て、ゲリラ戦を指導してですね、結果的にアラブ反乱を勝利に導いたんですね。まあこういう客観的な解説をしてしまうと、映画「アラビアのロレンス」が味気ないものになってしまうんですけれども、歴史的に言うとそういうことなんですね。映画はもっとロマンチックでいいんですけれども。主役は、ピーター・オテュールなんて言っても、今の若い人には全然分かんないと思いますけれども。いずれにせよ、そういう映画だったんですね。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、自分の国のためにこうやって他の国を支援するっていうのもやはり過去にはいろいろとあったんですね。それでは続いて局長と中東とのご縁というんでしょうか、お願いします。


増田局長:

 私と中東との縁はですね、まずは1991年の湾岸戦争の時に遡ります。当時私はアメリカのハーバード大学大学院で安全保障を勉強していたんですが、「カネは出すけれどもヒトは出さない」という日本からの留学生としてですね、教室の議論ではずいぶんと吊るし上げられた覚えがあります。吊るし上げの急先鋒にいたのはですね、アメリカ人の軍人の学生ですね、彼らは軍から選抜されて20代の若い人たちでしたけれども、ここで勉強していたわけですが、そのうち彼らもですね、召集されて湾岸戦争に駆り出されて行ったんですね。教室から次々に姿を消していきまして、平和を願って黄色いリボンをつけたりするんですが、それだけが残ったわけであります。


パ−ソナリティ−:

 幸せの黄色いハンカチなんていう映画もございましたが。そういった感じなんですね。それではその後、ご卒業されてからはいかがでしたか。


増田局長:

 そうですね、その後なんですけれども、防衛庁の情報本部でですね、中東担当課の課長としてですね、中東情勢の分析の責任者になりました。その間実際にですね、サウジやエジプトなどにも行ってですね、現地視察をしたりとか、あるいは現地の情報機関との情報交換なんかも行いました。この情報本部でですね、中東というところのユニークさとかですね、面白い部分もですね、よく解るようになりましたんで、まあ例えば、1時間でも2時間でも時間がいただければですね、サウジアラビアとかの生活や風俗の面白い話を出来るかなあと思いますけれどもね。


パ−ソナリティ−:

  はい、是非また違う機会にお願いしたいと思います。


増田局長:

 はい、それでその後ですね、2001年の9・11同時多発テロのときですね、その時私はまたアメリカで国防省の国防大学付属国家戦略研究所というところがあるんですが、そこの客員研究員をやっていました。すぐ近くにペンタゴンがあったわけですが、そこにも航空機が突っ込んだんですね。仕事柄ペンタゴンにはちょくちょく出入りしていましたので、巻き込まれないでよかったなと思います。
突っ込んだ後煙が出たわけですが、それを見た瞬間にですね、あぁアル・カイーダのオサマ・ビン・ラディンの仕業だなとすぐに判りました。何ですぐに分かったかというとですね、アメリカに行く直前まで情報本部にいたわけですが、次のテロの標的は何になるかということを、各国の情報機関もですね、追っかけていたんですね。実際、この数年前にはケニアとタンザニアのですね、アメリカ大使館がアルカイダによって爆破されてですね、多数の死傷者が出ていたりとか、あるいはこの前の年には、イエメンに停泊中のアメリカの海軍の艦艇がアルカイダのボートの自爆テロを受けてですね、死傷者が出たりしていましたので、次のターゲットはどこかなというふうに、みんな非常に関心を持っていたんですね。


パ−ソナリティ−:

 やはり9.11は、今もなお強烈に、私たちのテレビの映像というんでしょうか、あの衝撃的さが今も浮かんできますね。


増田局長:

 そうですか、その後、2005年にはですね、自衛隊のイラク人道復興支援活動ということで、私も約半年間サマーワの宿営地でポリティカル・アドバイザーということで勤務しておりました。事前にアラビア語の勉強をして行ったんですが、結局ものにはならなかったですね。やはりローレンスのようにはいかなかったようです。サマーワにはですね、トーマス・E・ローレンスが書いたSeven Pillars of Wisdomという本があるんですが、邦訳でも「知恵の七柱」というのが出ていますけれども、これはロレンスが活躍したアラブ反乱のときの回想録なんですね。これを持って行きました。そして砂漠に囲まれた宿営地の中でですね、夜遅くテントの中でですね、このSeven Pillars of Wisdomを読んでいたのですが、シーンと不気味に静まり返った夜にする読書もおつなものですね。こういう夜に迫撃砲が飛んでくるんですね、不気味なはずだと思いますけれども。近くに迫撃砲が着弾すれば即あの世行きですので。

パ−ソナリティ−:
 ちょっと緊張感もありながらも、読書の世界に浸るというのもいいですね。

増田局長:
 はい、ということで今日は、私の思い出話みたいになってしまいまして、あまり面白くはなかったかもしれませんけれども。以上でございます。

パ−ソナリティ−:
 はい、本日の日本の防衛Q&Aは、アラビアのロレンスと中東との局長のご縁についてお話をお伺いしました。東北防衛局の増田義一局長からお話を伺いました。局長、本日もどうも有難うございました。

増田局長:
 どうも有難うございました。
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