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自衛隊インビテ−ション
(5月放送内容)



テ−マ:防衛省・自衛隊の国際協力活動20周年



パ−ソナリティ−:

 皆さんこんにちは、今日は東北防衛局の増田局長をゲストにお迎えしてお送りします。局長、今日はどんなお話をしていただけますか。


増田局長:

 はい、「防衛省・自衛隊の国際協力活動20周年」についてですね、仙台市内の大学で話すことになりましたので、私なりに整理をしてみました。ということで、今日は、「防衛省・自衛隊の国際協力活動20周年」について話したいと思います。


パ−ソナリティ−:

 国際協力活動が始まってから20年になるんですね。

増田局長:
 はい、1992年にですね、「国際平和協力法」が成立しまして、これで防衛省・自衛隊の国際協力活動がスタートしたわけですが、それから20年ということで、今年が20周年になるんですね。この国際平和協力法が成立するのに大変な生みの苦しみがあったわけですが、そのきっかけとなったのが1991年の湾岸戦争です。その前年の1990年8月にですね、サダムフセインのイラクがクウェートを侵略しまして、これに対して国際社会が、有志連合を募ってですね、多国籍軍が形成されて、湾岸戦争が始まりました。日本は石油の中東依存度が高くてですね、国益に関して非常にバイタルな事案であったわけですが、それにもかかわらず派兵をしないということで、アメリカ等から非常に冷たい目にあいました。130億ドル、日本円にして1兆4千億円ほどありますが、こういった巨額の経済的支援をしたにもかかわらずですね、非常に冷たい目にあったんですね。
それまでの日本というのは、国連の分担金の拠出といった経済面での負担をしていれば済んだんですが、1989年にベルリンの壁が崩壊して冷戦が終結してですね、世界情勢の流れが確実に変わり始めたわけですが、それに直ちに対応するのが難しかったわけですね。

パ−ソナリティ−:
 世界の情勢に乗れなかった日本ですが、その後どのような対応を取りましたか。

増田局長:
 はい、その当時の海部内閣は国会でですね、国際平和協力法案の成立を試みたんですが、憲法9条の関係の議論で紛糾しまして、結局廃案になったんですね。それで当時のこの日本に対して、先ほど申し上げたとおり国際社会の反応は非常に冷淡なものであったので、これに懲りましてですね、海上自衛隊の掃海艇をですね、当時の自衛隊法99条に基づいてペルシャ湾に派遣しまして、イラクが敷設した機雷の処理に当たりましたけれども、もう湾岸戦争も終わってましてですね、国際社会からの評価はあんまり芳しくなかったんですね。
そういった経緯を経まして、1992年に改めて国際平和協力法が成立しました。また、同じ年にですね、国際緊急援助隊法も改正されまして、国際緊急援助隊にですね、自衛隊を派遣できるようにもなったわけです。

パ−ソナリティ−:
 国際平和協力法が成立してどのような活動が出来るようになりましたか。


増田局長:

 はい、国際平和協力法でですね、3つのことが出来ます。1つは国連平和維持活動ですね、それから2つ目が人道的な国際救援活動、3つ目が国際的な選挙監視活動であります。この法律では多国籍軍等への参加はできませんので、その後ですね、その都度時限立法で対応しています。例えばテロ特措法とかですね、イラク特措法こういったものがこれに当たります。それとあと、公共の秩序維持のための海賊対処ですね、海賊対処は海賊対処法に基づいて行われているわけですね。
これら防衛省・自衛隊の国際協力活動を全て総括しますと、約30の海外での活動を実施してまして、のべ4万人以上を超す自衛隊員を派遣しています。
現在もですね、ゴラン、ハイチ、東ティモール、南スーダン、そしてアデン湾における海賊対処、この5つの活動に参加中であります。


パ−ソナリティ−:

 国際平和協力法成立以来、随分多くの活動に参加してきたんですね。

増田局長:
 はい、そうですね、この20年間ですね、国連PKOをめぐる国際情勢もですね、大きく変化してきました。
当初のですね、国連の活動はですね、監視ミッションとか平和維持軍いわゆる伝統的PKOだったんですね。だけども冷戦が終結してですね、国際紛争が多発するようになりまして、これまでのやり方では済まなくなったんですね。それでガリ国連事務総長が、これは1992年の話ですが、「平和への課題」というのを出しまして、その中で平和執行部隊等の必要性が説かれました。実際、カンボジア、エルサルバドル、旧ユーゴ、ソマリア等にですね、強制権限を付与された新たなPKOがですね、実施されたわけです。世界の趨勢はそうであったんですが、我が国の場合は、92年にようやく国際平和協力法が成立して、その下では、いわゆるPKO参加5原則というものに従って実施されたんですね。それでこのPKO参加5原則というのはですね、どちらかというと伝統的なPKOにフィットするものであったわけです。


パ−ソナリティ−:
 PKOの参加形態は、国際情勢の変化に伴って変化してきたんですね。

増田局長:
 そうですね、国際情勢は更に変化してきまして、旧ユーゴにおける国連保護軍とかですね、あと第2次ソマリア活動で失敗がありましてですね、平和執行が国連の能力を超えているというような現実に直面しました。それで2000年に発表されたブラヒミ報告ではですね、強力なROE(交戦規定)が必要というようなことも言われましてですね、その後、大規模・多機能型PKOへですね、進んでいくわけであります。それで東ティモール統合ミッション(UNMIT)とか、あるいはリベリア監視団(UNOMIL)とかですね、シエラレオネ監視団(UNOMSIL))というのがこういった大規模・多機能型PKOに当たるわけですね。

パ−ソナリティ−:
 国際情勢の中では、PKOも大規模・多機能型へと変化せざるを得ないんですね。

増田局長:
 そうですね、それに加えまして、PKOではなくて多国籍軍等がですね、これを補うというような構図になっておりまして、PKOよりも強力な強制行動が必要とされる場合にですね、国連安保理の授権の下で多国籍軍が展開されるようなことになったわけです。これに当たりますのが、湾岸戦争のときもそうでしたけれども、95年以降でいえば、ボスニア・ヘルツェゴビナのEU部隊(EUFOR)、国際安全保障部隊(KFOR)ですね、あと、アフガニスタンにおける国際治安支援部隊(ISAF)とかですね、あるいはイラクのときの多国籍軍がこれにあたります。
それで日本もですね、2001年の9・11同時多発テロ以降ですね、こういった多国籍軍等の活動に関与していかざるを得ない状況になりまして、この時のですね、小泉政権の下での経緯については、また時間があったらしたいと思いますけれども。

パ−ソナリティ−:
 今後、多国籍軍が展開される中では、日本はどのように関わっていけばいいでしょうか。

増田局長:
 そうですね、これに関与するために日本は、テロ特措法とかですね、イラク特措法といった国内法を整備して、対応してきたわけですが、我が国憲法の制約がありますので、武力行使と一体化しない範囲でですね、後方支援活動に実施してきました。
今後ともどういうような役割を果たしていけばいいのかというのはですね、政治の場でしっかり議論を行っていただいて、我が国として今後どのような軸足で国際的な公秩序の維持に対処していくべきなのかを改めて決めていくことが必要だと思います。
最後にちょっとお知らせなんですが、国連PKO協力20周年の記念切手がですね、6月19日に発行されますので、関心のある方はこれを買ってみて下さい。

パ−ソナリティ−:
 局長、本日は大変有難うございました。

増田局長:
 どうも有難うございました。



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