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自 衛 隊 百 科
(11月放送内容)



テ−マ:自衛隊・各国軍の風呂文化

パ−ソナリティ−:

 自衛隊百科のコーナーです。毎月1回このコーナーでは東北防衛局の増田義一局長にお越しいただいて、お話をいただいております。
局長、本日もよろしくお願いいたします。


増田局長:

 よろしくお願いいたします。


パ−ソナリティ−:

 それでは、本日はどんなお話をいただけますでしょうか。


増田局長:

 はい、前回、自衛隊や各国軍隊の食文化についてお話ししましたので、今回は、お風呂の文化ですね、これについてお話したいと思います。


パ−ソナリティ−:

 今日もまた日常生活に欠かせないもののお話ですね。

増田局長:
 はい、まず、東日本大震災でですね、自衛隊は色々な活動をしましたが、そのうち、生活支援の一つとして、入浴支援というものを行いました。その結果、延べ人数で100万人以上の被災者に入浴をしていただきましたけれども、津波に流された地区はもちろんのこと、津波に流されはしなかったものの水道やガスといったライフラインが遮断されてしまった地区とかですね、あるいは原発事故によって避難をしなければならなくなった地区、こういった住民の方々ですね、お風呂に入れず困っておりました。仙台市のど真ん中の市街地でさえ、1か月ほど都市ガスがストップしていましたので、仙台市の一般市民の多くの方々も1か月ほどそういう状況にありました。
人間やはり、長い間身体を洗っていないとですね、結構苦痛でありまして、入浴したいという欲求が猛烈に湧いてくるもんなんですね。そこで陸上自衛隊は39か所、海上自衛隊10か所、航空自衛隊1か所、米軍6か所で、合計56か所でですね、入浴サービスを提供しました。ピーク時には1日1万5千人ほどですね、こういった方々に利用していただいたんですが、駐屯地・基地内の既存の浴場を開放して利用してもらったのはもちろんのことですが、これに加えまして各地にですね、仮設の浴場を設営して利用してもらったりとかですね、あるいは海上自衛隊では艦艇を接岸、あるいは湾内に停泊させてですね、その艦艇の中の風呂を使ってもらったりしました。この海上自衛隊の艦艇風呂はですね、9か所に及んだわけであります。


パ−ソナリティ−:

 いろんなお風呂の形というか種類があるんですね。そして、やはり温かいお風呂に入ると身も心もほぐれて安心しますね。


増田局長:

 そうですね、自衛隊の仮設の浴場は、38か所でしたけれども、そのうち、自衛隊が野外活動用に装備している入浴セットというのがあるんですが、これを使用したのが22か所ありました。これはですね、浴場は天幕で、浴槽もキャンバス製で、野外展開用の銭湯といった趣なんですね。1度に多くの方々が入浴できます。これを利用した方々は、水道もガスもない場所で、銭湯のようなものまで用意してしまう自衛隊の自己完結能力には感心したんじゃないかと思います。米軍もシャワーセットというものを装備していまして、1度に多くの方が利用出来ましてですね、これは6か所で提供してくれました。やはり、戦場という極限の場所でもですね、入浴というものは不可欠なわけでありまして、どこの軍隊でもこういった入浴セットは多かれ少なかれ装備しているものなんですね。ただ、文化の違いというものは感じますね。日本の自衛隊はシャワーじゃなくてですね、あくまでも風呂にこだわるというところが、日本の文化だと思うわけです。
こういったしっかりした入浴セットは22か所分までしかありませんでしたので、その他の仮設浴場では、除染車を使用したりとかですね、あるいは幼児用のプールを活用したりとかですね、浴槽の代わりになりそうなものを利用してですね、そこにお湯を供給した簡易入浴施設というのを作りました。私たちはそれらを沐浴と言ってるんですが、入浴と区別してですね、沐浴という言葉を使っています。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、湯船に浸かることへのこだわりというのはやはり同じ日本人としてはお話を伺うとうれしくなりますね。


増田局長:

 航空自衛隊の松島基地はですね、津波をかぶりまして、隊員用の浴場もそれで停止してしまったんですが、復旧するまで2週間近くかかりました。それまでの間、隊員たちはですね、救援活動で汗まみれ、泥まみれ、中にはご遺体の収容に当たっていた隊員もいたわけですが、2週間近く入浴できませんでした。そしてついに隊員浴場が復旧した際にはですね、自分たちは1日2日我慢するから、被災した住民の方々に先に入ってもらいたいということでですね、住民の方々の入浴を優先したりしたんですね。私もその場面を目の当たりにしましたけれども、自衛隊員のこういったですね、自己犠牲の姿勢がやっぱり、国民から共感と感謝の気持ちを得ることとなったのだと思います。


パ−ソナリティ−:

 そうですね、優しさというのがやはり一番感じましたね、今回の震災で。


増田局長:

