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自 衛 隊 百 科
(3月放送内容)



テ−マ:江田島の教育参考館とアナポリスの海軍兵学校ミュージアム



パ−ソナリティ−:

 自衛隊百科のコーナーです。このコーナーでは毎月1回東北防衛局の増田義一局長にお越しいただき、さまざまなお話をいただいております。
 それでは局長、本日もよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 では早速ですが、今日はどういったお話をいただけますでしょうか。


増田局長:

 はい、今日はですね、江田島にあります海上自衛隊の教育参考館とですね、アメリカのアナポリスにあります海軍兵学校ミュージアムについてですね、話したいと思います。


パ−ソナリティ−:

 はい、お願いします。それではまず海上自衛隊の教育参考館について、お話を頂戴したいと思います。

増田局長:
 江田島というところは、旧軍の海軍兵学校があったところでして、今では海上自衛隊の幹部候補生学校や第1術科学校といったものがあります。ここにはですね、大講堂とか、幹部候補生学校庁舎とかですね、教育参考館など歴史的な建造物がありまして、特に赤レンガのですね、幹部候補生学校庁舎は歴史ドラマのロケなどにも使われたりしますので、御存知の方がいらっしゃるかもしれません。これから話をする教育参考館というのは、白亜の大理石の建物であります。英語的にはですね、ミュージアムと言うのかもしませんけれども、そこは自衛隊の教育機関の一施設なものですから、「教育参考館」というお堅い名前がついています。ここには、旧海軍に関わるものを中心にですね、約1万6千点の資料が所蔵されておりまして、うち約千点が展示されています。
私がここを訪問したのは、実はもう20年以上も前のことなんですが、そのとき覚えた感動というのは今行っても多分同じなんじゃないかなあと思います。一般の方もですね、見学することができますので、ぜひ機会があったら訪れてもらいたいなあと思います。


パ−ソナリティ−:

 それではこちらの教育参考館には、どういった展示物があるんでしょうか。


増田局長:

 そうですね、この江田島の教育参考館の展示物で特にこれはと思うものは沢山あるんですけれども、幾つか紹介したいと思います。
まず、入り口を入ってですね、階段を上っていくと正面に遺髪室というのがあるんですね。ここにはネルソン、東郷平八郎、そして山本五十六の遺髪が納められています。ただし、この部屋はいつも閉まっているんですけれどもね。ネルソンのですね、遺髪がどうしてここにあるのか私も知りませんけれども、それなりの経緯があるんだと思います。
それとあと右の階段を更に上って行くとですね、左側に勝海舟の写真があります。これは日本に現存する最古の写真でもあるんだそうですね。その他には、横山大観のですね、富士山の絵が展示されているんですが、これは大観自身がですね、海軍兵学校に寄贈したものだそうです。
その他、日露戦争関係では、日本海海戦におけるですね、東郷平八郎の絵ですとか、廣瀬中佐の裸の写真とかですね、あと佐久間艇長の遺書ですとか、色々あります。
太平洋戦争関係でも、色々ありますけれども、山本五十六関係のものですとか、中でもですね、特攻隊の隊員の遺書、これはですね、訪れる人たちの胸を打ちますですね。あと瀬戸内海に沈んだ戦艦「陸奥」、これのですね、艦首についていた巨大な菊の御紋があるんですが、これの実物もあります。こういった装備品関係では屋外にもですね、実物の特殊潜航艇とか、戦艦陸奥の主砲や戦艦大和、長門の砲弾などなんかもありますですね。とにかくここでは紹介仕切れないほど色々なものがありますので、ぜひ機会があれば見学されたらいいんじゃないかなあと思います。個人参加であれば、当日の受付で、1時間半の見学をですね、平日は3回、土日祝日は4回実施しております。


パ−ソナリティ−:

 はい、分かりました。それでは続いてはアメリカの海軍兵学校ミュージアムについてお願いいたします。


増田局長:

 はい、これはアナポリスにあるんですけれどもね。アナポリスというところはアメリカのメリーランド州で、ワシントンから小一時間で行ける距離にありますので、私もワシントンに勤務していた10年程前なんですが、この海軍士官学校ミュージアムに行きました。
アナポリスというところは、色々と古いものが残っているところでありまして、アメリカ最古の議事堂、これは230年前の木造建築物ですけれども、現在でも州議会の議事堂として使われています。その他にも歴史的な雰囲気に溢れた町だと思いますですね。


パ−ソナリティ−:

 はい。


増田局長:

 それで、海軍士官学校ミュージアムですけれども、海軍士官学校の中にあるんですね。一般の人でも入れますけれども、海軍士官学校の見学とセットで訪れる人が多いように思います。ここには、アメリカ海軍にかかわる様々なコレクションがありまして、全ての紹介は不可能ですけれども、日本に関わるものの中から1つご紹介したいと思いますが、黒船で日本にやってきたペリー提督がですね、当時実際に使用したアメリカ国旗ですね、星条旗の実物があります。旗艦であったポーハタン号というものに掲げられた国旗なんですけれども、星条旗、現在は51州ありますので、星の数は51個ですけれども、ペリー来航当時はですね、31個しか星の数がなかったんですね。
このペリーの星条旗はその後もですね、日本の歴史の舞台に登場します。太平洋戦争が終了して、日本の降伏文書調印式が戦艦ミズーリ号の艦上で行われたんですけれども、その調印式の際にですね、このペリーの星条旗の実物が飾られたんですね。これはマッカーサーの指示によるものだそうですけれども、その調印式に先だって海軍士官学校ミュージアムから移送されたんですね。あまり知られていませんけれども、マッカーサーはペリーの血縁者でもあるんだそうですね。現在、ハワイのパールハーバーに当時の戦艦ミズーリ号が記念艦としてですね、保存されておりまして、一般の人も見学できますけれども、そこにもですね、ペリーの星条旗というのがありますが、そちらのはレプリカですね。あくまでも本物は海軍士官学校ミュージアムにあるわけであります。


パ−ソナリティ−:

 ペリーの黒船来航というのは、小学校でも中学校でも歴史の授業で習うので、なんだか親近感が湧いてきますね。


増田局長:

 そうですか。あと黒船で来航したペリー提督はですね、フルネームで言うとマシュー・カルブレイス・ペリーという名前ですが、この人にお兄さんがいまして、オリバー・ハザード・ペリーという名前ですが、この人もアメリカ海軍の歴史ではですね、有名な提督になった人なんですね。米英戦争の際のエリー湖の戦いというのがありましたけれども、その戦いの際に掲げたDon’t Give Up The Shipという旗があるんですけれども、船を捨てるなあきらめるなという意味ですね。この旗はですね、アメリカ人の多くの人が知っているんですけれどもね。その実物も海軍士官学校ミュージアムに展示されています。その他、帆船模型のコレクションなんかも素晴らしいものがありますので、もし、機会があったら訪問してみてはいかがかと思います。

パ−ソナリティ−:
 はい、ラジオをお聴きの皆さんに是非見ていただいて、目にしていただいて感動をしていただきたいと思います。

増田局長:
 そうですね。本日は、日米両国のですね、海軍・海上自衛隊の教育機関にあるミュージアム的なものを紹介させていただきました。

パ−ソナリティ−:
 はい、本日の自衛隊百科のコーナーでは、東北防衛局の増田義一局長にお越しいただき、お話をいただきました。局長、本日もどうも有難うございました。

増田局長:
 どうも有難うございました。


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