 さきほど風呂文化の違いについて言いましたけれども、私がこれを初めて感じましたのはイラクに行ったときでありまして、私は、前にも言いましたけれども、自衛隊のイラク人道復興支援活動の拠点でありましたイラクのサマーワ宿営地にですね、ポリティカル・アドバイザーという役職で約半年間行っておりましたが、その時にそういうことを感じました。もう5年以上前の話になりますけれども。
それでイラクのサマーワ宿営地の中の浴場は、陸上自衛隊の入浴セットなんですね。天幕の中にセットされたキャンバス製の大きな浴槽があって、砂漠の真ん中に出現した銭湯のようなものですね、これはサマーワ温泉と命名されていました。私は、ここへいく以前はですね、風呂派ではなくてシャワー派だったんですよ。実際サマーワへ行く前3年間ぐらいはですね、シャワーだけの生活をしてまして、浴槽に浸かるということは殆どなかったんですね。ですから、サマーワに来ても毎日シャワーを浴びるんだろうなと思っていましたら、そうではなかったんですね。浴槽の縁に人々が陣取って、洗面器でお湯を汲んではジャバージャバーと身体を流しているんですが、それを見て初めはですね、貴重な水をなんて贅沢に使っているんだというふうに思いましたけれども。これはシャワーより明らかにお湯の消費量は多いと思うんですね。ただ、私もですね、シャワー派だったわけですが、風呂派に転向するのにさほど時間はかかりませんでした。やはりイラクの地では日中50度にもなるような灼熱のところでですね、いつ攻撃されるかわからないストレスの中で、みんな砂まみれ汗まみれになって働いているわけですね。それで風呂はやはり、身体だけじゃなくてですね、心に溜まったストレスまでも洗い流すということが良くわかりました。やはり日本人にとりましてはですね、風呂のメンタル面の効果がいかに大きいかというのがわかったんですね。私は、もう今では風呂を通り越しまして、東北という温泉天国でですね、すっかり温泉ファンになっております。温泉は日本の文化だと思いますね。


パ−ソナリティ−:

 そうですね。一日の疲れはもう湯船で落とすというのがやはり限りますね。どこか温泉とかお勧めの名湯、秘湯などはありますか。


増田局長:

 先日ですね、乳頭温泉の鶴ノ湯というところ、鶴ノ湯温泉に行ってきましたけれども、非常に有名な温泉、秘湯ということでですね、あそこは良かったですね。


パ−ソナリティ−:

 分かりました。ありがとうございます。


増田局長:

 イラクの話に戻りますけれども、仕事でですね、多国籍軍の他の国の基地・宿営地に行く機会が時々ありましたけれども、そこに泊まってくることもあるんですね、その際にはそこの浴場を使わせてもらいます。多国籍軍は当然シャワーしかありませんけれども。ある基地に行ったときに、大変驚いたことがありました。それは何故かと言いますと、シャワーが男女共用だったんですね。もちろんパーティションとカーテンで各自区切られていますけれども、ですから見えたりはしませんけれどもですね、衣服は見える場所に脱ぎ捨ててあったりとかですね、あるいはカーテンの下から足ぐらいは見ようと思えば見えるわけですね。これでやはり文化の違いというものを感じましたね。
一昔前に流行りましたアリー・マイ・ラブというアメリカのドラマがありますが、これをこの時思い出しましたね。アリー・マイ・ラブでは、ユニセックス・トイレという、男女共用のトイレが出てくるんですね。このドラマというのは男女平等、男女機会均等ということをとことんつきとめた、ちょっとリベラルな法律事務所での出来事が舞台となっているわけですけれども、アメリカのトイレですから、足が見えるんですね。隣で用を足していらっしゃる女性同僚のですね、足が見えるということで、まあ、これに似た状況だなあというふうに思った次第であります。


パ−ソナリティ−:

 なるほど、とてもオープンなんですね。


増田局長:

 そうですね。

パ−ソナリティ−:
 逆にこう男女共同ではなく、厳しく分けている国というのもあると思うんですけれども。

増田局長:
 まさにわが国の自衛隊はですね、サマーワでは浴場の男女の隔離というのは非常に厳格になされていましたですね。これは文化の違いだと思います。
しかしながらですね、よく考えてみますと、日本ではかつては公衆浴場で混浴というのが当たり前だったんですね。ペリーが日本に初めてやってきたときにですね、知らない人同士、男女がですね、平気な顔をして一緒にお風呂に入っているのを見て、非常に驚きまして、そのペリー一行が帰国した後にですね、議会に報告書を出すんですが、報告書の中にですね、この混浴の様子を挿絵にして入れたんですけれども、これを見たアメリカ人がふしだらだという、そういう批判をしましてですね、このページは、第2刷以降は引き抜かれています。ということでこの挿絵はですね、希少価値があって美術品的価値もあるので、私もコレクションとして持っているんですが、題名が、Public Bash in Shimoda と書いてあるんですね、下田の公衆浴場という題名がついています。あれから150年ほど経つわけですけれども、この件に関しては、なんだか日本と欧米の文化が逆転してしまったんじゃないかなという感じがします。

パ−ソナリティ−:
 はい、本日は、東北防衛局の増田局長からお風呂についての文化の違いについて、お話を伺いました。本日もどうもありがとうございました。

増田局長:
 どうもありがとうございました。


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